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日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
文:◎、キャラ:◎、ストーリー:◎

・・・・感動。
人が、こうも見事に生きられるものだろうか?
古代中国、斉の国の名宰相とうたわれた晏嬰の物語である。

あとがきに、
『歴史小説は感動を書くものだといわれる。
そうだとすれば、自分の魂をゆさぶった人物を書くべきであろう。
わたしにとって晏嬰はまさにそのひとりであった。』
と書いてあるが、著者の感じた魂のゆさぶちは、たしかにこの本を通じて受け取れる。
見事な生き方、そしてそれを見事に描写した、傑作、である。

古代中国、春秋時代。
大小さまざまな国が群雄割拠し、国同士の外交あり、戦あり、国の中でも大臣同士の殺し合いやクーデターもしばしば、という慌しい時代に、どんな権力にも暴力にも屈せず、正しくNOを言い続けた清廉な人物で、その芯のとおった清々しさは、すばらしく心地好い読後感を与える。

春秋左氏伝、晏子春秋、史記、といった史料が元になっているようだが、それらの書に、晏嬰の人生がこうも詳細に書いてあるワケではないだろう。その史料に向き合い、感じた感動をあらわせるような生き生きとしたエピソードをつくりあげ、書き上げたトコロがすごい。

名場面をあげればキリがないが、晏嬰が、「君主からもらった褒美を辞退する理由」もその一つ。

過大な欲は身を滅ぼす、という。
富には適切な幅があり、それをこえるとかえって不便・不幸になる。
利の幅を守っていれば災いにかからない、だから辞退する、と言う。

しかし、人の幅とは、境遇や身分で変わるもので、天から定められた絶対の幅を見極められるのは億人に一人だろう、と著者は書き、晏嬰はそれに当たっている、と書く。


前半は、晏嬰の父、晏弱の物語で、これもまた、面白い。
賢く、機知に富み、戦の天才。
この父親が、隣国を攻めて見事傘下に収める逸話、敵との頭脳戦あり、剣を交えた戦い以外の活躍もあり、スペクタクルで痛快。

晏弱は、奇抜な戦法をいったいどこから思いつくのか?という疑問に対して、晏弱の部下が語る。
同じ場所を攻めた前回、晏弱は将軍ではない立場だったが、もし自分が将軍だったらどう攻めるか?と考えていただろう、と。

『ある立場にいる人は、その立場でしかものをみたい。が、意識のなかで立場をかえてみると、おもいがけないものがみえる。それを憶えておき、いつか役立たせるということである。』

たくわえてきた記憶は、その機会がきたとき、時のたすけを得て、知恵にかわっている、その知恵が、晏弱には豊富にそなわっている、ということ。
ははあ、勉強に、なります。


キャラ:○ ストーリー:◎

「僕」が中1の夏、僕の一家が、見ず知らずの男から5億円を遺贈される事件「今夜は眠れない」、の続編。

●僕が、恋をした。
その相手、大好きなクラスメイトのクドウさんが殺された!?
と思いきや、被害者はクドウさんに良く似た従姉。
でも、そのせいでクドウさんも無責任な噂にさらされ、元気をなくしてゆく。
見かねた僕は、沈着冷静で聡明な親友・島崎と、彼女を元気づけるべく、事件の真相をさぐる。

無駄のないストーリー運びで、一気に読まされる。

僕の目、ひいては宮部みゆきの目は、実によく人を見ている。
クラスメイトに対しても、犯人に対しても、被害者に対しても。

そして、犯人と、被害者。
そこに殺人があっても、宮部作品では「どのように殺されたか?」トリックは、あまり重要ではなく、長いページを割いて書かれるのは、「どうして殺されたのか?」

犯人はどんな人なのか?
どんな理由があったのか?
被害者はどんな人だったのか?何を考えていたのか?どうして殺されたのか?

宮部みゆきがそこにこだわるのは、作中に出てくる、犯罪に対する下記のような考え方のせいなのかもしれない。

「ロッキード事件を転換点に、日本にはよいイミでも悪いイミでも『絶対の権力』がなくなり、犯罪は、本物の陰謀とか社会悪というものではなく、個人の心のなかだけに筋の通った動機や申し開きのある、行きずり型になってきた。
国をゆるがす陰謀や、社会構成から生まれ出る不公平や貧困、あるいはイデオロギーに突き動かされた結果ではなく、個人の心の欲望とか欲求という、きわめて基本的だけど、ある意味では外部の人間には永遠にわからないものから生まれている。」

「推し量ったり解釈はできても本当に理解することは不可能」と言いつつ、でも宮部みゆきは、それを個人のことなんてわからない、と放置しないで、例え1つ1つ小さなことでも取り上げて考えて、理解したいからなのかしら?と思った。


親友・島崎は、前作につづいて名参謀役。
だが、今回は、途中から様子がおかしくなる。
僕に隠し事を、している。
それもなんだか、悲痛な様子で。

僕はそれに怒り、事件の真相とともに、親友が隠していた事実もつきとめる。
自分のために隠してくれていたことも。

ラスト。人生の真冬の直撃をくらって吹雪が荒れる傷心状態で帰宅した僕を、島崎がマンションの入り口で待っているシーン。
ごくごく短い会話をかわすだけなのだが、ああ、男の子の友情っていいなあ、と言葉にすると俗っぽいけど、そういう風に思ってしみじみ終わる名シーン。


キャラ:◎ ストーリー:◎

この本は、私が学生時代に読んだ、初めての宮部みゆき作品。母上が図書館から借りてきたのを横からつまみ読みしたら、見事にハマった。それは、衝撃の出会いだった。

こんな面白いストーリーを考えられる人が世の中にはいるのか!という衝撃。そのくらい話の進め方が見事。展開が早く、でもわかりやすく、そしてドラマチック。割と薄い本だし、さっと読めるけど、すごく面白い。一流のエンターテイメントと言える。

主人公が中学生男子で、その級友・島崎が中学生とは思えないくらい賢くて冷静なのがまた私好み。

●結婚15年目の両親と、中1の僕。至って平和な(と思われていた)家庭に訪れる、突然の嵐。
それは見知らぬ弁護士がもたらした、遺産相続さわぎ(正確には遺贈というらしい)。
母親が娘時代に、とある出来事で関わった男性が、遺言で母親に5億円の財産を遺すという。
嵐の初めは外側から。マスコミの取材やら、親戚・知人からの干渉、不特定多数のおかした人たちからの脅迫電話。
そして、実はほころびかけていた両親の仲が一気に悪化。
とうとう、父親は家出してしまう。
僕と島崎は、嵐の発端となった、母親と男性のつながりを調べはじめ・・・そしてさらにさらに・・・・!!

これは、ある「賭け」の物語だ。
誰が、どうして、何のために、何を賭けていたのか?
実は最後にやっとわかる。最後に明かされて、すごく納得して、そしてホッとする。
「ああ。そうだったのか」と気持ちよく読み終えられる。

2人の少年が、水族館で出会い、「マダム・水族館(アクアリウム)」と名付ける謎の婦人も、ドラマチックさに色をそえる。婦人との出会いのシーン、すごく映像的で心に残る。

『いくつぐらいだろう・・・・・・四十五歳ぐらいにはなっているかもしれない。でも、とっても綺麗な女性だった。ほっそりと優美で、シンプルな黒色のスーツがよく似合う。僕らに向かってにっこりほほえんでいるくちびるだけが、淡い紅色だった。
(略)
視線をあわせ、そろって言葉を探している僕たちの頭に、代わる代わる、その人はそっと手を置いた。そして言った。「じゃ、またね。坊やたち。きっとまた、ここで会えることもあるわね」
彼女が消えてしまったあとも、しばらくのあいだ、香水の薫りが残っていた。
島崎が、感嘆の面持ちでぽつりと言った。
「マダム・水族館(アクアリウム)だ」
(またここで会えるわね)
たしかに、その約束は果たされることになる。だけど、それはまだまだ、先のお話。』