日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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ストーリー:○

2年前、資産家の老婦人が撲殺された。婦人は子供に恵まれない代わりに、孤児や恵まれない子供たちを養子として育てあげた、立派な人物。逮捕されたのは、その養子の1人、小悪党と評判の高いジャッコ。彼は無実を主張したが、獄中で病死。
事件は終わったかに見えていたが、南極探検から帰ってきた地質学者が、ジャッコの主張するアリバイを証明できると言う。地質学者は、亡き老婦人の夫や他の養子にそれを告げ、身内の名誉を晴らしたばかり思ったが、そうなると、状況から考えて外部の者の犯行とは思いにくいこの殺人に、他に犯人がいることになる、この家族の中に・・・・。

婦人の夫、その秘書、家政婦、4人の養子たち、その配偶者。自分達の中に、犯人がいると知り、お互いに疑心暗鬼となる家族たち。学者もそれに責任を感じ、真犯人について考えてみる。

頭脳明晰な探偵が探偵して次々と証拠をあげていく、というワケではなく、じりじりと家族が疑心暗鬼で、読者にもそれが伝わり、いったい誰が何のために・・・?という、どんよりした雰囲気がよく伝わって面白い。

ストーリーと連動して、アガサ・クリスティーの主張するテーマがあり、それは、
「慈善とは?」。

殺された老婦人は、たしかに立派な人で、養子たちを愛し、十分なモノを与え、完璧で正しい道を教えてあげた。だが、それを養子たちはそれを感謝できなかった。

ある医師がこう語る。「昔の中国人は、慈善は美徳ではなく罪であると考えていたそうじゃないですか。(略)慈善というものは、確かに人のためになる。と同時に、人にいろんな気まずい思いをさせる。人間の心というのは複雑なものでね。人に親切にしてやれば、親切にしたほうの人間は結構いい気持でいる。しかし親切にされたほうの人間は、果たして相手にいい感情を抱くだろうか。感謝すべきことはもちろんだが、果して実際に感謝するだろうか」

実際、養子の1人は、老婦人に感謝していないのか?と聞かれ、
「人間は感謝しなさいと言われて感謝できるものだろうか。ある意味じゃ、感謝を義務と感じることは、たいへんな悪だ。」
と答えている。

親切を、自分の満足のためにやるのは簡単だけど、本当に相手のためになるように行うのは難しい。
相手が何を望んでいるのか、人の心は100%はわからないから。

そういえば私は、新卒採用の就職面接で、
「思いやりとは何か?」
と聞かれ、
「自己満足です」
と答えた覚えがある。(その会社は落ちました・・・)
それが結果的に人のためになるのであれば、それはそれでいい事だと思うし、人のために何かしてあげたい、と思う気持ちは大切だと思う。
ただ、その気持ちを実行するときに、相手のためにやる----だから相手の感謝は当然、と考えるのではく、これは私がやりたくてやっていること、と思った方がいいのでは?と思っている。


アガサ・クリスティーの著書に、「春にして君を離れ」というのがある。昔読んだので、うろおぼえだが、ちょっと似たテーマで、自分では優しい夫、子供に囲まれ、理想的な妻である母であると思っている婦人が、旅先で、一人、家族の言葉などを回想するうちに、実は彼女はとても自己中心的で、家族から愛されていない事に読者は気付く。この回想だけから気付くところが見事な筆力なのだが、「無実はさいなむ」の老婦人には、この婦人の押し付けがましい愛情と、通じるところが、ちょっとある。

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