日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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文:◎

時代はちょっと古いのだが、とても読みやすくてキレイな文章だった。
この人の文章は、好きだ。
エレガントな美しい文章に、太宰の理想や思想が、人物を通して物語の中に自然に垣間見えるのが、ちょうどいい感じがする。

第二次世界大戦が終わったころ。
落ちぶれた華族の母と、娘・かず子、息子・直治。
直治の遊び仲間の小説家、上原。

かず子が語ってすすむ物語は、没落貴族の娘らしく、か細く、たおやかな色調。
父を亡くし、母娘2人で細々と暮らすところに、戦地から弟の直治が帰ってくる。
直治は麻薬中毒になっていて、とぼしい家の金を持ち出しては、乱行ざんまい。

この4人の、四者四様の滅びの姿が描かれる。
相照らし、その影が交差するように入れ替わり交わり4人それぞれが、太宰の理想像や思想を体現する人物として、個性を見せる。

終戦直後。それは、道徳の過渡期だった。
自分も上原も直治も、その犠牲者だと、かず子は言う。
敗戦で、外側から価値観が変えられようとした時代。
それでも結局は変わらない、人間のけちくさいエゴイズム。

解説によると、太宰は、古さに絶望し、自分の中のそれらをえぐり出し、世の中の古さ、けちくささ、悪、ぎぜんを撃とうと決意してこの作品を書いたらしい。
その革命のためには、美しい滅亡が必要で、その滅亡と、
恋と革命に生きる新しい人間を、
『こいしい人の子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。』
と言う、かず子に託して描いている。


■優しく、はかなく、どんな所作も無造作で天然に可愛らしく、これこそが「真の貴族」「真の貴婦人」と言わしめる母。太宰にとっては、ある1つの理想像。

■他人に何と言われようと、厳しく身についた道徳に反しようと、自分がやりたい事をする、それがかず子の革命。
具体的には、恋した人の赤ちゃんを生みたい、相手は妻も子もある男性だから、自分は愛人でもよいとすら言う。
太宰が、女性に感じる、子を生むという特別な力、それゆえの逞しさへのアコガレが見える。

『私には、「常識」という事が、わからないんです。すきな事が出来さえすれば、それはいい生活だと思います。私は、あなたの赤ちゃんを生みたいのです。』

『この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだが、このごろ私にもわかって来ました。あなたはご存じないでしょう。だからいつまでも不幸なのですわ。それはね、教えてあげますわ、女がよい子を生むためです。』

■なぜ自分が生きていなければならないか、それが全くわからない、という直治。
偽善とうわべだけの上品さの上流階級に嫌気がさし、下品になろうと努力するが、貴族生まれの直治がどんなに努力しても、たくましい民衆にはどうしてもなれなかった。
『人間は、みな、同じものだ。』
という言葉に、人をいやしめ、努力を放棄させる、個人の尊厳を台無しにする嫌悪を感じる。

大地主の六男に生まれ、恵まれた生活を送り、しかし生家に反発して共産主義運動に身を投じるも、結局は入り込めなかった太宰の姿が反映されている。

■ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、と口ずさみ、遊び仲間と酒を飲んだくれ、金を浪費する流行作家・上原。
これも、最後の闘争の形態。
気障だけど、悲しいこのセリフが印象的。
「何を書いてもばかばかしくって、そうして、ただもう、悲しくって仕様が無いんだ。いのちの黄昏。芸術の黄昏。人生の黄昏。それもキザだね」
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