日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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長く、翻訳が読みづらい。そのため、途中で読むのが辛くなるが、ストーリーは、THE・娯楽小説で面白い。著者が「(読者は)一杯のビールを飲む金を節約して、私の小説を買ってくださるのだから、喜んでもらえるだけの内容じゃなくてはいけないと思う」というだけの事はある。


主人公は月に住む計算機技師マニー。

月には地球から流されてきた囚人やその子孫、移住志願者300万人がいくつかの都市に分かれて住み、女性比率が少ないために女性を大事にする文化だったり、福利厚生などはなく空気すらタダでそのへんにあるものではないという過酷な環境から生まれる「無料の昼食はない(無料では何も得られない)」という住民の意識だったり、という細かい設定が、物語の一部として自然に頭に入ってくるように描かれているのが秀逸。

たとえば、地球からの旅行者が、月の女性に自分から触れて、まわりの男から殺されそうになる場面がある。
主人公は旅行者に教えてやるのだが、まず月には法律なんかない。そんなものがなくても、最低限のルールを守れないような行儀がわるいやつは、過酷な環境下ですぐに死んでしまう。
女性の数が少ないから女性が絶対で、女性から誘ってホテルに行くことには誰も文句を言わない(その夫ですら)が、男が女に、女の許可なく触ったら、殺されても文句が言えない。

月は、地球連邦から派遣される月の行政府に支配され、月の人々は資源を地球に送り続けている。
このままだと月の資源はやがて枯渇し、食糧危機が訪れる未来を知った主人公とその仲間は、地球から独立すべく革命活動を開始する。

物語の主軸となるのが、月世界を管理する高性能コンピュータ「マイク」。
コンピュータにはもともと名前なぞないが、ある日、マニーが、このコンピュータに意識が存在することをただ1人気がつき、「マイク」と命名する。
このマイクのおかげで、またマイクに意識があることを政府側は全く気付かないおかげで、あらゆるデータを集め、シュミレーションをし、計算通りに実行することができ、革命は現実味をおびてゆく。

"ジョークを理解したい"というこのコンピュータが実に愛らしい。
革命の中心となる仲間、主人公の恩師「教授」の老練な駆け引きや、香港からきた知的な美人・ワイオの魅力もたっぷり味わえる。

1965年に書かれたものだが、悪い古臭さは感じない(コンピュータへの接続が常に電話だったり、プログラムを印刷するあたりは古臭いけど邪魔にはならない、むしろちょっと微笑ましくて楽しい)。

「興味を持っているのは、ビール、賭けごと、女、仕事」という月世界人たちをどう扇動し、何の武力も宇宙船すら持たず、はるか彼方の地球に対して独立戦争をしかけるのか?
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家屋や宿、旅、トイレなど様々なものへの好き嫌いを語る随筆。深い美意識、見事な文章力によって、美しくもユーモラスで、絶品!

表題作の「陰翳礼讃」では、"日本の漆器や絵画、米びつのご飯や女性の肌も、闇と蝋燭などの仄かな灯りの下でこそ美しい"と主張し、広まりつつある電燈の明るい光を嘆く中で、闇について幾通りもの美しい表現が出て来る。

『だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子箱に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。』

『もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。(中略)要するにただ清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り、そこへ引き入れられた光線が凹みの此処彼処へ朦朧たる隈(くま)を生むようにする。にも拘わらず、われらは落懸(おとしがけ)のうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを塡(うず)めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。』


かと思えば、「客ぎらい」では、眠りかけの猫が人間に呼ばれて鳴くでも無視でもなく尻尾をブルン!と振るのを見て客ぎらいの自分にも尻尾が欲しいというなんとも可愛らしい場面もある。
盲目の法師が、かつて仕えたお市の方について後年語っている、という形式で物語が進む。

信長の妹で美人と名高いお市の方は、嫁いだ浅井長政を信長に攻め滅ぼされ、再婚した柴田勝家を秀吉に攻められ、ここで夫と運命を共にする。
法師の語りは、盲目ゆえに限られた情報、又は伝聞でのみ知った情景で、淡々としているが、お市の方の美しさへの、やや粘着質な憧れ・思慕、傍にいられる事への満足・幸福感がその中に見え隠れして、変な熱さがある。

『わたくしにはただ、おくがたのお手のうちで鳴るじゅずのおとがきこえ、たえなる香のかおりがにおってまいったばかりでござります。』

語り口が美しくてじっくり味わいたい。
が、同じ人物を「伊賀守どの」と書いたり「いがのかみどの」と書いたり、統一されていなくて実に読みにくい。

落城前夜の宴で、敵に通じた味方が三味線に入れた合いの手を暗号にして、法師にだけわかるメッセージを伝えて来るシーンが、それまでと雰囲気が変わって突然サスペンスなタッチなのがちょっと面白い。
みをつくし料理帖シリーズ4作目。
人と思いやって、真剣に自分と向き合い仕事に精を出して生きることは、ステキな事だ、と思わせてくれる名作。ヘタすると鼻につく押し付けがましさが出がちな人情バナシを、絶妙なバランス感で描く。

身分違いの恋を胸に秘め、料理という生業に日々努力する主人公の澪(みお)。数々の苦境をのりこえ、健気な澪と、それを支える周りの人々のあたたかさ、そしてきびしさの描写がうまい。

今回は冬だったが、季節の情景をうまく取り入れ、それにピッタリな料理の出し方も上手で、読み終わるとおいしい料理をつくって食べたくなる。誰かに食べてもらって「美味しい」と喜んでほしくなる。

汚い手で澪たちを苦しめた金持ち向けの料理屋・登龍楼と料理対決をすることになり、プレッシャーに苦しむ澪に、勝負や精進についてされたアドバイスがよかった。

澪のつとめる料理屋を手伝ってくれる老女・りうから。、
「勝負事ってのは厄介でねぇ、どれほど努力したとか精進したとか言っても負ければそれまで。勝負に出る以上は勝たなきゃいけない。そう思うのが当たり前ですよ。」
ただ、と続く。
「勝ちたい一心で精進を重ねるのと、無心に精進を重ねた結果、勝ちを手に入れるのでは、『精進』の意味が大分と違うように思いますねぇ」
「勝ちたい、というのは即ち欲ですよ。欲を持つのは決して悪いことではないけれど、ひとを追い詰めて駄目にもします。勝ち負けは時の運。その運を決めるのは、多分、ひとではなく、神仏でしょう。神さま仏さまはよく見ておいでですよ。見返りを求めず、弛まず、一心に精進を重ねることです。」

澪が想いを寄せる小松原はこう言った。
「勝つことのみに拘っていた者が敗れたなら、それまでの精進は当人にとっての無駄。ただ無心に精進を重ねて敗れたならば、その精進は己の糧となる。本来、精進はひとつの糧となるものだが、欲がその本質を狂わせてしまうのだろう」

古い茶箪笥の抽匣(ひきだし)から出てきた銀の匙。
それは、小さい頃、漢方薬を飲むのに、伯母さんがどこからか探してきて、終始薬を飲ませてくれていたもの。
この小さな匙を皮切りに、主人公の少年時代の思い出が著者の自伝風につづられる。

子煩悩でひょうきんで優しい伯母さんがあちこち連れて行ってくれたり、家が引っ越したり、学校に行ったり、友達が出来たり、いじめられたり、初恋したり。
そんな他愛も無い出来事の数々が並べられただけなのだが、著者の独特な感覚や、また描写もみずみずしく、子供の見た世界をやさしく初々しく表現していて、読むのが実に心地よい名作。

小さなおもちゃを愛したり、自然や鈴をいつくしむシーンも好きだが、初恋の女の子とのシーンは珠玉。

『 ある晩私たちは肱(ひじ)かけ窓のところに並んで百日紅の葉ごしにさす月の光をあびながら歌をうたっていた。そのときなにげなく窓から垂れてる自分の腕をみたところ我ながら見とれるほど美しく、透きとおるように蒼白くみえた。それはお月様のほんの一時のいたずらだったが、もしこれがほんとならば と頼もしいような気がして
「こら、こんなに綺麗にみえる」
といっておちゃんのまえへ腕をだした。
「まあ」
 そういいながら恋人は袖をまくって
「あたしだって」
といって見せた。しなやかな腕が躐石みたいにみえる。二人はそれを不思議がってこの腕から脛(はぎ)、脛から胸へと、ひやひやする夜気に肌をさらしながら時のたつのも忘れて驚嘆をつづけた。』

「ひやひやする夜気」とか、他の箇所でも「美しく寂しい半島のその海岸の小山のふところにこっとりとたった草ぶきの建物」とか、擬音の使い方が独特で、かつ美しい。

前半はまだ幼くて世界もせまく、主人公が感じる感情も「あれは好きとかこれは嫌い」くらいなのだが、学校に行ってからは、出会う人も増え、考えることも著しく面白くなってゆくのもまたよい。
読むのが待ち遠しく、読み終わるのがもったいない、最も好きな小説「守り人シリーズ」の7作目。

1作目で11才だった皇太子チャグムは15才に。
賢く優しく、芯には燃えるような強さと気高さを秘め、教育係のシュガがかつて感じた『輝く玉のような清いもの』を持ったまま成長している。

大国タルシュの侵略が迫りつつある中、チャグムは父帝からは相変わらず疎まれ、大切な人々から離され、苦難に満ちた旅をし、ラストでは危険だが唯一希望へとつながる道を選んで、次作へ続く。
それは、澄んだ月光が暗い海につけた、蒼い道だった。

と、最後まで読んでタイトルがその道を表したものと気付く。よくできたタイトルだ。

主人公はチャグムだが、その他の登場人物全員が、彼らの信じるものに従って生きているのが感じられるのが面白い。

冷酷で憎むべき敵国タルシュのラウル王子も
「なぜ、他国に手をのばすのか、などという決まりきった問いを口にするなよ。いっても、詮ないことだ。おまえと、おれとでは、立場も物の考え方も違う。 父なる皇帝の右腕の太陽宰相や、そこにいるクールズならば、口当たりのいい理屈をこねてみせるだろうが、おれは、おまえに、そんな言葉はいわぬ」
とは、いっそ気持ちいい。

世界地図を初めて見たときの反応も好対照。チャグムは、
「世界は広いと思いました。・・・・・・すべての国を、見てみたい」
ラウルは逆。
「世界は狭すぎる。―これから、おれが手に入れられる国は、もうわずかしか残っていないと思った。あのとき胸に宿った焦りにも似た気持ちは、いまも、おれの中にある」

タルシュは、スケールの大きな国。数々の属国を持ち、道や水道などのインフラや建物はしっかりしていて豪勢、支配の仕組みもうまくまわっている。

著者はあとがきで、「同じ作者の2つの物語、コサックのシベリア侵攻をコサック側から見た物語と攻められたタタール側から見た物語を読んで衝撃を受けた」と書いている。
この物語が面白いのは、著者のこの考え方が生きているからなのだろう。

『そうか、歴史には絶対の視点などなく、関わった人の数だけ視点があり物語があるものなのだと、そのとき初めて思ったのです。
 私が心惹かれるのは、絶対の視点がない物語です。
 俯瞰すれば無数の命がうごめく世界が見え、ぐっと近寄れば、ひとりひとりの人間のリアルな心の動きが見える。そして、そのひとりひとりの背後には、彼らを生みだしてきた歴史が感じられる……そういう物語なのです。』


文字だけの絵本のような一冊。

月舟町に住む主人公は「雨降りの先生」と呼ばれている。名前は無いが、皆から「つむじ風食堂」と呼ばれる食堂の常連だ。
何も起こらない穏やかな生活を描いただけだが、出てくる言葉がおとぎ話のようで、物語全体を淡く彩るのが可愛らしい。帽子屋ののおじさん、「エスプレーソ」をつくる銀色の機械、屋根裏部屋があるアパートメント、深夜まで店をあけオレンジに電球の光を反射させた淡い光で本を読んでる果物屋の主人、古本屋にあった立方体の箱のように分厚いらくだ色の質素な革表紙の本『唐辛子千夜一夜奇譚』…。

物語の出だしは、こんな感じ。

『その食堂の皿は本当に美しかった。
 何の面白味もない、いたって平凡な丸皿なのだが、ひと皿を平らげたあとに現われるその白さが、じつに清々しくてよかった。
 よく見ると、皿の白さには無数の傷が刻まれてあり、ずいぶん長いことナイフやらフォークやらを相手にしてきたことが窺い知れる。』

こんな風に、何かあるかと言われれば何もない光景や出来事が、丁寧におとぎ話のように長々と語られてゆく。
うっかり電車で読んで泣きそうになった。

著者が、年老いた「オカン」を失って感じた悲しみ、恐れ、後悔、愛情が、地元・福岡での子供時代から東京に出て暮らす生い立ち物語のあちこちにちりばめられている。前半からずっとそれが感じられて「ヤバい泣く…」と予感しながら読んだ。

前半はユーモラスに語られているが、所々に夫婦や親子には簡単になれるが家族になるのは難しいとか、著者が感じている人生観が見えて「そうだよねえ」としみじみする。


前半はユーモラスに語られているが、「家族」や「貧しさ」「死」について、著者が感じている人生観がするどく語られ、そこは真面目に読んでなるほど、と想った。

『「親子」の関係とは簡単なものだ。
 それはたとえ、はなればなれに暮らしていても、ほとんど会ったことすらないのだとしても、親と子が「親子」の関係であることには変わりがない。
 ところが、「家族」という言葉になると、その関係は「親子」ほど手軽なものではない。(中略)生活という息苦しい土壌の中で、時間を掛け、努力を重ね、時には自らを滅して培うものである。
 しかし、その賜物も、たった一度、数秒の諍いで、いとも簡単に崩壊してしまうことがある。』

また、親子よりも簡単な「夫婦」。その簡単な関係を結んだだけの男女が、成り行きで親になり、家族という難しい関係に取り組むことになる。ある程度は流れてゆく時間が家庭を作ってくれるが、恐ろしく面倒で重い「自覚」をもって、家族関係にいつしか生まれるひびを埋める作業をしなくてはならない。


『貧しさは、比較があって目立つものだ。(中略)金持ちが居なければ、貧乏も存在しない。(中略)
 しかし、東京にいると、「必要」なものだけしか持っていない者は、貧しい者になる。東京では「必要以上」のものを持って、初めて一般的な庶民であり、「必要過剰」な財を手にして初めて、豊かなる者になる。(中略)
 必要以上を持っている東京の住人は、それでも自分のことを「貧しい」と決め込んでいるが、あの町で暮らしていた人々、子供たち、階段の上に座って原価の酒を飲んでいた人々が自分たちのことを「貧しい」と蔑んでいただろうか?金がない、仕事がないと悩んでいたかもしれないが、自らを「貧しい」と感じてたようにはまるで思えない。
 なぜなら、貧しさたる気配が、そこにはまるで漂っていなかったからである。(中略)
 搾取する側とされる側、気味の悪い勝ち負けが明確に色分けされた場所で、自分の個性や判断力を埋没させている姿に貧しさは漂うのである。必要以上になろうとして、必要以下に映ってしまう、そこにある東京の多くの姿が貧しく悲しいのである。』


ジョン・レノンの突然の死を知って、死の身近さを思い知ったときに感じた驚き。焦り。
死は、老いの果てにあると思っていたのに。

『突然、何の脈絡もなく訪れる死もある。その死を意識すれば、生きていることも恐ろしくなる。どんな想いも、未来も、その前ではなんの意味もない。
(中略)
早くしないと死んでしまう。早く行かないと死んでしまう。人は必ずいつか死ぬ。』


『子が親元を離れてゆくのは、親子関係以上のなにか、眩しく香ばしいはずの新しい関係を探しにゆくからだ。
 友人、仲間、恋人、夫婦。そのひとつひとつに出会い、それぞれに美しく確かなる関係を夢見て、求める。』

でもそれは落胆の種にしかならず、失望し、心ちぎれ、でもまた求め、同じ想いを繰り返してぼろぼろになったころ。

『その時、子は親になる。
 人間が生まれて、一番最初に知る親子という人間関係。それ以上のなにかを信じ、世に巣立ってゆくけれど、結局、生まれて初めて知ったもの、あらかじめ、そこに当たり前のようにあったものこそ、唯一、力強く、翻ることのない関係だったのだと、心に棘刺した後にようやくわかる。
 世の中に、様々な想いがあっても、親が子を想うこと以上の想いはない。
 求めているうちは、それがわからない。ただひたすら、与える立場になってみて、やっとわかってくる。』


200年も前に書かれた話で、ミステリーの原点となっている点はすごいと思うが、原点となっているだけあって、類似する作品をどこかで読んでしまっており、そのためか期待したより感動が薄かった。また、どこか古臭い感じで飽きる。ラインナップは豪華。名探偵と助手の元祖であるデュパンの活躍を描いた「モルグ街の殺人」「盗まれた手紙」「マリー・ロージェの謎」がまとめて読めるのは嬉しい。結論だけ聞くと奇跡のような推理で名探偵が謎をとく時。そこには緻密な観察と分析が一つ一つ正しく並んでいる。それらをじっくり味わえるのが醍醐味。

200年も前に書かれた話で、ミステリーの原点となっている点はすごいと思うが、原点となっているだけあって、類似する作品をどこかで読んでしまっており、そのためか期待したより感動が薄かった。

名作集と銘打ってるだけあって、ラインナップは豪華。
「名探偵と助手モノ」の元祖である、デュパンの活躍を描いた「モルグ街の殺人」「盗まれた手紙」「マリー・ロージェの謎」がまとめて読めるのは嬉しい。
結論だけ聞くと奇跡のような推理で名探偵が謎をとく時。そこには緻密な観察と分析が一つ一つ正しく並んでいる。それらをじっくり味わえるのが醍醐味。

「黒猫」「アシャー館の崩壊」など、単純な怪談の怖さではなく、幻想とリアルの間ギリギリの怖い感じを初めて世に出したのがこの人だというなら、やはりすごいと思う。
科学知識の単なる羅列ではなく、科学をフィクションとして楽しめる名作。

月で、宇宙服を来た死体が発見され、それは5万年前のものと判明。
人類に恐ろしく似た彼は、何者で、どこから来たのか?

今世紀最大の発見に世の中は騒然とし、軍と科学者たちは総力をあげてその謎に挑む。
生物学者は進化論、月理学者は月面を分析、言語学者は遺品の文字を解読、といった様々な調査結果から出てくる矛盾。それを解決するひらめき。あらゆる材料を集め、仮説をたて、検証する。読み手は科学者たちの貪欲な真実探求欲に同調してしまい、新たな事実やひらめきに興奮しながら読むのが楽しい。
人はいつでも謎をとかずにはいられない生き物らしい。

あらかたが明らかになったと思ったとき。
最初から提示されていた根本的な謎に、ラストで改めて与えられる解答。
そこへの筋道も、起承転結がハッキリしていて上手。解答の内容にも強いメッセージ性があって充実した読後感。

ほんのわずかしか登場しないコリエルというキャラがよい。ナイスなタフガイ、と読者に好感を持たせておいて、ある重要な役割をさらり与える。このキャラの使い方がニクい。

続編が出ているようなので、探してみたい。


中島らもがアジア各国を旅して感じたアジアの背骨のようなもの、その匂い、空気の色を描いた短編集。

どこかの南の島から始まってスリランカ、バンコク、上海、香港、インド、韓国、ベトナム、バリと続く。アジアのねっとりしたかぐわしい、雑多な雰囲気が香っている。読後、旅に出たくなる。
寓話・昔話風だったり旅の紀行文のようであったり様々だが、いずれも、短い文がテンポよく並び、終わりにもいちいちちゃんとオチがあるのが小気味よい。

インドで中島らもが目撃した、あるシーンについての記述が印象的。

『あの美しい一瞬。そうした瞬間を紡いでいくためにだけ、わたしは何千枚という原稿用紙を文字で埋め尽くしていくのではないだろうか。』
イラストレーターこぐれひでこさんの料理エッセイ。
いつかどこかで食べた味とか、ぼんやり頭に浮かぶいま食べたい味を、実験のように「あれを入れてみて」「これを入れてみて」と即座に再現してみるアグレッシブさが小気味よい。
料理のレシピは数行にまとまっていて、なんだか簡単にできそう、と思わせられるし、作ったあとにそれを食べた感想が実に素直においしそうに描かれていて、思わず「どれどれ私も!」と作る気になってしまう。
どれもこれも、時間もかからず、材料も身近で、その食べ物に出あった時のエピソードなども楽しい。

食べることが大好きな私には、読んでるだけでも幸せな1冊。

たとえば、トマトのファルシ。
作り方は簡単。
トマトの中身をスプーンでくりぬいてみじん切りにし、豚挽き肉と玉ねぎ・パセリのみじん切り、塩、こしょうとあわせて、中身が空いたトマトに詰め込んでグラタン皿に入れ(余った具はトマトの周りに敷く)オーブン180度で20分焼く。

この、あつあつトマトを初めて知り合いのフランス人宅で食べた著者の感想は、

『そのとき口から漏れたのは「セ・ボン(おいしい)」という言葉。熱を加えられたために生まれたトマトの深いコクと甘みを含んだ酸味が、トマトに詰め込まれた肉汁とからみあって、それまで経験したことのない深い味わい。フランス料理とはいえ、おなかに優しいさわやかな料理だったのである。』

これを読んで、即日、トマトを買いに走ってしまった。

気の抜けたような(いい意味で)淡い料理や野菜のイラストが、箸休め的に味わえるのも嬉しい。

著者が三度の食事をアップしているWeb日記。こちらも楽しい。
http://www.cafeglobe.com/travel/kogure/
映像的な出だしが魅力的。
特徴的な3人の会計検査院の調査官が東京駅ホームを歩く場面から始まる。
アイス好きで強面の副長「鬼の松平」、ずんぐりむっくりしたおとぼけキャラ鳥居、長身の才媛ゲーンズブール。
3人が大阪へ向かう新幹線から見える富士山、そこに昔、鳥居が見たという十字架の幻覚の思い出話が続き、テンポのよいかけあいの後、美女ゲーンズブールがニヤリと笑ってポッキーを白い歯で割るシーンで場面が切り替わる、というのも映画のよう。

次へ次へと進む、映画のような映像的な物語は、読んでる間、実に楽しい。
が、読み終わってみると、結局この話は何が言いたかったのかしら?とあまり残らない。

大阪が抱える秘密。その伝統。大阪全停止とか、描かれ方がたいそうな割には、結局みんながやった事とか、何故調査官たちと対決する羽目になったのかとか、解決の仕方とか、なんだかあまり印象に残らず、ぱっとしない。大風呂敷を広げられたけど、中身があまりない、といった印象。著者はそういうエンターテイメントを書きたかったのかもしれない。
鴨川ホルモーのほうが素朴で面白かった。

動きと音のあるアニメとか映画で見て楽しみたい作品。
あと、登場人物たちの名字が、戦国武将の名を受け継いでいるところがちょっと楽しい。

『(略)車が左折したところで、鳥居が急に、
「あ」
と甲高い声を上げた。
壁面に描かれたレリーフを太陽の光に燦然と輝かせ、大阪城天守閣が、足元に広がる森を従え、そびえ立っていた。
「さあ、仕事の時間だ。鳥居調査官、ゲーンズブール調査官」
静かな闘志をこめた松平の低い声が、厳かに車内に響いた。』


『エレベーターの前に着いたところで、鳥居が「最近は一日にどのくらいアイスを食べるんですか?」と訊ねた。
「五個」
「少し減りましたね」
チンという音とともにエレベーターが到着し、二人は中に乗りこんだ。』


『「なあ、真田」
机の上に両手を置き、後藤はゆっくりと語りかけた。
「世の中でいちばん難しいことって何やとおもう?」
両手の指を組み合わせ、後藤は深みのある声で尋ねた。(中略)軽くうなずき、あとを続けた
「ずっと、正直な自分であることや」』
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