日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
著者は、劇団を主宰し、劇作家・演出家が本業らしい。
その影響か、3つの短編、いずれも登場人物が強烈に、濃ゆい。
劇団のサイトで紹介されてるプロフィールにも
『自意識に絡め取られた妄想過多な人間を主人公に、独特の劇世界を展開する』
とある。

小説は、熟して香味があるような感じではなく、若々しくて荒くて、でもユニークな感性が出ていて、面白さや読み応えは十分ある。
ただ、その、登場人物の濃ゆさや、主人公や関わる人々が持つ心の問題や、切実な悩みが、強烈なエピソードの中で描かれ、ものすごくポップな文体で書かれるのだけど、それがどうも痛々しく、居心地が悪く、読後は決して心地よいとは言えない後味が残る。
心地よさを求めて読書する人はやめておいた方がよいかもしれない。
私は、読んで心地よいものが好きだけれど、こういう本も時には面白いと思う。


■「江利子と絶対」
引きこもりの妹が、突然「私、前向きになる!」と宣言。が、どうもそれがズレている。
前向きな引きこもりになる、というのだ。
その一環で、拾った犬に、絶対に自分の味方、という意味の「絶対」という名前を付け、自分以外の人間は敵であると思い込ませるために、おそろしい熱意で犬を教育する。
この妹の痛々しさと内面の心の叫びの激しさが、マンガのように極悪な笑いがあり(稲中卓球部の作者が描くマンガを彷彿させる)、ささくれのように心に残る。

■「生垣の女」
笑いものになるほどミジメな外見に、ネガティブな性格で、就職・恋愛・対人関係の全てをあきらめて生きる中年男、多田。
その日常生活に、多田の隣の家の男にフラレて「完全にイッちゃってる」女、アキ子が突然、土足で割り込んでくる。髪を振り乱し、路上で男の名を叫び、無関係の通行人にからむ・・という、ものすごい執念、最悪な女性像。
この2人の物語は激しく醜く、怒涛の勢いですすみ、ラストに行き着くところまで行き着いた感じで、醜悪で切なくてやるせない、これまたトゲのように残る終わり方。

■「暗狩」
前2編と、うってかわってホラー調。とてもコワい。

近所で素行の悪さが評判のいじめっ子とその手下にされている主人公と、友達。
野球のボールが飛び込んだ家に忍び入ってボールを探すが、そこで彼らは、見てしまう、そして・・・。

最初はだらだらと男の子社会のいじめが書かれて退屈するが、家に入ってからは、雰囲気が一転。一気に最後まで読んでしまう。追い詰められ方が息詰まる。

そんなホラーの中でも、著者は人を書く。
主人公の少年は、思っている事を口に出せず、他人に何かを伝える事はムリだとあきらめてしまう子だが、追い詰められ、生死の境の極限状態で、「生きたい」という本当の気持ちを声に出し、他人とも深い部分でわかりあえる一瞬を手にするシーンが印象的。
スポンサーサイト
昭和25年、金閣が寺僧の放火によって消失した事件を素材にした作品。

虚弱で吃り癖のある主人公は、幼い頃に父親から金閣の美しさを聞かされ、醜い自分へのコンプレックスと共に、極端な美へのこだわりを抱えて、生きる。
鹿苑寺の寺僧となり、金閣を目の当たりにしても、その美は彼の根底に根ざし、彼の行動を、心をしばる。

これ書いた人は、A型・山羊座でしょう~!と言いたくなるような、緻密で、妥協がなくて、完璧主義で・・・・読んでて窒息しそう。
全体的に、主人公の鬱屈した負のエネルギーが充満している。

いろんな出来事や、人との出会いで、様々に揺れながらも、終局へ向かう、止めようのない一直線な緊張感が疲れる。
主人公の偏執的な思考が、私にはどうも合わなくて、名作なのかもしれないが、とても読みづらかった。
この、美に対するちょっと特殊な感性は、肌に合わない人も多いだろう。
もう少し時間をおいて、また読んでみたい。

主人公が大学で出会う友人、柏木。
両足が奇形で、それ故に、独特な思想を持っていて、この青年の語る思想は、いちいち面白かった。

「俺は君に知らせたかったんだ。この世界を変貌させるものは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。それが何の役に立つかと君は言うだろう。だがこの生を耐えるために、人間は、認識の武器を持ったのだと言おう。動物にはそんなものは要らない。動物には生を耐えるという意識なんかないからな。認識は生の耐えがたさがそのまま人間の武器になったものだが、それで以て耐えがたさは少しも軽減されない。それだけだ。」

柏木の思想は、主人公の負の鬱屈を開放しようとするが、結局はダメだった。

主人公と、この柏木、両方が、作者・三島の分身なのだろうか?
内面的にはちょっと怖いくらいに一途でアツいモノを持ち、けれど賢かったから、理論的には柏木のような考えをし、心の内の破滅に向かう衝動の行為を抑えていたのかしら?と思ってしまった。
文:◎

時代はちょっと古いのだが、とても読みやすくてキレイな文章だった。
この人の文章は、好きだ。
エレガントな美しい文章に、太宰の理想や思想が、人物を通して物語の中に自然に垣間見えるのが、ちょうどいい感じがする。

第二次世界大戦が終わったころ。
落ちぶれた華族の母と、娘・かず子、息子・直治。
直治の遊び仲間の小説家、上原。

かず子が語ってすすむ物語は、没落貴族の娘らしく、か細く、たおやかな色調。
父を亡くし、母娘2人で細々と暮らすところに、戦地から弟の直治が帰ってくる。
直治は麻薬中毒になっていて、とぼしい家の金を持ち出しては、乱行ざんまい。

この4人の、四者四様の滅びの姿が描かれる。
相照らし、その影が交差するように入れ替わり交わり4人それぞれが、太宰の理想像や思想を体現する人物として、個性を見せる。

終戦直後。それは、道徳の過渡期だった。
自分も上原も直治も、その犠牲者だと、かず子は言う。
敗戦で、外側から価値観が変えられようとした時代。
それでも結局は変わらない、人間のけちくさいエゴイズム。

解説によると、太宰は、古さに絶望し、自分の中のそれらをえぐり出し、世の中の古さ、けちくささ、悪、ぎぜんを撃とうと決意してこの作品を書いたらしい。
その革命のためには、美しい滅亡が必要で、その滅亡と、
恋と革命に生きる新しい人間を、
『こいしい人の子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。』
と言う、かず子に託して描いている。


■優しく、はかなく、どんな所作も無造作で天然に可愛らしく、これこそが「真の貴族」「真の貴婦人」と言わしめる母。太宰にとっては、ある1つの理想像。

■他人に何と言われようと、厳しく身についた道徳に反しようと、自分がやりたい事をする、それがかず子の革命。
具体的には、恋した人の赤ちゃんを生みたい、相手は妻も子もある男性だから、自分は愛人でもよいとすら言う。
太宰が、女性に感じる、子を生むという特別な力、それゆえの逞しさへのアコガレが見える。

『私には、「常識」という事が、わからないんです。すきな事が出来さえすれば、それはいい生活だと思います。私は、あなたの赤ちゃんを生みたいのです。』

『この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだが、このごろ私にもわかって来ました。あなたはご存じないでしょう。だからいつまでも不幸なのですわ。それはね、教えてあげますわ、女がよい子を生むためです。』

■なぜ自分が生きていなければならないか、それが全くわからない、という直治。
偽善とうわべだけの上品さの上流階級に嫌気がさし、下品になろうと努力するが、貴族生まれの直治がどんなに努力しても、たくましい民衆にはどうしてもなれなかった。
『人間は、みな、同じものだ。』
という言葉に、人をいやしめ、努力を放棄させる、個人の尊厳を台無しにする嫌悪を感じる。

大地主の六男に生まれ、恵まれた生活を送り、しかし生家に反発して共産主義運動に身を投じるも、結局は入り込めなかった太宰の姿が反映されている。

■ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、と口ずさみ、遊び仲間と酒を飲んだくれ、金を浪費する流行作家・上原。
これも、最後の闘争の形態。
気障だけど、悲しいこのセリフが印象的。
「何を書いてもばかばかしくって、そうして、ただもう、悲しくって仕様が無いんだ。いのちの黄昏。芸術の黄昏。人生の黄昏。それもキザだね」
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。