日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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40代サラリーマン課長たちのフクザツ?な男心をほのぼのと描いた作品。

いかんと思いつつ部下の女性に恋してでも手は出せなくて少年のように毎日夢想して一喜一憂身悶えてちゃうオジさんとか。
理不尽なサラリーマンの哀しみとか、有るような無いような出世欲とか。
スナフキンのように自由な同期へのさげすみとアコガレの混ざった感情とか。
専業主婦の妻へのうっかりした一言での夫婦喧嘩とか。
ぬるま湯のような総務部と、戦場のような営業部とか。
上司にもズケズケもの言う若い一般職の女の子とか。
有能でスキがない、でも実は可愛い一面もある英国帰りの女上司とか。

ドラマに出てくるようなステレオタイプがたくさん。
新鮮味には欠ける。
でもそういう定番を、チャーミングに描かれている所が、この本のすごい所かもしれない。

表紙が、いい雰囲気だ。
昭和レトロな画風の、峰岸達。
http://www.minegishijuku.com/
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辻静雄。
「彼以前は西洋料理だった。彼がほんもののフランス料理をもたらした。」といわれる人物。

新聞記者を辞め、まったくの素人から、調理学校に婿入りし、一流ホテルのコックが「テリーヌ」も知らない時代に、フランス料理を学び、調理学校を充実させそれを日本に広め、第一人者となるまでのサクセス・ストーリー。
何もないところから何かを生み出す先駆者の物語は刺激的だ。

食べること飲むことが大好きな私にとっては、作中に出てくる写実的な料理とワインの描写もひどく魅力的。

飾り気の少ない文体は、すっきりと芯がある。その積み重ねが、辻静雄という1人の人間の人生とその哲学、料理にという芸術に対する意識とか葛藤とかを力強く描いていて、それが心に響く。
2年余の時間、辻静雄本人に対する50回をこえるインタビューがこの本の下地にあると知って、納得。しっかりした土台の上に築かれたもの、という感じがある。

半伝記、半フィクションの形式で、本当にそのものがあったワケではないだろうが、その人生を語る上でわかりやすく象徴的なエピソードが、上手にムダなくちりばめられている。

「フェルナンはね、生きているとき、いつもこういっていたの」
史上最高と言われるフランス料理のシェフ、フェルナン・ポワン。彼の亡きあと、その味を覚えていて、レストランを続け、三ツ星をキープした未亡人、マダム・ポワンの一言。彼女は、辻静雄を息子のように愛し、助けてくれる。
「料理をつくる人間のつとめは、お客さんにつねにささやかなうれしい驚きをさしあげることだって。だからわたしもそうしているの」

調理学校を開校したばかりで運営方針が決まらなかった辻静雄にとって、これが、目標となる。
彼も後年、同じ思いに行き着いたのか、こんな記述がある。
「料理を口にした瞬間に客の顔に広がるちいさな驚きの表情を眺めるよろこびは、それを知らない人間には絶対に理解できないだろうと思った。」

フランス料理を理解するため、ひたすらに食べ続けた。
初めに、
「料理というのはつくり方も大事だが、できあがりの味がすべてなんだ。きみはまずそれを知らなければならない。そして、あらゆる料理のこれがそうだという最終のできあがりの味をきみの舌に徹底的に記憶させるんだ。」
というアドバイスを受けたからだ。

後には、日本料理、中国料理についても同じ。その飽食は、やがて彼の健康を害す。
彼にとっては、食べ続けたのは、楽しみのためではなかった。
『いかに満腹であっても、必要のために食べつづけてこなければならなかったのだ。
こうなるまで食べてこなかったら、フランス料理はもちろん、日本料理についても中国料理についても通りいっぺんのことしか理解することができなかっただろう』

なんというか、壮絶。

晩年のシーン。
「結局、人間にできることは、自分がやってきたことに満足することだけなのだ」
手塩にかけて育てたシェフの裏切り。けれど、どんな見返りも、そのシェフからは結局もらうことはできないと気づく。
誰のためでもなく、自分がそうすべきだと思ってしてきたこと、その過程で起こる事は、飽食による肝臓の故障も含めて、すべて認め、受け入れる。
これが、成すべき事を成し遂げた人の行き着くところなのだろう。

下記のブログの感想が、なかなかステキです。
http://mblog.excite.co.jp/user/syokulife/entry/detail/?id=9277970
ゴーギャンをモデルにした、架空の画家チャールズ・ストリックランドについて、主人公「私」が、見聞きしたことを述べる伝記形式の小説。
この「私」も、著者モームがモデルの架空の人物。
半分事実、半分創作の物語だが、いかにもノンフィクションのように、参考とした本や論文が脚注に書かれたりして面白い。

イギリスで作家活動をしていた「私」は、その夫人を通じて、ストリックランドに出会う。
株屋をしていた彼は、突然、家族を捨てて、パリへ去ってしまう。
夫人に頼まれ、出奔の理由を探りに行くと、「絵をかきたかったから」だという。

「描かなくちゃならないんだ」
「どうしても描かなくちゃならないんだ」
「どうしても描かなくちゃならないんだと言っているじゃないか。自分だってどうにもならないんだ。水に落ちたらうまく泳ごうと下手に泳ごうと泳ぎ方なんか問題じゃない。とにかく水からでなくちゃならないいんだ、さもなけりゃ溺れてしまうだけだ」

口下手であまり自分の事をきちんと説明できない彼が、最初に「私」に見せた、狂気とも言える情熱。

ストリックランドには良識も慈悲もなく、利己的で関わった人々を平気でひどいめに遭わせる。
自らも、贅沢な生活や人からの評判には全く興味がなく、ボロボロのアパートで貧しい生活をしたり、世間に何と言われてもを何とも思わない。ただひたすら絵が描ければよいのだ。
描き終わった絵にすら、興味が無い。彼にとっては描くことが全て。

この情熱によって、「私」をはじめ、何人もの人が、彼に魅了されてしまう。
ふつうの人は持てない情熱を、彼が持っているからだろうか?

幸か不幸か、私はそこまで悪魔的に情熱を傾けるモノには、まだ出会っておらず、平凡で物質的にある程度満ち足りた幸せな毎日を遅れているが、それに出会ってしまったストリックランドは世間でいう人並な幸せを投げ捨てて絵を描く事を選ぶ。

『自分が一番欲していることをなし、気に入った条件の下に、心おだやかに暮らすことが、一生を台なしにすることだろうか?そして年に一万ポンドの収入があり、美人の妻を持つ著名な外科医になることが成功であろうか?それは各自が人生に対していかなる意義を感じているかによるだろうし、社会に対していかなる権利を認めているかによるし、各自の要求いかんにもよるだろう。』

六ペンスは英国の銀貨の中で最低額。
口語でわずかなもの、くだらいないもの、を示す。
同じ丸くて銀色の高貴な月と対比させたタイトル。
ストリックランドが得たものは、月と六ペンス、どちらなのか?

するする読めてぐいぐいとのめり込んでしまうのは、ストリックランドの奇人ぶり、けれど芸術に対する情熱に惹かれるのと、「私」が出会う人々をするどい観察でいちいち外見や行動を分析して描写するのが面白いからでもある。

ストリックランドの元夫人が、元夫に対して援助してもよいという言葉に対して。
「しかし、その申し出を促したものは親切心ではないのだ、私にはわかっていた。苦悩は性格を気高くするというが、あれはうそだ。幸福が性格を気高くすることは時々あるが、苦労は大抵の場合、人間をけちに、執念深くさせるものである。」

この「私」が、少ない時間ではあるがストリックランドと共に過ごした時間や、彼を知っている人からの情報を、分析し、希代の画家について述べるのが面白くないわけない。


ストリックランドが最後に探し当て辿り着いた彼の楽園、タヒチ。
「私」も彼の死後、その島を訪れる。
この島のねっとりとした色の濃い描写がいかにも熱帯の楽園ぽくて、うっとりとする。タヒチ行きたい。

ストリックランドが最後に過ごした家の描写。彼はここで思う存分絵を描いて暮らしていた。
「全世界からぽつんとかけ離れた一つの隅っこ、頭上には青空があり、豊かな木々がうっそうと茂っている。ふんだんな色彩の饗宴でした。しかもあたりはかぐわしく、涼しい」
「物音一つしない美しい夜。夜の白い花の香りがただよう」


閉鎖病棟」のコメントで、ふくろうさんが「ちょっと長いけど、感動します」とススメてくれたのをやっと、読んだ。「閉鎖病棟」はあまりピンと来なかったが、「国銅」は長いけれど、読み止められない粘り強い面白さがあった。
長門の奈良登りという銅山で、都へ献上する銅をつくる人足。
その中に、若き主人公・国人(くにと)は、いた。

来る日も来る日も少ない食事で、過酷な労働。
岩を切り出し、焼いて銅を取り出す。そのためにたくさんの人足が様々な部署で働いている。
国人の担当は、最初は堀場で岩を掘る仕事、そのうち釜屋に移動し、石を焼き、その後、吹屋でたたらを踏む。
ここで作られた銅は、都で大仏を作るのに使われるのだが、その都での人手が足らないため、奈良登りからも人足を出すことになる。
国人も含めた15人が、大仏をつくる人足として、都にのぼることに。

歴史的には、聖武天皇によって天平17年(745年)に作り始められ、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われた、今の東大寺にある、あの「奈良の大仏」だ。

都では、これまた過酷な、何年間にもわたる大仏づくりの苦役が待っている。

このストーリーだけ読んでいると、どこが感動なんだ、と我ながら思ってしまうが、人足たちの日々の素朴な暮らしぶりや、銅作りや大仏作りの詳細な工程(この描写がリアルでわかりやすくて興味深い)、主人公・国人の素直で利発な性格と、それを愛されて周りから字や詩や薬草の知識を習い、成長する様が、地味なんだが、引き込まれる。

「お前がお前の燈火。その明かりで足元を照らせ。」国人に文字を教えた僧が伝えた、釈迦の言葉。
「そなたたちが、あの盧舎那仏を造ったとなれば、そなたも仏だ」「そなたたちも仏だ」都で出会った、僧の言葉。
この言葉が、国人の胸にずっと残る。読んでる私の胸にも明かりのようにずっと残る。
つらい生活や、悲しい別れが続くほどに、この言葉が思い出される。

長い労役が終わり、やっと故郷へ帰れる日が来る。
もうこの頃には、完全に読み手は国人によりそい、故郷へのじりじりするような長い道のりを、一緒に歩むようになっている。
どえらく!面白かった、気分爽快!

星新一のショートショートは、短くて文体が簡潔で、奇抜な発想で、唐突に宇宙人や不思議な生き物が出てきたりするのに、ちゃんと納得できるよう筋は通っていて、とても読みやすい。
夜、読み始めると、「もう1話だけ」が延々と続いて眠れなくなるので要注意だ。

全39話、うち最初の7話が、イソップ童話のパロディなので、このタイトルなんだろう。
おなじみの「北風と太陽」や「オオカミがきた」も星新一の手にかかると、風刺のきいた洒落たオチに。

中でも面白かったのは・・・

●少年と両親
ショートショートは、オチでそれまでの話の流れがクルリとひっくり返るのが面白い。星新一は、オチまでの話を生かしてその勢いをつけたまま、クルリとオチがくる。無理がないのに見事な逆転がうまい。
息子を溺愛する両親。それがクルリ、となると・・・。

●ある夜の物語
ハートウォーミングで微笑ましい。
パッとしない青年、クリスマスの夜を一人寂しく過ごしているところに、サンタクロースが現れる。
プレゼントは、物理的にモノをもらうという事よりも、プレゼントをもらったという気持ちが嬉しいよね、という事を思い出す。そしてプレゼントをあげる気持ちも嬉しいもの。

●奇病
たった2ページ、500文字程度の短さで立派な物語が。オチもあるし。見事だ。

●底なしの沼
地球人と異星人との長い戦争。お互い疲弊して休戦しようとするのだが・・・。
戦いは始めるのは簡単だけど、という教訓的な話。

●ある商品
ある日やってきた宇宙人が、ただで若返りの薬を提供する。
もちろん、タダより高いものはない系のオチが待っている。

●やさしい人柄
死刑囚専門の刑務所の心やさしい所長。囚人もこの所長には心を開いてくれるのだが、そんな囚人たちを死刑台に送るのがつらい毎日。そんなある日、奇妙な偶然に気がついて・・・というちょっとしたホラーをこんな短編でキレイに書けるのがすごい。


ストーリー:◎
オテル・ド・モル・ドルモン・ビアン。
この響きだけで、すでに何だかステキな、これは、とあるオテルの名前。

この優雅さは、やはりフランス語。
ビアンは、「tres bien」(トレ ビアン)のビアンだろうか。
日本語にすると「ぐっすりもぐらホテル」というような意味らしい。

このオテル。ちょっと不思議な設定なのだが、いかにも本当にありそうに仔細に描かれるホテルの描写がとてもステキでうっとりする。

このオテルは、よい眠りをお客様に与えるために、在る。
全てはそのための施設、そのための決まり。
入り口へは、ビルとビルとの狭い隙間を体をヨコにして進まないと辿り着けない。
インターフォン付きのドアより向こうは、会員限定の静かな空間。
日の入りと共にチェックイン開始。
日の出と共にチェックアウトしなくてはならない。
13階建ての建物は、上にではなく下へ伸び、地下に行くほど、室内の空気は密で重い。
マホガニーの机に、牛皮の椅子があるフロント。
何も匂いがしない、洗い立てのリネン。
ここで働く従業員のモットー。想い。

ひんやりと乾いて、程よく糊がきいた、洗い立ての清潔な真っ白いリネン。
そういう肌触りがする文章。
よろこんでとびこんで横になって眠りたい。

主人公・希里は、働き口を求めてこのオテルにやってきて、その眠りを誘う顔をかわれて、即採用。
希里の目を通して、オテルの詳細が語られてゆく。

希里の家族は、ちょっとフクザツで、両親、双児の妹、妹の夫、妹夫婦の小学生になる娘という構成だが、病弱で問題児だった妹は、クスリをやって入院中。
両親はそれにつきっきり。
妹の夫や娘と、微妙な距離感を保ち、1つの家で暮らす、そこはかとなく重苦しい設定なのだが、淡々とした表現があまりそれを感じさせない。さらりと乾いた印象のまま、悲惨な家庭が語られて、最後にそれでも妹への愛がポッと灯るように印象に残って終わる、快い小説。

私が読んだのは文庫版だが、ハードカバーの本の、表紙の青がとてもキレイ。

第131回芥川賞候補作でもある。
この著者は、何度か候補になっているがまだ受賞してない人のようだ。
小説家ミセズ・オリヴァは、ある婦人から、奇妙な依頼をうける。
「私の息子の結婚相手の娘さんの両親は、10数年も前に心中しているのだが、それは父親が母親を殺して自殺したのか?それとも母親が父親を殺して自殺したのか?」
それを突き止めてほしい、という。

困ったオリヴァは友人ポアロを訪れる。
アガサ。クリスティー82歳の時の作品、年代順で言えば、最後に書かれたポアロ作品。
自己顕示欲が強いポアロも歳をとって穏やかになっている。

晩年の作品だけあって、円熟した感じがある。
派手さはなく、ちょっと小粋で、すんなりした展開、ラストに満ちる穏やかな愛。

事件は当時有名なものだった。
立派な夫、愛情こまやかな妻、二人は仲むつまじく、金銭も健康も何のトラブルもない。
だが二人はある日、銃で撃たれた死体となって見つかった。
現場の状況から見て、それは自殺としか言いようがないが、動機もない。
警察もさじをなげて「心中」と片をつけた事件。

果たして真相は本当に心中だったのか?その動機は?
そして依頼者の夫人は何故それを知りたがるのか?


「象は忘れない」

子供たちが小さい頃から聞かされるお話。鼻に縫い針を突き刺された象がそれを何年も忘れず、注ぎにその犯人が通りかかったときに水をぶっかけた、という逸話。
それにちなんで、オリヴァは、昔のことを覚えている人を「象」と呼び、この謎をとくため、オリヴァとポアロは、「象探しの旅」に出る。

この「象」という言葉が、作中、ずっとついてまわり、面白い印象を残す。
勘違いした秘書が、オリヴァはアフリカに猛獣狩りに出かけた、などと勘違いする辺りもおかしみがある。

オリヴァとポアロが様々な人を訪ね、実に巧みに世間話から、事件の話にうつり、その当時のことを聞き出してくる。それが全然真相に近づかないようなどうでもいい話なのだが、最後までいくと、その人たちの話の中に、真実の切れ端がちりばめられていたことが、わかる。

その長々とした会話から、読者を飽きさせる事なく、少しずつ過去を浮かび上がらせる筆の巧みさは、さすが。

心中事件の真相は、深い愛に包まれたものだった。
そのあたたかい余韻にひたりつつ、オリヴァのセリフでラストがしまる。
「象は忘れない」
「でも、わたしたちは人間ですからね、ありがたいことに、人間は忘れられることができるんですよ」


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