日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
映画スターウォーズで、レイア姫が、ハン・ソロ船長と共に敵に捕らわれ絶体絶命の時、愛の告白を、する。
"I Love you"
それに対し、ハン・ソロは
"I Know"

なんとゆう洗練された、スイートな返し方なんだろう!と感動した。イイ男たるもの、自分への真剣な愛に「気づかない」ではやはり済まされない。しかし勘違いもいかん。自分も好き、相手も自分を好き、という確信があるという両想いにだけ許される返答。

この本でも、おばあちゃんと、孫娘・まいの会話において、
「おばあちゃん大好き」というまいに対して、イギリス人のおばあちゃんは
「アイ・ノウ」と微笑んで答える。
すごくスイートなやりとりだなあ、と思う。これは、日本語ではなくやはり、英語で言うのがよい。

モノクロなイメージの「名短編、さらにあり」のアトで、反動で、ひたすらに明るいモノが読みたくなった。そんなときに、本棚をあさって手にとった1冊目が村上龍の「69」。2冊目が、これだ。「69」が極彩色なら、こちらはパステルカラーの明るさ。
ほのぼのとしたいい話、何度読んでも最後は泣けてしまう。

物語の、最後の一文が、私の好きな「アイ・ノウ」である。その効果的な使い方。是非直接見てほしい。

中学校のクラスメートと人間関係がうまくいかず、登校拒否になった「まい」は、山の中に住むおばあちゃんの家でしばらくを過ごす。
おばあちゃんは、豊かな自然の中で、一人暮らし。
野いちごでジャムを作ったり、ハーブティーを淹れたり、ラベンダーの茂みにかぶせて清潔な匂いのするシーツ、朝は産みたて卵の目玉焼き。
庭にあふれるハーブ、日当たりのよい木の切り株、ルビーのような野いちごの群生、鳥の声。
美しい、というより可愛らしく描かれる、豊かな自然。

仕事で毎日終電帰りの今の私が、うっとりしてしまうような生活が、ここにある。
丁寧な日常生活が、可愛くて美しい自然描写が、宝物のような1冊。

おばあちゃんは、自分は魔女だと、まいに打ち明ける。
それは空が飛べるとかそういう類の派手な魔法を使うのではなく、身体を健康に保ったり自然と共存する知恵や知識、それにちょっとした特殊な能力。そんな、リアルな魔女。
「私も魔女になりたい」というまいに、おばあちゃんの課した課題は
「早寝早起き」「食事をしっかりとる」「よく運動」「規則正しい生活」そして「自分で決める」「決めたことをやり遂げる」
いたってシンプルな、けれどとても難しいこと。
おばあちゃんの家でこの課題にそって生活していくうちに、まいは、生きていく力を身に付ける。この課題は、一生彼女を守ってくれるだろう。

おばあちゃんと、不本意な、気まずい別れ。
そして訪れる、本当のお別れ。
けれど、おばあちゃんは、西の魔女は、まいとの約束を、忘れていなかった。
このラストが。
あっさりとしたラストなのに、すごく心に残る。簡単な伏線なんだけど、とても響く。

タイトル通り、まいが「西の魔女」と呼ぶ、おばあちゃんが死んでしまう話なのだけど、人が死ぬ話なのに、この本は、明るい。

これを読むと、思わず、生活をきちんとしたくなる。
久々の料理。野菜を煮込んでみた。
半年ぶりに・・・・掃除機を、かけてみた。


ストーリー:◎
スポンサーサイト
モノクロなイメージの「名短編、さらにあり」のアトで、反動で、ひたすらに明るいモノが読みたくなった。そんなときに、本棚をあさって手にとったのが、コレだ。

極彩色に明るく、アホこの上ない名作。

村上龍の作品は、暗くて妙に生々しい肉体的な描写が痛々しいのだが、この本は、ちがう。とにかく明るい。

1969年。当時高校生の村上龍とその周りの人々を描いた、半自伝のような作品。
主人公ケンは長崎は佐世保の進学校に通う高校生。
世間は学生運動で盛り上がり、同級生は受験勉強にいそしむなか、ケンの頭の中にあるのは、同じクラスの美少女・バンビのことだけ。
彼女に好かれたい、いや、もっと言うと女にモテたい、ただその一念であらゆる努力をこなす姿は感動的である。

『要は、女だ。脱落者になるのが恐いのは、メスを手に入れることができなくなってしまうからだ。およめさんとか制度の問題ではない。不特定多数のメスだ。メスに好かれるという保証がなければ男の子は生きてはいけないのである。』
は、名言だと思う。

口が達者なケンは、いろんな人を巻き込みつつ、フェスティバルを開催する。それが何かもよくわかっていない頃から、とにかく、フェスティバルだ!と盛り上がってゆく。

ただスケベなだけではなく、村上龍の根幹が、この本には、ある。
それは自由を愛し、人生を楽しむこと。
『何かを強制されている個人や集団を見ると、ただそれだけで、不快になるのだ。』
『楽しんで生きないのは、罪なことだ。(略)
楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今も続けている。
退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。』

義務とか、自己抑制とか、恥とか、そんなもので人生を楽しめない大人を「アホか」と切り捨て、ひたすらに楽しい祭りを追い求める高校生が、ここにいる。
その姿にまぶしさを感じながら、テンポのよい真剣なアホっぷりに爆笑できる。

キャラ:◎
北村薫、宮部みゆき、の二大ミステリー作家が選んだアンソロジー「名短篇、ここにあり」の続編。
昭和初期から終戦直後に最盛期を誇った作家たちの短編が並ぶ。

前作の方が印象深かった。
時代背景からか、貧しさや死が題材だったり怖いモノも多く、全体的に古くて暗い印象。

特に印象に残ったのは、

●吉屋信子「鬼火」
ガスの集金人が体験する身の毛のよだつような、怪談。
人気の途絶えた家の暗~いシンとした台所に、ぼうっと光り続ける青いガスの炎。
・・・こわい。実にこわい。
こういう絵画的なイメージがくっきり浮かぶと、やはり心に残って忘れられない。
幽霊が出るわけではないが、立派な怪談。
後味の悪さも最高、この短さでこの印象の強さはすごい。

●岩野泡鳴「ぼんち」
人が死にかけているシリアスな話なのに、滑稽にまとめられている。
「で、何が言いたいの?」と思ってしまうストーリーなんだが、北村薫と宮部みゆきは、あとがきの対談でこう書いている。

『「文学とは人間如何に生くべきかを書くものである」と言う人に見せてやったらどうか、と思うんですけれど。なんという無意味、なんという馬鹿馬鹿しい人生、こういうものを書くということも、小説の一つの面としてあるんだということを強く感じましたね。』

『作品を発表すると「テーマは何だ」「何が書きたかったんだ」と、インタビューが来ますよね。私はそういう真面目な人にこれを読んでもらいたい。このテーマは何だ?かくも無意味無駄な馬鹿らしい死、それだけなんですよね。それだけで、読んだ人間の心を動かすし、忘れられないですね、これは。』

作家がこういう事を考えてるのが面白いと思った。
そうか、小説って、別にテーマがなくても、いいんだ。

一人で読んでいたら、さらりと読み流して特に何も感じない作品でも、この対談のように、他の人の(それも北村薫と宮部みゆきのような博覧強記な現役の作家さんの)感じたことをつまみ食いしつつ読むと、「ああそうか」と共感したり「そうは思わないなー」と反発してみたり。が、できるのが、楽しい。

収録作品は下記のとおり。

舟橋聖一「華燭」
永井龍男「出口入口」
林芙美子「骨」
久住十蘭「雲の小径」
十和田操「押入の中の鏡花先生」
川口松太郎「不動図」
川口松太郎「紅梅振袖」
吉屋信子「鬼火」
内田百「とほぼえ」
岡本かの子「家霊」
岩野泡鳴「ぼんち」
島崎藤村「ある女の生涯」
しゃばけシリーズ5作目は、初の長編モノ。

箱根へ湯治の旅に出る若だんな。生れて初めての旅先で、いつも過保護で決してそばを離れない守役の妖(あやかし)2人とはぐれ、人にも妖にもなぜか狙われ追い回される始末で、ワケのわからない事ばかり。

物語がすすむうち、少しずつワケがわかってきて、からんだ糸がほぐれて壮大な広がりをみせてゆく。のだが、このすすみ方に今イチ勢いがなくて、物足りなく感じてしまった。

どんな危機一髪の時も、波乱万丈な時も、守役の妖たちは、とんちんかんな位、若だんな一筋で若だんなにとことん甘い。その掛け合いっぷりは相変わらずで、場面にそぐわない心配性なセリフと、独特の間が、面白い。

気楽に見える若だんなにも、ひ弱な自分が店を継ぐことへの不安がくろぐろとうずまいている。

『どうにもならない事が起きたとき、どうしてる?』の問いに対して
『あちこちへ行くのさ』
『出来ることを増やしてるんだ。するともっと、やりたいことが出てくるから、不思議だよ』
という、心持ちが健気。

『「生れてきた者は皆、強いとこも弱いとこも、どっちも身の内に持ってるもんらしい」
だが、強いところ表に出すには、鍛錬がいる。』
その鍛錬の一歩目が、若だんなの言うように、「出来ることを1つずつ増やす」ことなのではないだろうか。

人を、どうしようもない弱い生き物として描きつつも、強さも持っているとして、そのためには、できることをまずやろう、その一歩の大切さを教えているのかしら、と思う1冊。
青臭いけれどもこういうテーマがあるのがしゃばけシリーズのよいところ。だが、今回は長編の割に、そのテーマがあまり色濃く出ておらず、ハッと胸をつかれるようなエピソードとからんだ表現が少なかったように思える。
守り人シリーズが好調な上橋菜穂子の、別な物語。
守り人シリーズの方がシリーズ化されていて話が長いだけあって、壮大。比べると、こちらはやや地味。ながらも、日本的な美しい風景を、キレイな言葉でつづってあって、絵画的なところが魅力的。
あとがきに作者自身が書いているような
『夕暮れの枯野、浅い春の宵闇に漂う梅の香り、そして薄紅の雲のようの桜』
というようなものたちが、うっとりする描写で書かれている。

●隣り合う春名の国と、湯来(ゆき)の国。先代領主らが水源地をめぐって争い、それは呪いによる陰惨な戦いに発展し、関係者の怨みばかりが深くなっていった。
そんな時代。春名の国に住む少女・小夜は、実はこの争いに深い関わりを持つ者だった。そうとは知らず、祖母と2人、集落のはずれでひっそりと暮らしていたが、幼い頃に犬から助けた狐(実は霊狐)の野火と共に、この争いに巻き込まれてゆく。

小夜も野火も、思わず微笑んで応援してしまうような、とてもやさしくて健気で、つよい芯を持った子供たち。こういう清らかな少年・少女をかかせたら、上橋菜穂子はとても上手い。
守り人シリーズに登場する、少年皇太子・チャグムを思い出す。

両家の憎しみは、終わらせることができるのか?

ついこないだ読んだ「灰色のピーターパン」の中の「野獣とリユニオン」では、短編だったので、あっという間に解かれた「こりかたまった憎しみ」が、この本では1冊かけて、ゆっくりと、どうなってゆくかが描かれている。
ものを書く人ならば、「憎しみって持ち続けてよいものなのか?」というテーマを、一度は書いてみるものなのかもしれない。
しゃばけシリーズ7作目。
母上が買ったハードカバーをもらいうける。
自分では文庫本しか買わないため、5作目「うそうそ」6作目「ちんぷんかんぷん」は未読のままだ。
おなじみ登場人物なので、2冊くらい間が抜けていても問題ない。

どうも今回は物足りなかった。
小事件が起きて、若旦那がそれに関わって、妖たち大げさにとんちんかんな世話をやいて、全体的にのほほんとした、それだけで終っているような・・・その雰囲気がこのシリーズのよさなのだが。
飽きてしまったのか、染み入るような感動が物足りない。期待感が大きいのか。
料理と同じで、本の味も、読んだタイミングで変わるから、また別の機会に再読したら印象も変わるかもしれない。

「餡子は甘いか」
という話が、唯一じんわり来た。

若旦那の幼なじみで和菓子屋の跡取り息子・栄吉は、天才的にあんこ作りがヘタ。でも菓子作りは大好きで、いつか・・・!とへこたれずに修行の毎日。
しかし全然上達しない。
そのさなか、何度も何度も、「自分には才能がないのでは?」「こんな事をやっていて生活していけるのか?稼げるのか?」とリアルな悩みを持ってしまう。
自分の努力が報われない時に、人にそれを指摘されれば、それはヘコむ。
それでも健気に『諦めたらそのとき、おしまいになる。己を疑うな。大丈夫だ。』とがんばっていても、諦めたら駄目だとわかっていても、どうしても頑張れない時は、ある。
それは、自分が苦労している横で、大して苦労もせずラクラクとそれを達成し、周りの人にもそっちが評価されてしまった時。

それでも、栄吉は立ち直った。
そして最後は、菓子の師匠にも認められた。
『何事に付け、やり続ける事が出来ると言うのも、確かに才の一つに違いないんだ。お前さんには、その才がある』
『結局、(器用にこなして上手にできるようになる人よりも)修行の先にある菓子作りの面白みを知るのは、お前さんの方かもしれねえなあ』

山岸涼子のバレエマンガ「アラベスク」を思い出した。
ロシアの田舎バレエ学校の落ちこぼれ生徒だったノンノ。秘めた才能を見出され、バレエ界をかけ上がる。そこで出会ったライバル、天才少女ラーラ。
ラーラが一度で踊れるものを、努力型のノンノは、何度も何度も叱られ、苦しみ、悩んで練習また練習。この2人が勝負して、ノンノがきわどく勝利するが、ラーラはあっさりバレエをやめる。
あれだけ才能があるのに・・!と憤りすら感じるノンノに、ある人が、石にかじりついてでも得たモノを、人は決して手放さないが、苦なく手にしたものは、惜しいと思わず捨てることができるのかもしれない、と言う。

あきらめて努力し続けても、達成できない事はある。
人生は有限なのだし、だから簡単に、「あきらめるな」というのが良いとは限らないけれど、でも、しゃばけシリーズでは、これでよいと思う。この本は、そういう美しさを持ち続けてほしい。
池袋ウェストゲートパーク シリーズ6冊目。
リズミカルで軽快な文章が相変わらずで心地よい短編集。

池袋でトラブルシューターとして名を馳せてきた主人公マコトの元に、さまざまな依頼人が訪れる。
ヤクザ、ストリートギャング、警察にまで多彩なマコトの友人が丁度良くからんで、あっという見事な方法で片を付ける。
というストーリー展開はマンネリ化しているのだが、その過程で、『世の中にはいろんな人がいて、どんな人もそれぞれに幸せになる権利があるんだ』というこのシリーズのテーマ(だと私は思っている)がブレず、きっちりと、表されていて、またその表し方が、とてもいい物語になっていて、安心して読める。

「野獣とリユニオン」が特によかった。

加害者にも事情があって別な被害者だったとして、「被害者は加害者を許せるのか?」という、ありきたりなテーマ、そして「許した方がいいのでは」というありきたりな回答なのだけど、それを見せる物語がよくて、ストレートなストーリーで、あまりヒネリもないのだけど、単純な私はすっかりやられてしまった。

『ぼくたちはよく犯罪者のことを、あんなのは人間じゃないといういいかたをするね。もちろん、どうしようもないケダモノがいるのは確かだけど、みんながそうだとは限らない。ぼくを襲った相手が、理解不能なケダモノではなく人間だとわかれば、憎しみの気もちが変わるような気がするんだ』
『相手を人間じゃないものにして、恐れたり憎んだりし続けるのは、きっと自分の心のためによくないと思う。(略)憎しみの場所にいつまでも立っていたくない。まだあいつが憎いけど、それを越えていきたい』

すごくストレートで立派で感動的なこの台詞。
こんな台詞、いかにも物語風にキレイゴトなのだけど、このストレートさが、この物語によく合っていて、それを「嘘くせー」と思わせずに一気に読ませるのが、さすが。
35歳の中年男が、アル中で入院し、病院でいろいろな患者や医師に出会い、また、アル中について考察するハナシ。
作者の実体験がかなり入っているらしい。

中島らもの文章は、飄々としていて乾いている。
だから悲惨なハナシもあまり生々しくなく、ドライな感じが読みやすい。
アル中の男についても、どこか他人事のような描写。アル中についての考察がまたドライで、それゆえに的確で面白い。作者がアル中だった時またはその後に、きっと、こんな事をどこか他人事風に、でも緻密に調べたり考えたりしていたんだろうなあ。

主人公は、不安やイライラを感じると、「酒をいま飲んだら・・」と考える回路ができている、と自覚する。
『精神病理学で言えば報酬系の回路が確立されてしまっているわけだ。(略)
酒をやめるためには、飲んで得られる報酬よりも、もっと大きな何かを「飲まない」ことによって与えられなければならない。
それはたぶん、生存への希望、他者への愛、幸福などだろうと思う。』

『人間はそれでいいのではないか。名前すらなく、飲んで飲んで飲みまくったあげく目詰まりした「アルコール濾過器」として、よく燃えて骨も残さない。きれいさっぱりとした「具体」であって何がいけないのか。どうして人はアル中であってはいけないのか。えらそうな「人間」でなくてはならないのか。』

作中で、久里浜式アルコール依存症スクリーニングテストというのがあり、
-5点以下:まったく正常
-5~0点:まあまあ正常
0~2点:問題あり
2点以上:きわめて問題多い
という判定で、主人公は12.5点。
私もやってみたら、3点。うーむ、「きわめて問題多い」のだろうか。

酒つながりで、この本にも、「「サヨナラ」ダケガ人生カ―漢詩七五訳に遊ぶ」で読んだ詩が出てきた。奇遇だ。この詩もとても好き。
「勧酒」という漢詩を、井伏鱒二が“戯訳”したもの。

この杯を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
文:◎

古代中国を舞台にした6つの短編。
いずれも、ちょっと幻想的で、ミステリアスな物語。この作者の静かな文体がよく似合っている。

1つ1つの物語のストーリーがすごく面白いかというと、そうでもないのだが、淡々とした穏やかな、でも清潔な色気のある雰囲気が好きで、再読してしまう。

何が色気かというと、どの話にも、ひどく魅力的な女性が出てきて、その描写がとても美しい。
漢字の使い方がとてもうまいなあ、と感心する。

女性の裸体についての描写は・・・
『女は息を呑むような美しさであった。窈(くら)さの底に横たわった全身から虹が立つようにみえた。』だとか。
『女の首が皎(しろ)く浮いた。』だとか。

ラブシーンはこんな感じ。
『淡いかおりが妻の領(えり)のあたりから立っている。そのかおりに添うように疾は妻の胸に手をいれた。
「あ、主よ」
妻は領のうえから疾の手をおさえた。そのしぐさにも夭々(ようよう)たるかおりがうしなわれていない。』

月夜に水浴する女性については、
『月光のせいであろうか、女の肌はこの世ならぬ美しさで、光って落ちる水滴は真珠のようにみえた。』

女性の髪については、
『月光が音をたててながれたかとおもったのは、髪がゆれたせいであった。』
だとか、だとか。

これが私と同じ「人間の女」というカテゴリに属する生き物なんだろうか!?と思うような美しさ。かなり大げさな描写だが、ずっとこんなのが続くワケではなく、大体がマジメな雰囲気の中に、ぽうっと光るようにこういう描写が潜むところがよい。

また、途中、こんな漢詩が出てくる。

桃の夭々(ようよう)たる灼々(しゃくしゃく)たるその華、この子ここに帰(とつ)げば、その室家(しっか)に宜しからん

『十五歳くらいの、美しさに艶がくわわろうとする少女』をうたった詩だが、この詩は、そういえば、「「サヨナラ」ダケガ人生カ―漢詩七五訳に遊ぶ」で読んだなあ、と再会をなつかしんだ。とても可愛らしくてメデたい感じがよくて気に入った詩の1つだった。
こういう本の世界での再会は、なにげに嬉しい。
全文は下記のとおり。

桃の夭夭(ようよう)たる
灼灼(しゃくしゃく)たる 其の華
之(こ)の子于(ここ)に帰(とつ)ぐ
其の室家(しっか)に宜しからん

桃の夭夭たる
有(また)賁(ふん)たり其の実
之の子于に帰ぐ
其の家室(かしつ)に宜しからん

桃の夭夭たる
其の葉蓁蓁(しんしん)たり
之の子于に帰ぐ
其の家人(かしつ)に宜しからん
作者名もよく見ないで適当買いした本が「あたり!」だと、とても嬉しい。この本は久々なそんな出会い。

イギリス発の未来SFファンタジー。
宮崎駿のアニメがよく似合いそうな、生き生きと冒険が描かれる映像的な作品。
日本SF大会に参加したSFファンの投票で決定される「星雲賞」受賞作。というから、人気もあるのだろう。確かに面白い。

60分戦争と呼ばれる戦争で荒廃した世界。
人類は、キャタピラのついた移動都市に住み、荒地を移動しては、他の移動都市を襲い、資源を奪う。
反移動都市連盟という一部の人々だけが、土の上に住み、移動都市の民からは「野蛮人」と呼ばれている。

時に、発掘により、古い文明の一部が垣間見える。
CDと呼ばれるキラキラ光る円盤だったり、アメリカの神だったと推測される「ミッキー」「プルート」という像だったり(こういうユーモアも面白い)、ストーカーと呼ばれる、人間の死体から作る兵器だったり・・・。

主人公・トムが居るのは、移動都市ロンドン。
(このように、現代の都市の名前をそのまま引き継いだ移動都市が出てきて、それぞれ、都市の特色が豊かで面白い。小技が効いている)
史学ギルドで下っ端の仕事をやっている最中のふとしたきっかけで、アコガレの人・史学ギルド長ヴァレンタインと知り合う。
そこから、物語が始まる。

ヴァレンタインを殺そうとする少女。
なぜ、立派な人物であるヴァレンタインが少女の恨みをかっているのか?
少女の顔についた、いたましい傷のワケ。

少女の襲撃を必死で止めたことから、トムの運命は大きく変わり、生まれて初めてロンドンを出て世界を放浪する旅に出る事になる。

大小さまざま多彩な移動都市。
空にうかぶ飛行都市もあり。
疾駆する都市どうしの争い。狩り。
発達した飛行技術。飛行船や飛行都市での戦闘。
発掘された古代兵器の暴走。
反移動都市連盟のスパイ。芽生える小さな恋。
目をつぶると、いちいちダイナミックな映像が浮かぶようで楽しい作品。

同じような感想を持っている人がいるのでリンク。やはり宮崎駿アニメを連想する人が多いようだ。

シリーズ4部作の1冊目。2冊目までは翻訳されて文庫が出ているようだ。

久々に本格ミステリーを読んだら、探偵になって犯人を追及する夢を見てしまった。

パリのどんより冷たい灰色の冬のさなかに起こる殺人事件で、協調される「赤」色が、くっきりと印象に残る。

<帰国は近い。裁きは行われるだろう。心せよ I>

20年も前にスペインでレジスタンスに参加して行方不明となった男からの手紙が、届いた。
そして首なし死体から始まる連続殺人事件。

不気味な手紙、現場に残る小さな謎たち、登場人物たち同士の旧い因縁と現在の関係、不可解な行動。様々な人物による幾通りもの推理。
うっとりするようなミステリーの材料だ。

食前酒「アプリチフ」
不在証明「アリビ」
簡単な生活「ラ・ヴィ・サンプル」

とか、ところどころにフランス語のルビがふられているのが異国情緒を高める。

犯人探しだけでなく、正体を伏せていた人物の過去や、20年前の事件の真相も明らかになったり、と、盛り沢山で嬉しい。

また、こうした推理小説としての愉しみ以外に、この作品には、現象学を学ぶ風変わりな探偵役の青年、矢吹駆と、その哲学が出てくる。
この作品は、連合赤軍事件によって体現されたテロリズムの意味を読み解くために書かれたとか。
「テロルの現象学」という同著者の評論で書かれたことが、ミステリーで表現されているようだ。

まず、現象学とは。
事件に対する論理的な説明ができたとしても、それが正解とは限らない。
論理的な説明は、何通りもできる。
その中から正しい答えを選ぶのは、人間の本質的直感を使えばよい、という。

本質的直感とは、人間が無自覚に日常的に働かせている、対象を認識するための機構。
例えば、円周率なんて知らなくても、「円」と「円じゃないもの」を判別できるのは、判別のための基準 = 「円の本質」をみんな知っているから。
これを、どう殺人事件の推理に当てはめるか?というあたりは、ちょっと無理やりっぽいのだが、「へぇ~」と思う新しさがある。

そして、この作品の殺人事件は、「観念による殺人」であった。
殺人には2つのタイプがあり、金や嫉妬や地位保全などの物質的欲望の充足と、個体の死を延ばそうとする自己保存本能によるもの。よくあるのはこちら。
もう1つが、観念による殺人。
人間よりもっと高い価値のために、神や、正義や、倫理のための殺人。
たとえば、「他の生物を無用に殺さない」という宗教の教えが浸透している男が、たかだか40億の人類のために、その万倍、億倍の生命が失われる事を知り、人類を滅ぼそうとする。これが観念の殺人。
それは善なのか?悪なのか?

最後に行われる、観念の殺人を行った犯人と、駆の、思想の対決。
駆は、犯人の思想に非常に共感はするものの、でも最後のところでそれは間違っている、と反駁する。そのコトバこそが、著者がこの本であらわしたかった思想なのだと思う。
暗く冷たく、でも最後には人を信じようとする、ユニークな思想を持つ駆。彼にまた会いたいという読後感で終わる。
本作はシリーズ第一作らしく、つづきがあるようなので、あとの楽しみができた。
最近、面白いと評判の作家さん、初めて読んでみた。
SFはあまり好きな分野ではないのだけど、これは面白いと思った。

太古の昔から、空に浮かんで存在し、波動を感知できる知的生命体。
ある飛行機事故がきっかけで、この生物が、人類の目に触れることになった。
こういう生物をリアルに考えてつくりあげるところがすごい。
この生物の面白いところは、人間が発する電波をキャッチし、人間について学び、言葉も理解できるものの、ただ1個の個体であるがゆえに、「集団」という概念がわからないところ。
この生物に、人間の集団=国家について説明したり、この生物が不本意にも分裂して集団になってしまった物語後半、集団としての意思の統一方法というものを真剣に教えるあたり、マジメに話していても、どこかバカバカしい雰囲気になるところが面白い。

老若男女が登場し、人間ドラマもなかなか華やか。
宮じいと呼ばれる、老人が、頭でっかちな知識ではなく、経験を経て身に着けた賢さを持っている、という漫画に出てくる長老のようで、いい存在感。

触ると刺されて飛び上がるほど痛い魚が、いる。
でもそれは、その魚たちがトゲを持っていることが悪いのではなく、触るほうが悪い。
宮じいが、触るなと教えているのに、わざわざ触る方が悪い。
だから、宮じいは手当てしてくれても絶対なぐさめない。
『やき、触られんと言うたろう。こっちがちょっかいを出さざったら、わざわざ魚のほうから刺しに来やせなあえ。』

面白いけど、文章や登場人物の会話が幼稚で、軽すぎて物足りない、という評もある。
ストーリーやセリフ回しが派手で、わざとらしさはあるが、それゆえに、映像化したら面白そう。

どんな奇抜なオチなんだ?と、ショートショートを期待して読んだのだが、この作品はふうわりと優しいファンタジーだった。その点がずれていたので、ちょっとがっかりな読後感。
平易で読みやすい文は相変わらず。

少年「僕」が、いろんな人の夢の世界をめぐる。
僕は、夢を見ている人の、現実の姿も垣間見ることができて、王子様が寝たきりの病人だったり、現実では華やかに笑っている人が夢の世界は悲しい街だったり、深い洞察だなあと思わされるのだが、ショートショートの過激さがなくて物足りなかった。

SFでもファンタジーでも、ありえない状況や見知らぬ世界を描くとき、だからといってデタラメでよいわけではなく、その中では筋が通っていたり、つじつまがあっていないと気持ち悪い。
放置すべきところは放置し、説明をつけるところはつける。
その創り方が、星新一は、やはりうまいと思う。

キャラ:◎
坊っちゃん文学賞受賞作。私にとっては2冊目の瀬尾まいこ。1冊目の「幸福な食卓」にあまり魅力を感じられなかったのだが、もう1冊、と手にとってみたこの本は大ヒット。この、本に対する、合う、合わない、の相性は何なのだろう?

みずみずしくて、可愛らしい文章がストーリーにぴったり。登場人物のキャラクターがそれぞれ魅力的で、気がつくと好感を持ってしまっている。こういう書き方ができる人は、ふだんから人のよいところを探せて、表現できる人なのだろう。著者は中学の現役国語教諭らしい。こんなあたたかい目で見守られる中学生がうらやましい。

●自分が捨て子だという疑う小5の育生(いくお)は、母親に、捨て子でないと言うなら、その証拠に「へその緒」を見せてくれ、と頼む。
あっけらかんとした母親は、卵の殻を持ってきて、「母さん、育生は卵で産んだの。だから、へその緒じゃなくて、卵の殻を置いているの」と言う。

明るくて、料理が上手で、息子への愛情を、言葉でも行動でもめいっぱい表現する母親。
自分は捨て子と確信しつつも、母親のあふれんばかりの愛情を一身に受けて、素直で優しくマジメな息子。
魅力いっぱいのこの2人の母子家庭の様子が、みずみずしい文章で描かれて、読む人を笑顔にさせる。

『すごーくおいしいものを食べた時に、人間は二つのことが頭に浮かぶようにできているの。一つは、ああ、なんておいしいの。生きててよかった。もう一つは、ああ、なんておいしいの。あの人にも食べさせたい。で、ここで食べさせたいと思うあの人こそ、今自分が一番好きな人なのよ』
なんて事を、私も自分の息子に言いたい。
母親のこの台詞、すごく好きだ。真実をついている。

『夕暮れでも海でも山でも、とことんきれいな自然と一人じゃないって確信できるものがある時は、ひとりぼっちで歩くといいのよ』
なんて事も言ってみたい。

私はまだ子育てを経験していないけれど、このハナシを読んで、子供を育ててみたい、と思わず一瞬思ってしまった。



吉川英治文学新人賞受賞作。読みやすく、言葉もストーリーも優しく、飄々としているけど切なくもあり、だけど私とはあまり相性が合わなかった。再読したいとは思わない。

●女子高生・佐和子は、父、母、兄、佐和子の4人家族。必ず全員そろって朝ご飯を食べるし、家族同士でいろいろ話をするし、お互いに愛情をもって接している。とても優しい。
でも、父親は自殺未遂の経験があるし、母親はそれによって父親と一緒にいることがどうしてもできない精神的な病で家を出ているし、兄は非常に優秀だけど何事にも真剣になれないでいるし、私にも問題がある。
だからと言って、家庭がすさんでいるわけではなく、家族はそれぞれ相手のことを思いやり、かわされる会話は穏やかで可愛らしい。

卵の緒」の方は、この穏やかで可愛らしい文章がぴったり来たのだが、この本は、内容的にはかなり深刻な話題を、なぜか淡々と優しい文章で書かれているのが、どうもしっくりこないのが、相性が合わなかった原因かしら。

本屋さんをぶらぶらして、知らない作家に手を出すときは、タイトルとオビと裏表紙のあらすじを見て決める。

"「女になんか生れるんじゃなかった」と思っているあなたに、ぜひ読んでほしいミステリー"
"本屋大賞2位作家"
というオビの文句と、探偵役が整体師という設定が面白そうだったので買ってみたが、盛り上がりに欠け、いまいちのめりこめず。

●一人暮らしを始めたOLの梨花子は、優等生でいい子ちゃん。手紙を開けられた跡があるなど、ストーカーの気配を感じ、おびえる。
アパートの両隣は、だらしなかったり、ハッキリものを言ったり、梨花子と違うタイプの女性で、どうも合わないし、職場で孤立したり、ストーカーに狙われたり、不穏な気配の日々が続く。

結局、それらの原因は、梨花子にもあり、事件が、というより梨花子の心が、解決へと向かうきっかけのシーンとして、整体師に「あなたは臆病だ」という旨の事を言われるくだりがあり、そこは印象的だった。

自分の身を守るために臆病であることは悪いことではないが、臆病であれば誰かが守ってくれる、と思い込む事は悪いことだ、と言う。
女性の中には、臆病であれば世界が自分を守ってくれると信じている人がいるが、臆病でも無鉄砲でも他人が守ってあげることはできない。
守られたい女や、女を自分の檻に閉じ込めたい男がつくった価値観や物語の罠にひっかかってはいけない、と。

女だからというわけではないが、私は、自分がいい歳してるくせに、まだ誰かが守ってくれる子供であるような気が時々していて、このくだりにちょっと胸をつかれた。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。