日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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ストーリー:◎
9つの奇想天外なストーリーの短編集。
動きがある展開が粋で、発想が面白い。起承転結がハッキリしていて、結びの部分が皮肉的で意外性や茶目っ気があるのがいい。

特に好きな3つ。

●「日の出通り商店街 いきいきデー」
日の出通り商店街には、年に1度、いきいきデーなるイベントがある。これは、「誰を殺してもいい楽しい祭り」。
ただし、暗黙のルールがいくつかあり、その1つに、
「己れの職能に関するノウハウをもってプレイすること」
が、ある。
そこはそれ、商店街だもの、中華料理屋は中華鍋と中華包丁を持って、天ぷら屋は煮え油を武器に、商店街をウロウロし、出会った相手と命を賭けて戦う。
そんな武器たちなので、戦いの様子も、どこかコミカル。

このぶっとんだ発想が、どこから出てくるのだろう?

●「掌」
同棲する男女の部屋のふすまについているシミ。
女性は、赤ちゃんが汚れた手でさわった後にカビが生えたものではないか?と言うが・・・。

最後のシーンがすごく映像的で、その光景を想像してしまってコワい。
凍りつくような、終わり方が印象的。

●「ラブ・イン・エレベーター」
新築ビルのエレベーターに乗り合わせた男女。
エレベーターはごくフツウに上昇を始めるが。
いつまで経っても、止まらない。
中の男女に正確な時間はわからないが、何日も、ひょっとしたら何年も、上昇を続けているのでは・・・?
これも発想が面白い。オチも洒落ている。
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北村薫、宮部みゆき、の二大ミステリー作家が選んだアンソロジー。
本屋さんで面白そうなモノばかり選んでいるとどうしても最近のわかりやすい話に偏ってしまう。
古くて地味な本にも、手を出してみたいと思ってもなかなか手がのびにくい昨今、こういうアンソロジーはありがたい。
以前読んだ同じ編者の「謎のギャラリー」シリーズがなかなか面白かった事もあり、購入。

展開が派手でわかりやすい作品ではないので、すっごく面白い!というパンチ力はないけど、2人の対談形式の解説付きで、「お、こういうの、アリだな!」と自分の好みを新たに発見できるのが嬉しい。

色んな作家の短編を1冊にして読むと、文章って本当に自由だ、と思う。
単なる文字の羅列が、「つめたーく静か・・」なのや、「アホくさいほどにぎにぎしい」のや、「淡々とコワい」と、千差万別な空気の物語になる。その世界を旅できるのが、アンソロジーのよいところ。「名短編、さらにあり」という続編もあるようだ。

●半村良「となりの宇宙人」:古アパートの近くに宇宙人が落ちてくる。何だかんだ言って気のいい住人たちに匿われ、「宙さん」と呼ばれ手当てを受ける。ほのぼのとややエッチでアホなオチで、落語の長屋モノのよう。

●黒井千次「冷たい仕事」:特にストーリーというストーリは無く、ある作業の快感を伝えるだけのホントの小品。料理と料理の間に出てくる小皿にのった口直しのような話。すぐ食べ終わる。

●小松左京「むかしばなし」:何となく好きな作品。何てことないごく短い話だけど、オチがちょっと洒落ている。オチを知ってから最初を読むと、ははあナルホドと思わされる、短いけどちゃんとショートショートしてる作品。

●城山三郎「隠し芸の男」:サラリーマンの哀しみとコワさ。私もサラリーマンだが、出世のために芸を身に着けておくような雰囲気を感じたことがなく、あまり共感できずこの作品の面白さがいまいちわからかった。

●吉村昭「少女架刑」:いちばん印象にのこった衝撃的な作品。冒頭の、雨滴をはらんだ蜘蛛の巣やら、軒から落ちる雨滴の音、地面に落ちた水滴の中の砂礫が滴の落下でこすりあわされる音・・・の静かで冷たいかすかな音の詳細な描写で、感覚が、特に耳が、研ぎ澄まされておいてから、私の死体がどうなってゆくかが語られる、死体による一人称の物語。死体の一人称は、乙一の「夏と花火と私の死体」で使われていたが、こんな先駆者がいたのね。
かなりグロテスクな内容だけど、ずっとシンとした静けさがはりつめていて、生々しい肉体感があまりないので、苦手な私でもまだ読める。
ラスト、静かな静かな音が、研ぎ澄まされた耳に響いて終わるのが、とても印象的。

●吉行淳之介「あしたの夕刊」:途中までエッセイみたいに進んで、昔の夕刊は翌日の日付で発行されてたという事実に「へー」と思ってたら、ラストはショートショートらしい終わり方。その展開、うまい。

●山口瞳:「穴」:ストーリーは全く面白くなく、そもそもストーリーなど無い、とも言える。登場人物の無秩序な名前と意味不明な言動が不思議な雰囲気をかもし出した世界を味わうべきなのか。こんな感じ。下記、[ ]でくくった部分がすべて人名である。名前なのかわからないようなものや、実在人物の名前が混ざり合う。
[偏軒]は、妻[イースト]のために庭に穴を掘り、[ドストエフスキー]が通りかかって、妻の[風船]が行方不明で、娘の[ターキー]が自分で弁当を作ると言う。公務員の[トモエ]さんは、[偏軒]に[岩下志麻]や[吉永小百合]との仕事の話をする。

●多岐川恭「網」:ある人物の殺人を、いろんな人が試みては失敗する連作の1つらしい。連作として読むと、また何か仕掛けがあって面白いのかもしれないが、これ1編だけでは、マヌケな男の単なる犯罪失敗談でしかなく、イマイチ面白さわからず。

●戸板康二「少年探偵」:ある町で、足立君という少年が、身近な事件を次々になんなく解決する、タイトル通り、少年探偵モノ。謎も解き方もあっけなく、さらりと終わってしまい物足りない。

●松本清張「誤訳」:理屈っぽいストーリーを、この短さでキレイにまとめてるところが、さすが。この人の文は重さがあるけど読みやすくて好きだ。

●井上靖「考える人」:終戦後まもない漁村で、私が初めて見た木乃伊(みいら)は、ロダンの「考える人」のポーズをしていた。何故、そんなポーズをしているのか?という解答を、私が想像するまでの、物語。その解答は、宮部みゆきが思わず太線を引いてしまい、「若い人にぐいぐい読んでほしい」と言うモノ。宮部みゆきの作品にただようテーマにもなっているのかもしれない。

●円地文子「鬼」:女の中にひそむ鬼、というのは割とよく書かれるモノだが、円地文子と言えば(読んだ事ないけど)源氏物語の現代訳本を出した一人。女性モノには強そうなイメージが何となくある。ストーリー展開は難がなく実になめらかで引き込まれる。ストーリーと言い、雰囲気と言い、山岸涼子の漫画にありそうな感じ。

ストーリー:◎

2007年に啓文堂書店おすすめ文庫大賞に選ばれベストセラーとなった短編集。
『これを「おもしろくない。」と言うならば、もうおすすめする本はありません。』という強気なオビの文句に惹かれて購入。

タイトルから、ほの淡いファンタジーを想像していたら、全く違った。
星新一のショートショートを彷彿させる、日常生活を描いてるようで、読み進むうちどこかがズレてゆく奇想天外な物語たち。

郊外に買ったばかりのマイホームで、妻が「だれかいる」と言い出す。
夫は、出産・引越しと立て続けに忙しかった妻の幻覚だと相手にしないが、ある日、自身が、深夜に、洗面所で歯を磨く見知らぬ男に遭遇。
男は「どうも」と挨拶し、床下に消えていった。
床下に見知らぬ男が住んでいる。超・異常事態なのに、なぜかすんなり受け入れてしまい、まあいいかと放置することに、なるのだが・・・・。

こういう物語は、あらすじを書けないトコロがつらい。

主人公である夫は、仕事が超多忙。
定時で帰ろうと思った日も、満員電車で出勤したら一服する間もなく早朝会議、得意先からのクレーム電話が次々とかかってきて、電話に会議に来訪者の応対、気がつくと夜の九時、さらにそれから出張の準備・・・・・。
妻と子と、一緒にいる時間もない。
それを妻に、糾弾される。

『あたしたちを養うために、あたしたちといっしょにいられない。それって一見、理屈が通ってるようにみえるけど、でも、それじゃ、なんのためにあたしたちは結婚したわけ?なんのために家族になったわけ?一緒にいたいから家族になったのに、その家族を維持するためにいっしょにいられない。そんなのって、どこかおかしいと思わない?』

この指摘、するどい。

全編をとおして、働き方と家族のあり方についての物語である。
ユーモラスな雰囲気、簡潔で読みやすい文章とヘンなストーリーが楽しくてサクサク進むが、ふと立ち止まると、するどい風刺を感じ、思わず考えてしまう。
わかりやすい物語にするためか、登場人物の意見はどれも極端で、あまり感情移入できないが、ショートショートらしく、共感して読むというより、自由な発想のストーリーを楽しめば面白いと思う。


キャラ:◎

日本ファンタジーノベル大賞受賞作。
京大農学部休学中5回生、という身分の愛すべき若者、というか、バカ者が主人公の青春小説。

彼の生活は基本的に、女っ気ナシ。
作中の表現を借りて表現すると、

『あらゆる意味で華がなかったが、そもそも女性とは絶望的に縁がなかった。(略)
しかし、私が女ッ気のなかった生活を悔やんでいるなどと誤解されては困る。自己嫌悪や後悔の念ほど、私と無縁なものはないのだ。かつて私は自由な思索を女性によって乱されるのを恐れたし、自分の周囲に張り巡らされた完全無欠のホモソーシャルな世界で満足していた。類は友を呼ぶというが、私の周囲に集った男たちも女性を必要としない、あるいは女性に必要とされない男たちであって、我々は男だけの妄想と思索によってさらなる高みを目指して日々精進を重ねた。』

ハイで皮肉で自虐的な文章が、楽しい。
どう見ても、本当は彼女が欲しいのに、それを表では認めず、見栄っ張りで頭でっかちなムサ苦しい大学生活。
著者が京大の大学院在籍中の作品であり、サークル、飲み会、下宿、研究室・・・・と、その描写は、実にリアル。
私がいた仙台の大学の理学部での生活を彷彿させる。

主人公はしかし、3回生の時に、同じクラブの後輩「水尾さん」とつきあっていた。
そして、フラれた。
決して未練などない、と書いてあるけど、その行動はどう見ても、未練たらたら。
ストーカーまがいの行動にも「これは研究」と理屈をつけて、正当化しつつ、彼女に恋する新しい男とアホな戦争をして、似た者仲間たちと妄想をくりかえし、反クリスマス同盟なぞ結成して・・・・・

で、結局何が言いたいの?というと、水尾さんへの恋と失恋と再生の物語、なのかしら。

アホな生活を送れば送るほど、ちりばめられる水尾さんの描写が、愛にあふれていて切ない。
水尾さんは回想シーンでしか出てこないのだが、彼の回想する水尾さんは、とにかく愛らしい。それが切ない。

『駅のホームで歩行ロボットの真似をして、ふわふわ不思議なステップを踏む。』
『猫舌なので熱い味噌汁に氷を落とす。』
『きらきらと瞳を輝かせて、何かを面白そうに見つめている。』
『何かを隠すようにふくふくと笑う。』

何がファンタジーなのかというと、主人公の妄想世界が、現実アホ世界と折り重なって、境目がよくわからなくなるドサクサに、主人公は二両編成の叡山列車に乗って、水尾さんの夢の中へまぎれこむ。ごく自然に。
ただそれだけなのに、この淡い夢の世界の印象は、あとまで尾を引いて、心に残る。

実はこれは二度目の再読である。一度目は★3つくらいかしら、と思っていたが、再読したらけっこう面白かった。本の印象は、その時ドキで変わるって事でしょうかね。


文:◎、キャラ:◎、ストーリー:◎

・・・・感動。
人が、こうも見事に生きられるものだろうか?
古代中国、斉の国の名宰相とうたわれた晏嬰の物語である。

あとがきに、
『歴史小説は感動を書くものだといわれる。
そうだとすれば、自分の魂をゆさぶった人物を書くべきであろう。
わたしにとって晏嬰はまさにそのひとりであった。』
と書いてあるが、著者の感じた魂のゆさぶちは、たしかにこの本を通じて受け取れる。
見事な生き方、そしてそれを見事に描写した、傑作、である。

古代中国、春秋時代。
大小さまざまな国が群雄割拠し、国同士の外交あり、戦あり、国の中でも大臣同士の殺し合いやクーデターもしばしば、という慌しい時代に、どんな権力にも暴力にも屈せず、正しくNOを言い続けた清廉な人物で、その芯のとおった清々しさは、すばらしく心地好い読後感を与える。

春秋左氏伝、晏子春秋、史記、といった史料が元になっているようだが、それらの書に、晏嬰の人生がこうも詳細に書いてあるワケではないだろう。その史料に向き合い、感じた感動をあらわせるような生き生きとしたエピソードをつくりあげ、書き上げたトコロがすごい。

名場面をあげればキリがないが、晏嬰が、「君主からもらった褒美を辞退する理由」もその一つ。

過大な欲は身を滅ぼす、という。
富には適切な幅があり、それをこえるとかえって不便・不幸になる。
利の幅を守っていれば災いにかからない、だから辞退する、と言う。

しかし、人の幅とは、境遇や身分で変わるもので、天から定められた絶対の幅を見極められるのは億人に一人だろう、と著者は書き、晏嬰はそれに当たっている、と書く。


前半は、晏嬰の父、晏弱の物語で、これもまた、面白い。
賢く、機知に富み、戦の天才。
この父親が、隣国を攻めて見事傘下に収める逸話、敵との頭脳戦あり、剣を交えた戦い以外の活躍もあり、スペクタクルで痛快。

晏弱は、奇抜な戦法をいったいどこから思いつくのか?という疑問に対して、晏弱の部下が語る。
同じ場所を攻めた前回、晏弱は将軍ではない立場だったが、もし自分が将軍だったらどう攻めるか?と考えていただろう、と。

『ある立場にいる人は、その立場でしかものをみたい。が、意識のなかで立場をかえてみると、おもいがけないものがみえる。それを憶えておき、いつか役立たせるということである。』

たくわえてきた記憶は、その機会がきたとき、時のたすけを得て、知恵にかわっている、その知恵が、晏弱には豊富にそなわっている、ということ。
ははあ、勉強に、なります。


キャラ:◎ ストーリー:◎

守り人シリーズ4作目。
これまでと趣き変わって、3作目までの主人公・女用心棒バルサは出てこない。
代わりに、14歳になった新ヨゴ皇国・皇太子のチャグムが、隣国サンガルの新王即位式に出かけ、そこで国同士の陰謀そして戦いに巻き込まれる、というハナシ。

シリーズおなじみ、現世界のウラに存在する異世界ナユグも関わってくる。

3作目でちょっとマンネリ化したかなーと思っていたが、どっこい、本作で一気に世界が広がり、いろんな国が登場し、国際的に広がりを見せ、新しい展開に引き込まれる。

これまで、新ヨゴ皇国のほかに、2作目で北の国・カンバルが登場し、国のオリジナリティというか、地理・民俗・国民性などの個性をあざやかに描かれていたが、今回は、南の国に世界が広がる。

海、風、花の色彩の濃い描写が、いかにも南国。
風土だけでなく、王家の成り立ち、それによって王家と民の関わり方もまた全然違う。
そこが、おもしろい。
そして、何よりもワクワクするのは、1作目からなじみの皇太子チャグムの立派な成長ぶり!
王族としての気品、社交性を身につけ、駆け引きもできるようになり、でも大切なモノを失っていない。

国の一大事に、漁民の娘の命など、チリほどに軽い。
隣国サンガル王家の人々も、新ヨゴ皇国の帝であるチャグムの父も、そういう考え。
反して、チャグムは、その小さな命を見捨てることができない。
それは、皇太子としては危ない思想であることも承知している。
周りの人を、さらに大きく言えば自国を、危険な目に遭わせてしまうかもしれない危うさをもっている、それでもチャグムは配下のシュガに約束させる。

陰謀を知りながら、人を見殺しにするようなことを、決して私にさせるな、と。

『政は、人の情けさえも道具として使う。それをシュガは当然のことと思ってきた。
だが、この皇太子の身のうちには、輝く玉のような清いものがあった。』
そう思ってきたシュガもやがて、
「清い、輝く魂を身に秘めたままで、政をおこなえる方がいることを、私は信じます」
と言うようになる。
まっすぐな気性のチャグムと、それを愛しつつも冷静でチャグムを止める事もあるシュガ。よいコンビ。この先が楽しみ。

そしてチャグムは、考える。
異世界ナユグと、現世界サグ。
時々起こる2つの世界の重なり、そして、それを感じる人が稀にいる。
それには何の意味があるのか?
大きな壮大なめぐり・・・・自分をはぐくむ世界は、どうめぐっているのか?
しかし世間の人々は、そんな事には無関心で、日々、人とどう関わるか?国をどう動かすか?陰謀や戦にばかりにとらわれている、と。

今後、このシリーズにおいて、チャグムは、世界の壮大なめぐりを、解き明かすのではないだろうか?と期待される。
日々の政を、清い魂で行っていくうちに、いつか、そんな日が来るんだろう。
その時には、今回はまったく登場のなかった、前作までの主要キャラであるバルサやタンダ、トロガイといった人達も、関わるんだろう、きっと。
楽しみ、だ。
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