日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

キャラ:◎

噺家・柳家小三冶の、18編のまくら集である。

まくらとは、本人のあとがきによると・・・
「噺の枕というのは、落語の本題に入る前のイントロで、こんなにいろんなこと長く喋るものではないのです。短い小噺をひとつふたつ喋っておいて、ポンと本題に入るのが江戸前てぇなもんです。本題に自信がないので独演会などの時にぐずぐずごまかしのためにやり出したのです。」
とあり、これがしかし、本題の落語より面白い!と言われるほどで、とうとう本になった。
私はこの著者の落語を聞いた事はないが、まくらは確かに面白かった。

まず、噺家コトバそのままの文体が、いい。ほどよい茶目っ気と柔らかさ。
『以前は外国へ噺家が行くなんてこたぁもう、今で言えば月の世界、火星の世界へ行くような、そんな感じがしたもんでございました。』
などと始まり、その内容は、多趣味で好奇心旺盛な著者の性格を反映して、さまざまな分野にわたる。
それでそれで!?と聞きたくなってしまう、著者のとる行動、思考の行く先。
そして、どれだけ多分野にわたっても、一本筋が通っていて、何の話をしていても、ブレない価値観をもっている事を感じさせる。

・日本人は豊か豊かと言われるけど、アメリカの失業者は、失業保険で生活しながら、庭もプールもある生活。失業しているワケを聞くと、「今おれに合う仕事がないから」と。「合う仕事が出てきたらバリバリ働く」。日本人は何人が、合う仕事をしていると言い切れる?

・外国のホテルのフロントで、ルームナンバーが英語で通じた!それだけで、「オー世界に国境はない」と大喜び。ちょっと通じる、くだらないことだけど、とても嬉しい。

・10年かけて映画を字幕ナシで見れるよう、英語の勉強を志す。字幕に出てこないものを見逃したくない。アメリカ人が涙する一言で涙し、笑うとき一緒の笑いたい。五十の手習いで、単身アメリカの英語学校へ。

・今の子供に涼しいものはナンだ?と聞くと、クーラー、扇風機と答えるだろう、でも本当に涼しいのは山の中とか川のせせらぎだ。大人が忙しくてそれを教えてあげられない世になっている。

・人の一生は子どもの時に決まる。後から性格を変えるのは無理。生れついた性格で爪弾きされるなら、開き直ろう、爪弾きされる楽しさもある。

このように、一つ一つは、他愛もないエピソードなのだが、著者の口調で読んでいくと、ハマる。
そして、「幸せって何だろう?」という考察もある。
その結論は、大層なものではないが、この語りの流れで読むと、胸にすとんと落ちて、いい気分になれる。

空飛ぶ馬」やら「ハナシがちがう!―笑酔亭梅寿謎解噺」やらこの本やら、落語に関わる本を読んでいると、実物を聞いてみたくなる。ちょうど、誕生日を迎える友人が、落語を見てみたい、とつぶやいていたので、誕生日のイベントで、一緒に落語を初体験。新宿の寄席「末廣亭」に行って来た。
イヤなかなか面白かった。話し方も、笑わせ方も、枕も、人それぞれ個性がある。
ちょうど、春風亭柳橋という方の襲名披露公演中で、「ま・く・ら」にも出てくる、襲名される噺家さんへの同期や先輩からの口上なるものがあり、面白くもあたたかい言葉たちで、微笑ましかった。

柳家小三冶のナマ枕も(噺も)いつか聞きに行ってみたい。



スポンサーサイト

ストーリー:◎ キャラ:○

佐藤賢一作品で、ベスト3に入る傑作。直木賞受賞作でもある。
解説で紹介されている審査員の井上ひさしの感想「おもしろくて、痛快で、おまけに文学的な香気と情感も豊か」がまさにピッタリ。

●時は、中世。フランス王ルイ12世は、醜女と名高い王妃と別れ、広大なブルターニュ公領を持つ未亡人との再婚をねらうため、王妃に対して、離婚裁判を起こす。
この時代、カトリックで離婚は認められていない。
離婚したければ、「結婚の無効取消」をねらうしか、ない。

どうすれば、キリスト教の法にてらして、「無効」とできるのか?

主人公は、裁判を傍聴しに田舎から出てきた弁護士。
この著者の作品によくある、昔はかがやいていたダメ中年。この物語は彼の再生物語、でもある。
かつては、パリ大学で英名をとどろかせた学僧だったが、おちぶれて今や片田舎の弁護士。
これが、ひょんな事から王妃の弁護をすることになり、圧倒的な劣勢から、その冴え渡る知性と現場で磨いた凄腕で、裁判をひっくり返そうとする、法廷サスペンスだ。

「インテリは権力に屈してはならない」と、息巻いていた学生時代のように、敢然と国王とその手下たちに楯突く主人公。
「新しい弁護士は、俺だ」と、傍聴席から立ち上がり、後輩である学生達の喝采を受けて弁護席に立ってからは、まさに痛快。

どうすれば、キリスト教の法にてらした「無効」をはねのけられるのか?

専門知識を駆使し、場の空気をつかむ駆け引き。
そして、教会裁判で使われるラテン語で緻密に検事側を追い詰めつつ、記録には残らないフランス語で、「美人じゃないから、やらなかったなんて、どう考えてもインポ野郎の言い訳じゃねえか」と、傍聴席の民衆を沸かす。傍聴席は爆笑しながら、下品な野次で応えてくれる。
検事側はますますうろたえる。
ここらへん、実にエネルギッシュで面白い。

そして。
キリスト教において、夫婦とは、結婚とは、セックスとは?
若かりし青春の日に、最愛の女を失った主人公の考える、考え続けてきた、男とは?女とは?愛とは・・・?

解説にもあるが、登場する2人の女性の描写がこれまたステキ。
主人公の昔の恋人、ベリンダ。美人でおしゃべりで愛らしく、生命感にあふれている。
かたや、王妃。醜女と呼ばれるが、濃い色の地味な服に頭巾をかぶって、印象は暗いが、孤立無援の中、穏やかにしかし頑なに離婚を認めない、高貴な凛とした強さ、そしてその中にひそむ弱さが、後半には愛らしく描かれ、どちらも魅力的。

主人公・ゆいかは、初めて見た芝居に感動し、その劇団に入るべく、大学を入学を機に上京。アコガレの劇団に入団を果たす。
演劇の聖地・下北沢を舞台に、ゆいかの入った、実力はあるのに人気がイマイチな弱小劇団が、だんだんと出世し、それに伴い8人の団員の間で、さまざまな人間関係のトラブルが起きる様子がテンポよく軽やかに描かれた、読みやすい作品。

貧乏だけど、情熱的な偏った大人たちをあたたかく語る、ゆいかの無垢な視点がよい。

今までゆいかの周りの同世代にとって、「夢」とはファッションの一部のごとく、「非現実的で、ちょっとセンスのいい」もの。「本当に叶えたいもの」ではなかった。
それが、劇団員たちは、1万円にがっつくような貧乏生活でも、演劇の夢を追い続け、「S・U・N.・D・A・Y・S、下北サンデーズ、ファイト!」と、劇団名のエールを恥ずかしげもなくやれてしまう。

入った大学でも、同級生達は、互いに控えめで、相手に失礼があれば「飛び上がるようにして謝るか、徹底して無視」という、希薄な関係。
対して、劇団員たちは、本気でぶつかり、愛し、人間同士の距離がとても近い、とゆうかは感じる。

小学生の将来の夢が「サラリーマン」などという現代に、夢があるって、好きな事って、こういう楽しいコトなんだ!それはお金で手に入るモノじゃない、とコトバで書くととても陳腐になってしまうことを、著者はこの作品で言いたいのかもしれない。

これを読んで、今まで芝居なんて見たことなかった人が、「芝居を見に行きたい」と言い出した。この作品が、どこまで実際の演劇界に近い真実を書いているのかはわからないが、読むことが、ふだん近寄らない世界への入り口になるのも、本の良いトコロ。
キャラ:○ ストーリー:◎

「僕」が中1の夏、僕の一家が、見ず知らずの男から5億円を遺贈される事件「今夜は眠れない」、の続編。

●僕が、恋をした。
その相手、大好きなクラスメイトのクドウさんが殺された!?
と思いきや、被害者はクドウさんに良く似た従姉。
でも、そのせいでクドウさんも無責任な噂にさらされ、元気をなくしてゆく。
見かねた僕は、沈着冷静で聡明な親友・島崎と、彼女を元気づけるべく、事件の真相をさぐる。

無駄のないストーリー運びで、一気に読まされる。

僕の目、ひいては宮部みゆきの目は、実によく人を見ている。
クラスメイトに対しても、犯人に対しても、被害者に対しても。

そして、犯人と、被害者。
そこに殺人があっても、宮部作品では「どのように殺されたか?」トリックは、あまり重要ではなく、長いページを割いて書かれるのは、「どうして殺されたのか?」

犯人はどんな人なのか?
どんな理由があったのか?
被害者はどんな人だったのか?何を考えていたのか?どうして殺されたのか?

宮部みゆきがそこにこだわるのは、作中に出てくる、犯罪に対する下記のような考え方のせいなのかもしれない。

「ロッキード事件を転換点に、日本にはよいイミでも悪いイミでも『絶対の権力』がなくなり、犯罪は、本物の陰謀とか社会悪というものではなく、個人の心のなかだけに筋の通った動機や申し開きのある、行きずり型になってきた。
国をゆるがす陰謀や、社会構成から生まれ出る不公平や貧困、あるいはイデオロギーに突き動かされた結果ではなく、個人の心の欲望とか欲求という、きわめて基本的だけど、ある意味では外部の人間には永遠にわからないものから生まれている。」

「推し量ったり解釈はできても本当に理解することは不可能」と言いつつ、でも宮部みゆきは、それを個人のことなんてわからない、と放置しないで、例え1つ1つ小さなことでも取り上げて考えて、理解したいからなのかしら?と思った。


親友・島崎は、前作につづいて名参謀役。
だが、今回は、途中から様子がおかしくなる。
僕に隠し事を、している。
それもなんだか、悲痛な様子で。

僕はそれに怒り、事件の真相とともに、親友が隠していた事実もつきとめる。
自分のために隠してくれていたことも。

ラスト。人生の真冬の直撃をくらって吹雪が荒れる傷心状態で帰宅した僕を、島崎がマンションの入り口で待っているシーン。
ごくごく短い会話をかわすだけなのだが、ああ、男の子の友情っていいなあ、と言葉にすると俗っぽいけど、そういう風に思ってしみじみ終わる名シーン。


文:◎ キャラ:◎ ストーリー:○

「ローマ人の物語」シリーズ中で最も面白いのは、「ハンニバル戦記」「ユリウス・カエサル(ルビコン以前)(ルビコン以後)」だと思う。そのうち、「ルビコン以後」は、「ユリウス・カエサル」の人生後半部分を描いたもの。

●元老院から「国家の敵」と通告されたのに反旗をひるがえし、国法で禁止されている「軍団を連れたままルビコン川を渡りローマ国内に入る」を実行したカエサル。敵対勢力・ポンペイウス率いる元老院派と内戦の末に勝利をかちとり、ローマに凱旋。ローマに平和が戻り、カエサルは独裁者として、長年の目標であった、衰えかけたローマの統治力を強化する改革を次々にすすめる。

この改革の内容を読んでいくと、カエサルは、何と創造的な人であったのか、と驚く。
宗教、政治、食料、安全、生活の向上・・・あらゆる分野で、今後のローマが発展すべく、礎をきずいていゆく。戦えば勝つ、政治改革はやる、1人の人物が、軍事、政治の両面でここまで才能を発揮できるものなのか。
「歴史はときに、突如一人の人物の中に自らを凝縮し、世界はその後、この人の指し示した方向に向かうといったことを好むものである。・・・(略)・・・これら偉人たちの存在は、世界史の謎である」という本書で紹介されているブルクハルトの言葉にまさにふさわしい。

改革の最中に、カエサルは暗殺されてしまうのだが、暗殺したのは、かつて内戦でカエサルと戦い、敗れたが許されてその後もローマで政治にたずさわっていた者たち。
カエサルは、内戦の敗者を決して罰しなかった。それは、カエサルが手紙にも書いたこんな思想から。

「わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている」

いやーこんな事を言い、実行できる男には、塩野七生だって惚れてしまう。
他人の考えを尊重する、とは言うは易しく、行うは難い事だ。それが自分の目標の邪魔になったり、ましてや命の危険になっても、であれば、なおさら。

塩野七生のカエサルへの愛情は相変わらずで、思わず惚れてしまいそうになる魅力的なエピソードもたくさん。

8年間ものガリア戦役を共に戦った、子飼い中の子飼いである第十軍団の兵士達が、内戦のさなかに、「給料あげてくれなきゃもう一緒に戦わないぜー」とストライキを起こした時。
カエサルはこれを一言でしずめる。これまで「戦友諸君」と呼んでいた彼らに対して、
「市民諸君」
と呼びかける。
「他の兵士達と戦いに行って、終ったら給料は払うから、安全な場所で待っててくれ」と言われた兵士たちは、立場一転、「連れてってくれ」「カエサルの許で戦わせてくれ」と泣き出す。
うーん、カエサル、かっこいい・・・。


ルビコン以後は、手に汗握る戦闘シーンはルビコン以前のガリア戦記に比べると物足りないが、カエサルが断行する改革で天才の創造を知るのが面白いのと、カエサルとアントニウス、2人のローマ男の愛人となる、エジプトの美しき女王・クレオパトラの存在が物語に華をそえる。
塩野七生は、クレオパトラを、頭はよく機知に富んでただろうが、本当の意味での知性があったかどうか疑わしい、と延べ、アントニウスを篭絡するはいいが現状認識せずに過剰な権力を手にしようとする浅はかな女として描かれている。
クレオパトラの言うがままに、ローマに不利益な行動を繰り返し、国民からも見捨てられるが、愛に生きて、愛する女の胸で死ぬアントニウスが物語としてはいちばんドラマチック。

ストーリー:◎

●女子大生<私>の母校の後輩が屋上から転落して亡くなった。それは事故? 自殺? あるいは…??
というストーリーだが、上の一文から想像されるようなミステリーでは、ない。
謎解きは非常にゆっくりだし、解かれてみれば、「何だ、そんな事か」という程度。
味わいたいのは、その過程で、<私>が出会う出来事、考える事、友人や謎解き役の噺家・円紫さんからの言葉…そういう一つ一つが、水が染みるように読む人の心にじんわりくる。

“紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る”
という古今集の歌が、あるお菓子の箱に書いてあったという話がでてくる。
後で、<私>が円紫さんを自分の生まれ育った町に連れて来ることになるのだが、そこで円紫さんのこのセリフ。

「もう何年かすると、あなたもきっと誰かをここに連れて来るのでしょうね。そして自分の歩いた道を教えてあげる。そのとき、誰かは、<<ここはどこの道よりも素敵だ>>と思うでしょう。一本の木、一本の草までね」

<私>は体がしびれる。
読んでた私も体がしびれ、思わず、本を閉じて反芻する。

北村薫の話は、決して美しいだけの物語ではない。
人の嫌な面や弱い部分も書かれているし、眉をひそめるようなつらいシーンもある。
ドラマチックに、都合のよい事だけが書かれているのではなく、物語のあくまで一部分として、上述のような珠玉のシーンが登場するのだ。
実人生だって、よいことばかりではないけれど、悪いことばかりでもない、そして時には円紫さんの言葉のような心ふるえる出来事もある。
北村薫の本は、それを思い起こさせてくれる。

「秋の花」は、北村薫の「空飛ぶ馬」「夜の蝉」に続く<私>と円紫さんシリーズの一つだが、それぞれ独立した話なのでこれだけ読んでも問題ない。

ローマ人の物語」、「ガリア戦記」、とカエサルのガリア遠征モノを読んだので、続けてもう1冊。
西洋歴史モノに強い佐藤賢一の「カエサルを撃て」を、再読。

私の中での佐藤賢一の傑作「カルチェ・ラタン」と「王妃の離婚」に比べれば、物足りない感がある小説だが、「ローマ人の物語」「ガリア戦記」はカエサル(ローマ)側からの視点なのに対し、この本はガリア側からのハナシなので、視点が変わって面白い。

カエサルのガリア遠征の最後を飾る決戦の相手、ウェルキンゲトリクスが主人公。
まとまることが苦手なガリアのほぼ全部族を、逆らう者を厳罰に処すという苛烈な方法でまとめあげてカエサルに立ち向かった美しい若者。

この本ではカエサルは、若い頃の情熱を失い、上手に生きてくだらない地位を守ろうとする、ダメなハゲ親父として描かれている。(ローマ人の物語とはエラい違い・・・)
何にでも気をつかってしまうお人よしの自分とは対照的に、全ガリア統一という目標に向かって、どんな残酷なことでもでき、自分を貫ける敵将の若者を、カエサルは美しい、と思う。
そして、自分がダメな男になっていた事を、認める。
認め、再生する。
佐藤賢一は、中年男の再生物語を書くのがうまい。これもその1つ、実は主人公はカエサルの方なのでは。

「」でくくられない部分にも登場人物たちのセリフがずらずらと続き、それが独特の文体になっているのが私は割と好きだが、好みは分かれるかもしれない。

文:◎ キャラ:◎ ストーリー:○

塩野七生による、ローマの誕生から滅亡までを描いた傑作名著「ローマ人の物語」。
このシリーズの中で最も面白いのは、文庫版で3~5巻の「ハンニバル戦記」と、8~13巻の「ユリウス・カエサル」だと思う。
これらの巻だけを抜き出して読んでもハナシはわかるので、友達に「面白い本ない?」と言われたらこの9冊だけを渡すこともある。

歴史本なのに、小説にも負けないドラマチックなストーリーと、登場する英雄達を実に生き生きと描く著者の筆が、「ハンニバル戦記」と「ユリウス・カエサル」を、盛り上げる。
特に、カエサルを書く著者の筆は、本当に面白い。著者は、きっとカエサルが大好きなんだろうと微笑ましくなるくらい。
カエサル自身の発言、まわりの評価、後世の歴史家のことば、著者自身の考えをおりまぜ、その魅力をあますことなく紹介してくれる。

「ユリウス・カエサル」は、カエサルの若い時からガリア遠征を描く「ルビコン以前」と、ローマの共和制打倒のために内乱をおこす「ルビコン以後」に分かれる。

ガリア遠征をカエサル自身が書いた「ガリア戦記」を私が読もうと思ったのも、この本を読んだから。

若い頃は、あまりぱっとしなかったようだ。
30歳を過ぎて、アレクサンダー大王の像を見て、彼が世界を制覇した年齢に達したのに自分は何もやってない、と反省し、ここから、広大になり統治システムがうまく働かなくなったローマ国家を変えるべく、その目的に向かって、ひたすら進む。
政界に進出し、自分も他人も利をこうむるやり方で、着実に出世し、有力者と手を組み、そして8年間にわたる遠征で、ガリアをローマの支配下におくことに成功。
ガリアの各部族との物理的な戦争がある一方でカエサルが倒そうとしている共和制をになう元老院との政治舞台での戦いがあり、ガリア平定後、元老院から最後通告をつきつけられ、ルビコン川を渡って国家に内乱を起こすか、元老院に従い志をあきらめるのか!?というところで「ルビコン以前」はドラマチックに終わる。

リーダーたるものこうあるべき、という理想像のようなカエサル。その言動は、現代の人が読んでも参考になるのでは。

どんなときも自信があり機嫌のよさを失わず、知性と教養にあふれ、ユーモアを忘れず、女にモテて、目的を達成するための合理的な考え方、部下へのいたわり・敗者への寛大さ(それも目的を達成するための手段かもしれないが)・・・・・。著者の書くカエサル像に、魅了され、ルビコン川を渡るときには、自分も一緒に戦いたくなってしまう。

何故カエサルが女にモテたのか?という考察や、借金まみれでも平気だったという彼のお金に対する考え方、なども面白い。

私財をためる事には興味のなかったカエサルだが、公共事業など必要なものには金をおしまなかった。そのために莫大な借金をしても、全く平気。
それは、あまりに多額の借金は、債権者にしてみれば債務者が破滅して取立て不能になっては困るものとなり、債務者を援助してしまうようになる、という人間心理をついた理由から。
事実、カエサルは多額の借金の債権者にさまざまな事で手を貸してもらっている。
金に飢えず、他人の金と自分の金を区別しない、お金に対する絶対的な優越感。
後世の研究者に「カエサルは他人の金で革命をやってのけた」と書かれる様な。
この一事をとってみても、タダ者ではない感じがステキだ。

ユリウス・カエサル。
英語読みすれば、ジュリアス・シーザー。

紀元前100年ローマに生まれ、建国以来続いていたローマの元老院議員らによる共和制統治に限界を感じ、帝政の礎を築いた英雄。

そのカエサルが、共和制打倒のために兵をおこす前、広大なガリア(現在のフランス)をローマ支配下におくべく、8年間かけた遠征の記録、それがこの「ガリア戦記」。
カエサル本人の手によるもので、政治家でも軍人でもあったカエサルは、文才もあったようで、「簡潔、明晰かつ洗練された文体」と名高い。

カエサルと同時代の文筆家・キケロによると・・・
「これらの巻はすべて、裸体であり、純粋であり、人間が身につける衣服にも似たレトリックを、完全に脱ぎすてたところに生まれる魅力にあふれている。
カエサルは、歴史を書こうとする者に史料を提供するつもりで書いたのかもしれないが、その恩恵に浴せるのは、諸々のことをくっつけて飾り立てた歴史を書く馬鹿者だけで、思慮深く懸命な人々には、書く意欲を失わせてしまうことになった。」


地名、人名、ガリアの部族名が、なじみにくいカタカナ(「ノウィオドゥーヌム」とか「ピートゥリゲース族」とか・・・)なのが非常に読みづらいが、確かに少ない言葉・的確な説明で、淡々と、戦いの様子、各部族とのやりとり・駆け引きのみならず、遠征先各地の文化・風習や、民族の違いを考察したり、読み応えあり。面白かった。

ただ、この本だけを単独で読んでいたら、何がなんだかさっぱりわからなかっただろう。
ガリア戦記にいたるまでの状況が実にわかりやすく書かれている塩野七生の「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」を前もって読むことをオススメする。
ガリア人側から見たガリア戦記、佐藤賢一の「カエサルを撃て」もあわせて読むと面白いかも。

カエサルがガリア総督をしているときに、あるガリアの一部族が大移動したために起こった混乱から始まる戦いを皮切りに、収めてはまたおこるガリアの反乱を各地で鎮め、兵士達を叱咤激励しながら、ゲルマン(今のドイツ)やブリタニア(今のイギリス)にも遠征し、最後はガリアのほぼ全部族が一斉に起ち、ローマ軍5万、ガリア人30万の大決戦に苦戦しながらも勝つ、という一大戦記。

なのに、最後は実にあっさり終わる。
「この年のことがカエサルからの手紙でローマに知れると、二十日間の感謝祭が催された。」

このころの感謝祭は、通常10日間、それがこの偉業に対しては20日間も特別に催された、などと書いてない所がニクい。



関連する本:
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。