日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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文:◎

コトバに救われるときが、確かにある。
この本にのってた言葉を、つらかったとき、何度も思い出してかみ締めた。
言い得て妙だなーと思う言葉がたくさん。

●著者は、女性。旦那は有名な飛行家で、自身も女性飛行家の草分けであり、仕事に家事に多忙な著者が、離島に滞在し、海辺でのしずかな時間で自分や人生を見つめなおして考えた事がつらつらと書かれている。

気を散らかす生活の中で、自分を見失わないために、たまには1人で内なる文化を成熟させる時間をもちましょう、とススメられる。
そして、夫婦、親子、友人など1対1の関係のあり方や、中年になって目指すべき姿について述べていく。


訳の問題なのか、元々の文章がそうなのか、装飾や例えが多いのが若干読みづらい。
ギュっと縮めたら1行で言える事を、3~4行かけてくれる。
逆に、そのためにコトバがじわりと染み込んでくるようで、それはそれでよい。

海辺でのゆったりした生活、
波の音、
波にみがかれた美しい貝の感触、、、
そんなものたちをじっくり味わいながら、自分をクールダウンさせたい時に、よい。

ある哲学者のことば。「自分だけが愛されることを望むのは構わないのですよ」
「二人のものが愛し合うというのが愛の本質で、その中に他のものが入って来る余地はないのですから。ただ、それが間違っているのは時間的な立場から見た場合で、いつまでも自分だけが愛されることを望んではならないのです」
「二つとないものなどはなくて、二つとない瞬間があるだけ」
『前にあった関係に恒久的に戻ることはできないという事実を、そしてもっと深い意味で、或る関係を同じ一つの形で保ってはいけないということを私たちは段々受け入れるようになる。(略)凡て生きた関係は変化し、格調しつつあって、常に新しい形を取っていかなければならない。』

↓リルケの言葉に、うなずく。

『我々は結局は、皆孤独なのである。そしてこの孤独という我々の基本的な状態は、我々がいやだとからと言ってどうすることもできるものではない。リルケが言っている通り、それは「我々に取捨の自由が許されているものではなくて、我々は実際に、孤独なのである。我々は我々自身をごまかして、それがそうではないように振舞うことはできる。しかしそれだけであって、それよりも我々が孤独であることを自覚し、自覚しないまでも、そうであると仮定することから始めるほうがどんなにいいだろうか。勿論」彼はこれに続けて言っている「我々はそう思っただけで眩いがしてくる」』

↓これもリルケの言葉らしい。

「最も近い二人の人間の間にも無限の距離がやはりあることが理解され、それが受け入れられれば、そしてもしこの二人が二人の間にあるこの距離を愛するに至るならば、それは互いに相手の全体を広い空を背景に眺めることを許して、二人だけのまととない生活が始まることになる」

自分が孤独だと思うことは怖いし、だけど受け入れる方が楽になる。
そして、みんなそれを怖いと思うんだなーと知るだけで、ホッともする。

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●主人公は25歳独身女性。何ひとつ自由を許してくれなかった厳格な父親をもち、そのせいで兄、妹と共にどこか父親へのトラウマを抱える。その父親が亡くなってから、実は浮気をしていた事がわかり、「学校の連絡網ですら異性からかかってくるのを許さない」くらいのあの父が・・!?とショックを受けた兄妹たちが、父親の故郷をたずね、ルーツを探る。というハナシ。


カラフルの作者の2冊目、児童文学畑の著者が大人の世界を描いた初の長編小説らしい。

なんだろう。カラフルの時のような鮮やかな感動がなかった。
読みやすいけれど、うすらぼんやりして、あまり残らない。


『愛しても、愛しても、私自身はこの世界から愛されていないような、そんな気が心のどこかでいつもしていた。
受けいれても、受けいれても、私自身は受けいれられていない気がしていた。』

それを、どこか父親のせいにしていた、主人公。

『けれどもそれは私が父の娘であるせいではなく、(略)、自分自身のせいですらなく、なべて生きるというのは元来、そういうことなのかもしれない、と。
 誰の娘であろうと、(略)、人は等しく孤独で、人生は泥沼だ。愛しても愛しても愛されなかったり、受けいれても受けいれても受けいれられなかったり。それが生きるということで、命ある限り、誰もそこから逃れることはできない。』

と突然に悟るあっけらかんとした潔いあきらめが印象的。
が、カラフルの時の「楽に生きたらいいじゃん」というのと根底は同じメッセージなんだが、何だか物足りない。カラフルの伝え方の方が自然な感じでよかった。

●金髪トサカ頭の不良少年・竜二は、高校の先生に連れられ、上方落語の名人に弟子入りさせられる。この師匠が、借金持ち、大酒飲み、すぐに暴力をふるう、手のつけられない暴れん坊(でも芯はいい人だったりする)。さすがの不良少年もその前では大人しくなるしかなく、しぶしぶ落語をはじめると、これが意外と面白く、ハマってみるものの、なかなか素直になれず、途中こじれ、落語を捨てかけるがやっぱり戻って一応めでたしめでたし~。

というコテコテの不良少年の更正ストーリーだが、落語がからむのが、面白い。

7つの短編があり、それぞれが1つの噺とからんでいる。
噺のあらすじやミドコロも紹介されるので、落語素人のワタシにとってはいい入門書代わりとなった。
東京と大阪で、噺がちがったりする事も初めて知った。

ミステリー仕立てにもなっており、毎回、奇妙なことが起こったり、殺人や誘拐事件があったり、それを竜二があっさり解決するのだが、ミステリーとしては謎が単純、謎解きが強引でイマイチ物足りない。



古本屋で購入。読んでビックリ・・・・。
こんなミステリーは初めて読んだ。

以下、ネタバレありです。

・魚鱗荘の惨劇
・偽証弁護士
・代理母消失
・離婚の後遺症
・不倫のツケ

という5つの短編集。夫婦そろって弁護士である主人公たちの、法廷ミステリーである。
著者も新聞記者を経て、弁護士資格を取得、法律事務所をひらいている本職の方らしく、証人喚問とか裁判劇とか、そのあたりはリアルな描写で面白い。

が、1編目の「魚鱗荘の惨劇」。
これだけは、ものすごく異色。

本の表題にもなっている作品で、背表紙には
「魚鱗荘という館で初夜を迎えた新郎が惨殺された。新婦は”犯人は庭のビーナス像である”と訴えるばかり」
というようなあらすじが紹介されている。

法廷シーンから始まり、新郎の元恋人の女性が被告人。証人として新郎の大学時代の友人が呼ばれ、尋問されているところである。

当然、
ほう、ビーナス像を使ったトリックですか。して真相はいかに?
という心境で読みすすめると、真相は実はそのまんまなのだ。
犯人は庭のビーナスの石像!!石像が飛んでいって新郎を押しつぶした。以上。おわり。

あまりの成り行きにあっけにとられたまま終わる。
ん?つぎの短編に続いてるの?と思うと、つぎの「偽証弁護士」は全く別の物語で、以降の短編では、いたって現実的な事件ばかり。

なんなんだ。この異色かつ理不尽なミステリーは。
でもかえって、面白かった。

ストーリー:○

とても1回読んだだけではちゃんと読みきれない。謎が多すぎるから。
2回目こそ楽しめる本。
主人公のひらめきも小出しで、じわじわわかってゆく真相に読者は耐え切れず、先へ!先へ!となってしまう。
2回目に読んでやっと、ああ、これも!これも!伏線だったんだ!とわかる。

●仙台でコンビニ強盗に失敗して、パトカーで搬送中に事故に遭い、逃げ出して気がついたら「荻島」という島に連れてこられていた主人公。
仙台の沖に位置するこの島には、数千人が住むが、誰にも知られていない小さな島で、江戸時代から150年間、島の外と交流なく孤立して存在している、という設定。
主人公を島に連れてきたとどろきという男だけが島の外に出かけ、必要な物資を仕入れる他は。

島には、しゃべるカカシ「優午」がいて、何でも知っている、未来も見える。
桜という男がいて、悪事を働くと、この男に銃で撃たれる。桜による殺人は、全島民にルールとして受け入れられており、警察沙汰にもならない。

少しずつズレている島にいる、様々な人々。
ウソしか言わない画家、地面に寝転んで遊ぶ少女、雨の前に木に登る猫。
何故ウソを?何故地面に?何故雨がわかる??
それらにもちゃんと1つ1つワケがある。そういう小さな謎ときもあわせると、とても1度で読みきれない。

小さな謎の積み重ね。
そして物語の軸となる大きな謎として、カカシの優午が殺される。
なぜ。だれに。また、カカシは自分の死を予測できなかったのか?

そしてさらに大きな謎として、島に伝わる『この島には大事なものが、欠けている』という言い伝え。
『島の外から来た者が、欠けているものを置いていく』と。
外から来た主人公には、それがわかるのか?島民はそれを手にできるのか?

登場人物も謎も多い。よく1つの本でこれだけ惜しみなく出せるものだと感心する。また、その多さにも関わらず「えー、よくわからない・・・もーいいや」と放棄させない筆力がすごい。

コトバが洒落ているのも、放棄させない力の1つ。

「花を育てるのは、詩を読むのと似ている」
だとか。

また、ストーリーとは関係ない逸話がちりばめられており、それがまたイチイチ興味深くて気がまぎれるのもある。

『動物を食べて樹を削って、何十、何百の犠牲の上に1人の人間が生きている。そうまでして生きる価値のある人間が何人いるか。
「ゼロだ」と桜。』

先日読んだ、瀬戸内寂聴の「藤壺」の前書きで、寂聴が「輝く日の宮」の偽作をはじめてまもなく、丸谷才一がこの小説の中で同じ帖の偽作を含んだ小説を発表しており、『丸谷さんの国文学の教養のすべてを賭け、丸谷さんの小説家としてのテクニックのあらゆる秘術を総動員して書かれているので、面白くない筈はありません』と紹介されている。

で、最近、源氏物語づいているので、これも読んでみた。
たしかに面白かった。

●杉安佐子は大学に勤める国文学者。専門は19世紀文学で、学会で、「松尾芭蕉がなぜ奥の細道旅行で東北地方へ行ったか?」について発表したりする。
後半では、源氏物語には「輝く日の宮」という帖があり、そこに光源氏と藤壺の宮が初めて結ばれるシーンが書いてあったと考え、それについてライバルと論戦したり、なぜこの帖が欠損したのか?を推理する。
そんな中、旅の途中、ローマ空港で出会った男性と、恋をしたり。


知的好奇心が充実している時に読むのがよい。
「かういふ哲学みたいな・・」とか「ないでせう」というような旧仮名づかいだし、古文の文法について書かれていたり、学会の論戦でだらだらと学者同士の話が続いたり、とテキトーにパラパラ読みたい気分の時には向かない、気合が必要な1冊だが、読み応えはすごくある。読めば、面白い。章ごとに話し手や文章のスタイルががらりと変わる書き方も実験ぽくて面白い。

最後には、平安時代に時がさかのぼり、紫式部と藤原道長の会話が、安佐子の想像なのか、本当にあった会話だったのかどちらともとれるように出てきて、紫式部が「後世生まれ変わることがあったら、『輝く日の宮』を書き直すことに致しましょう」と言い、それが現世で、『輝く日の宮』を再現しようとする安佐子へとつながる。
安佐子は紫式部を追い、紫式部は安佐子へつながる、という流れがうまくまとまる感。


ロマンチックな描写もあって、安佐子が中学生の時に書いた小説に登場する、主人公の少女の婚約者の男性は、トーストのような男くさい匂いがする若者、とある。
そして、安佐子がローマで出会った男性に、この話をすると、男性は「それはぼくのことだ、ほら、焼きたてのトーストの匂い、するでしょう」と言われ、ホテルの部屋まで送ってきたあと、
「トーストの匂ひ、はいつてもいいですか?」と男性に言われ
「どうぞ。食べてあげる」
というやりとりとか、とてもオシャレだ。

源氏物語には、タイトルだけが古い研究書に残っている「輝く日の宮」という帖がある、という。
「輝く日の宮」とは、光源氏の憧れの人にして、義理の母、父帝の后である、藤壺の女御のニックネームらしい。
この帖は、光源氏と藤壺の宮がはじめて結ばれる場面が描いてあったが、何らかの理由で欠損している、という意見が世の中にはあるらしく、著者は、この帖を読んだ一条天皇が内容が禁忌にふれるからと削除を命じたのでは?という。それを、偽作というか、こんな内容だったのでは?と想像してつくってみたのが、本作。

現代語版と、古語版の2つが収められている。

与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子につづいて源氏物語の現代語訳を刊行した著者によるものだけに、それっぽい内容になってるんだろうと思われる。私は原文も現代語訳もどれもまだ読んだことないのだが。

現代語版の出だしが、いい。

『もの悩ましい晩春のたそがれでした。』

生ぬるくて桜の花が白くぼうっと光っていて、心がざわざわするような、そんな夜の雰囲気が伝わる。

肝心の中身は、割と短くてさらーりと読んでしまったのであんまし印象に残らない。
いつか、源氏物語の現代語訳をどれか読んだら、また再読してみたい。



源氏物語といえば、1000年も前に書かれた、我が国最古の小説。
原文も現代訳文も読んだことはないが、漫画では登場人物もストーリーも覚えてしまうほど読んだ。
それが、この「あさきゆめみし」。絵も美しいのだが、ある場面がすごくキレイで、何度も何度も読み返してしまう。

●時は平安時代。帝と身分の低い妃の間に生まれた若君は、光り輝くばかりの美しさ、光る君と呼ばれる。母親は病で若くして亡くなり、のちに帝の元に母親によく似た藤壺の宮が輿入れしてくる。藤壺を母とも姉とも慕い、それはやがて激烈な恋心に変わる。
若君は美しく成長し、光源氏と呼ばれ、決して結ばれない父帝の妃である藤壺への想いを胸にかかえながら、多くの女性とさまざまな恋をする。

とあらすじを読むと、「なによ光源氏って女の敵ね」という印象しかもたないのだが、私はこの本を読んで、紫式部あるいは大和和紀が書きたかった主人公は、光源氏ではなく、光源氏が育て、愛し、一番大切な妻とする、「紫の上」ではないかと思った。

紫の上は、幼少時に源氏に引き取られ、慈しまれて育つ。
美しく成長して、源氏の妻となり、教養もあってこころばえもそれはそれは立派な女性だ。
源氏もあまた女性と関係するが、紫の上は明らかに特別待遇、誰よりも愛している。
が、晩年に、どういうつもりなのか、ときの帝の姫君を正室にもらってしまう。

源氏が自分を誰よりも大事におもってくれていることはわかる。
でも身分が高く、若い姫君に、いつか心がかたむいてしまうかもしれない。
それでも心をみにくい気持ちで満たすのはいや、と思いつつ、悲しくて一晩中泣いても源氏にも相手の姫君にもやさしく接するけなげな紫の上だが、心の中の何かが砕けてしまう。
女ならだれしも逃れられないつらくてたまらない嫉妬から逃れることができない、と。
そしてそれを源氏ですらわかってくれない、と。
どんなにむつみあっていても、男と女、いや、人と人との間には深いへだたりがある、と気づく。

「虚しいこと・・・・・
人生とはかくも頼りないものか
たしかなものなどなにひとつない」

男にはたくさんの恋人がいるこの時代、それでも嫉妬しないことが美徳と言われるが、そんな女の自由のない世界から早く去ってしまいたい、と思う紫の上。

そんな鬱々とした日々が続くある春の日、法会を営む最中に、とつぜん、気づく。
まばゆい光、かぐわしい花々、萌え出る緑、鳥の声・・・・

「この世は何と美しいのだろう」

「生きとし生けるものは
みななんと美しい輝きに満ちているか・・・・!」

「わたくしはこの世と・・・
この世に生きることを
こんなにも愛している・・・・・!」

ここが。すごくキレイだ。
男に左右されない生き方を欲しながらも、それでも人を、この世を愛し、愛されることができてしあわせだったと紫の上は言う。
いちばんの喜びもいちばんの悲しみも、愛する人だからこそ、与えられるもの。

「あさきゆめみし」ではここがメインテーマになっているように見える。
どれほど原作に忠実なのかわからないが、この漫画通りだとすると、1000年経っても、人間が考えることって一緒なのね、と思わせられる。


三十代以上、独身、子ナシの女性を「負け犬」と名づけた爆笑エッセイ、「負け犬の遠吠え」。
すごく面白かったので、同じ著者の別なエッセイを買ってみた。

どんなに仕事ができようが美人だろうが、世間から見たら「負け犬」でしかない、とバッサリ。
そんな自分と負け犬友達の生態を楽しく描き出すエッセイ。

するごい観察眼、さっぱりとユーモラスな文体。
すごく読みやすいし、わかるわかる♪アハハ、とはなるのだが、「負け犬の遠吠え」の時ほどのインパクトはない。同じようなネタだし、ややダラダラしている印象。
「負け犬の遠吠え」の方がはるかにオススメ。

 
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