日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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「勝海舟 私に帰せず」が長くて読みづらかったので、次は薄くてさらっとしたヤツが読みたくなり、そして「書店員さん、涙する」というオビにつられた。が、あまり涙することはできず。
高校生の、ピュア~な恋愛小説。

●美人でイマドキの女子高生・悠里が、交通事故で死んだ少年に、恋されていたという。悠里は、母親を亡くし、その後恋人をつくった父親を見て、永遠の愛なんてない、と愛を信じない。
一方、少年は、みんなが見落とすようなモノを、ヒトの長所を、よく見つけ、ヒトが好きで、人生そのものを愉しみ、日々の生活を愛おしむことができた子で、家族も友達も、彼が好きだった。
悠里は、霊となって目の前に現れる少年の事を次第に知り、感化され、変わってゆく。というなかなかイイ話なのだが、ありがちと言えばありがちな・・・。

この本の中で気になったのが、少年が、いつか大切な人と2人で見たいと思っていた、「太陽ではなく月の光で現れる虹」なるもの。
アフリカのビクトリアの滝で雲の無い満月の夜にだけ、見られるらしい。
これは絶景だろうなあ・・・・とウットリ。
Wikipediaによると、ハワイ諸島のマウイ島でもよく見られるらしい。
ハワイ在住の写真家による、夜の虹の写真集があるようだ。

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日記調で淡々と、ひたすら時系列に出来事が細かく書いてあり、読むのがつらかった。物語としてアツく思い入れを持てない。

たとえば、勝海舟の部下達が仕事への不満で辞表を出したのに対して勝がいさめる手紙を書くくだりがあるが、その結果、部下達が思い止まったのか、辞めたのかの記述はなかったり。
勝の塾生の果し合いという物語に何の関係もないエピソードに頁が割かれたり。

文章としては簡潔で読みやすいのだが、ストーリー性がない。これだけ調べて克明に記述されていることはすごいと思うのだが。登場人物も多いのに、ゴチャゴチャした書き方で読みづらい。でも著者はこういう手法で書きたかったのだろうと思われる。

薩摩と英国の戦のシーンは面白い。ナメるな!という薩摩の気迫が小気味よい。スカッとする。

勝は希代の外交官。外人相手ではなく、日本人相手にしても、この本には出てこなかったが坂本竜馬も勝を暗殺しに来てハナシを聞いて弟子になっちゃったとか。
外交の極意は「腹蔵なく話す」こと。
これは、今私が携わっている、顧客のシステムを委託されて運用する仕事でも一緒だなあ、と思った。お客さんといい関係を結びたかったら、いい仕事がしたかったら、本当の事をつつみ隠さず言うのがいちばん早い。変に良く見せようとしたり、汚点を隠そうとすると、長い目で見ると、損だ。
人間関係全般に言える事なのかもしれない。

勝は、死を覚悟で沸騰しているような長州へ和睦の使者として出向いたり、刺客が来てもその気合をくじいたり、剣術を学ぶとそんなにも心が鍛えられるのか!と感心する。

また、幕府のためにものすごくがんばるのに、それなのに将軍・慶喜にもあまり好かれず、悲惨だ。
しかし、それにもメゲず、信念の通りに骨身を惜しまず働き、維新後、下野してから徳川のために徳川銀行なるものをつくって経済的に救済したり・・・いったい勝のそこまでする原動力は何だったんだろう。

解説によると、著者は、人物伝記モノの第一人者だとか。
この本は読みづらかったが、他のを読んでみたい。
著者が人物伝記モノを好む理由を下記のように言う。だから、単調でも何でも、ひたすら勝の足跡を記述したんだなあ、と思った。

『私は小説をおもしろくつくる作業をする気はないが、好奇心につられ、謎のなかへはいりこんでゆくとき、小説を書く作業のおもしろみが、よく分かるような気になることがある。
人間とはなにか、どこからやってきてどこへ去ってゆくのかという、おそらく原初以来の人間が考えたであろうことを、私も考えつづけている。
決して答えは出ないが、過去の歴史を歩んだ人々の足跡を文学で辿ってゆくうち、ときどき霧がはれるように、人間の運命が見通せるような気になることがある。
それは、そんな気になるだけで、宇宙は沈黙しつづけている。』
キャラ:◎ ストーリー:○

グラスホッパーに続く、2作目の伊坂幸太郎作品。
コレは面白かった!グラスホッパーはイマイチだったけど、あそこであきらめなくてよかった!!

5つの短編。それぞれの中での起承転結がきっちりと書かれているだけでなく、5つの物語が連動し、ある物語で「なんだろう?」と疑問に思った事が、別の物語の起承転結の中でうま~い具合に明らかにされる、というつなげ方も見事。

この本の何よりの魅力は、破天荒な男、「陣内」。
わがままとも無神経とも言えるほど、自分だけの正義で動く男。友人いわく「あいつは常に何かを主張している」。
著者は、家裁調査官に取材したおかげで、当初考えていたのとちがう話になった、とあとがきで書いていたが、陣内の強引な、でも愛すべきキャラクターと、陣内が就く職業、「家庭裁判所の調査官」の仕事がうまくマッチして、陣内が発するこの仕事に対する考え方など、ストーリー運びにあわせて上手に披露され、面白い。

5つの短編は、年代が前後する。短編の順番と、その時の陣内の年齢、その短編の主人公(語り手)をまとめてみた。

タイトル陣内の年齢語り手
バンク18or19歳(大学生)陣内の大学の友人、鴨居
チルドレン31歳(家裁調査官)家裁の後輩、武藤
レトリーバー22歳(大学生)陣内の友人・永瀬の彼女、優子
チルドレンII32歳(家裁調査官)家裁の後輩、武藤
イン19or20歳(大学生)盲目の青年、永瀬

皮肉でコミカルな文が小気味よく面白くて、爆笑ではなく、いちいち「にやり」と笑ってしまう。

●銀行強盗の人質となり、緊迫した空気。陣内が見事な歌声でそれを和らげる。
「前に観た映画で、同じような場面があったんだ」と言うから、友人・鴨居も、当然、繊細で美しい映画なんだろうと思い、「何の映画だ」と訊ねると・・
「確か『死霊のはらわた』の二作目だ。『死霊のはらわたII』だったかな」

ここは、にやり、でしょう。



陣内の、無茶苦茶だけど、好ましいなあと思ってしまう名台詞の数々・・・。

●「これは絶対にうまくいく片想いなんだよ」
「世の中に『絶対』と断言できることは何ひとつないって、うちの大学教授が言ってたけど」
「『絶対』と言い切れることがひとつもないなんて、生きている意味がないだろ」

●盲目の青年・永瀬に、現金を手渡したオバさん。善意だけど、過剰な同情でもある。それを永瀬の彼女は憂鬱に思う。しかし、陣内は
「何で、おまえがもらえて、俺がもらえないんだよ」
盲目だからだろう、という説明にも
「そんなの、関係ねえだろ」「ずるいじゃねえか」
彼女には、この「関係ない」が心地よく響く。ここだけ読むとヒドい人物に見えるかもしれない。ヒドい事はヒドいのだが、でも、陣内は、いい。

家裁調査官についての記述。

●飲み屋で「少年法は甘い」「調査官は少年を甘やかしている」とからむオジさんたちに、陣内は、少年は一種類じゃないから、いちがいに決めつけるな、と反論。それでも
「駄目な奴はどうやったって駄目なんだよ。更生させるなんて、奇跡みたいなもんだな」と言われるが、
「それだ」「そう、それだ」
「俺たちは奇跡を起こすんだ」
「少年の健全な育成とか、平和な家庭生活とか、少年法とか(略)全部嘘でさ、どうでもいいんだ。俺たちの目的は、奇跡を起こす事、それだ」
・・・・かっこいい。
「そもそも、大人が恰好良ければ、子供はぐれねえんだよ」

そう言った陣内が
「奇跡?そんなもの起こるわけないだろうが。適当に少年の調査をして、報告書を書いて、どんどんやっていかないとキリがねえよ」とアッサリ転換。自分の発言に責任を持たないのは、日常茶飯事だ、というミニオチ付き。

だけど、陣内は奇跡を起こす。4編目の「チルドレンII」で、このセリフを実現する。
「チルドレンII」のこの奇跡と、5編目「イン」で、それより前の話で持たせられたある疑問の回答が示されるところが、いちばん好きだ。

2006年に源孝志監督により映画化されているが、DVDが出ている。映画観た方の感想見ると、映画も面白そう。



ストーリー:◎

大学時代、本屋さんで短期バイトをしているときに、職場の先輩がススメてくれた1冊。即効でハマって、今では大好きな1冊に。

「日常生活におけるささやかな謎のミステリ」という分野の先駆者ではないだろうか?
殺人など起きない。主人公の女子大生の<私>が、ふと目にしたもの、耳にしたことで、「不思議だなあ」と思った出来事を、探偵役となる噺家が、あざやかに推理する短編集。

現場検証も証人喚問もない、ただ<私>の話だけが材料となる謎解きだから、「うーむ、ちょっとこじつけっぽい。それはどう見ても解答を知ってないと解けない謎では?」と思うものもあるが、
・赤頭巾
・空飛ぶ馬
の2編は、そんなこじつけを疑う気にもならないほど、ストーリーと謎解きがうまく融合していて、本当に見事!!

そう、このストーリーとの融合が、この本の魅力。

大学生にしてはえらくウブでイイ子ちゃんで、女になる事に頑なな<私>。
父の心からの許しなしには口紅は決してひかない、だとか。
「街ですれ違うカップルが美しく見えないんです」「抑制がなくてぎらぎらしているでしょう」とか言っちゃうような。

これに対し、噺家の方は大人だけあって、つらいことも楽しい事も見てきただろう上で、それでいて実に優しい人柄。

落語で『夢の酒』『樟脳玉』という噺があり、夫に恋する若妻、死んだ恋女房を慕う夫が出てくるのがあるらしい。彼らはいずれも手放しの愛情で相手を慕う。
この噺家がこれをやると、<私>は、泉鏡花の「天守物語」で最後に近江之丞桃六が「泣くな、泣くな、美しいひとたち、泣くな」と出てくるところを思い出すという。
「この言葉にこめられたような気持ちで『夢の酒』や『樟脳玉』をやってらっしゃるんだろうって思ったんです」

泉鏡花の「天守物語」は読んだ事ないが、波津彬子が漫画化したものは見たことがある。
姫路城の天守に住む美しい妖怪の姫君と、若侍の恋物語で、人間たちに追い詰められ、2人して死のうとするそのときに、唐突にあらわれて2人を救ってくれるのが近江之丞桃六。
手放しの愛情などという滅多に持てないものを持った人たちに対するあたたかいまなざしが、共通しているということかしら。

『赤頭巾』『空飛ぶ馬』が連続しているのがいい。
『赤頭巾』で、<私>の幼いころからの憧れを、醜い男女の姿が台無しにした。
噺家の推理は、私に残酷な解答を示した。
で、次の『空飛ぶ馬』で、時はクリスマス、働き者の近所の酒屋の若旦那が見つけた遅い春、見ていてこっちが幸せになるようなカップル。
酒屋から幼稚園に寄付された木馬が、一晩だけ姿を消した。まさか空を飛んでどこかへ!?
その真相はすごくあたたかく、「そこには、純粋で真摯な思いをどこまでも守ってやろうといういたわりがあった」。

噺家のセリフ
「-どうです。人間というのも捨てたものじゃないでしょう」
この人はいつもこれが根底にあって、やさしい。だから落語もやさしいのだろう。

頑な<私>が、『空飛ぶ馬』で最後に少しほどける。そんな<私>が、どんな大人になってゆくのか?シリーズものだから、続きが楽しみ。

また、作中で、いろんな本や落語が紹介されて、それが新たな世界を広げてくれる。私はまだ落語には踏み入れてないが、本はここで紹介されて手にしたものも多い。

●悪性の脳腫瘍で余命1~2ヶ月の中年男が、腫瘍の頭痛で、意識だけが200年後の世界にタイムスリップし、自分の子孫の男の体に入る。その世界は、生物兵器に改良された恐ろしい致死率のウィルスが蔓延し、貧しい人々は地上に、富める者は高層タワーの最上階に住む階層社会。地上組とタワー組の争いも深刻化していくところ。

これは脳の病にかかった自分の妄想なのか?現実なのか?
主人公は、現在と未来を頭痛の度に行ったり来たりしながら、未来の世界を救うために、できる事を模索しはじめる。

未来の世界で特権階級だけが持つ、指輪型のAI(人工知能)が、顔が猫で体が人間の立体ホログラフィーとしてしゃべり、世界のあらゆるデータを蓄積している、という辺りがSFファンタジーらしくて楽しい。

「わたしの中には現存する人類の文学、音声、映像情報のすべてが保存されています。わたしはもち主の思索、意思決定、情報処理を補助するパーソナルライブラシアンです」
という感じ。

ハリウッド映画みたいに勢いがあって、続きが気になり、あっという間に読んでしまうが、冷静に考えると、最後はよくわからない方法で万事解決して大団円を迎えるあたりもハリウッドっぽい。

ドラマチックで、人間の残酷で身勝手な部分と、命をかけて他人を信じたり、見返りなしに人を愛したり、無限の可能性を秘めていたり、すごく美しい部分が、両方極端なくらい激しく描かれている。
それは、あとがきにある著者のこの気持ちなんだろう。

「人間の悪や残酷さを見たとき、ぼくたちはそれと同じ数だけきっとある光りと優しさに目をむける必要があります」

文:○

司馬遼太郎作品の中では、特にすごく面白くもつまらなくもない作品。
義経ヒーローものを期待するとちょっと違う。

司馬遼太郎の人物の描写は相変わらず見事!読み進むうちにどんどん義経が見えてくる。それは「こういう人」と決定的な形容詞で表すのではなく、さまざまな出来事に対する彼の動き、考え、表情、それらを何度も繰り返し描くことで、私の身の内に、「義経」像が積み上がってゆく。

この本では義経は、超・可憐。政治的には全くバカで子供。義経の最期を知りながら読むので、彼の未来を思い、描かれる子供らしさがしっくりくるし、痛々しく感じる。

中世、美しく生きたい、生涯を美化したい、ただそれだけの衝動で十分に死ぬ事ができる時代。
頼朝は、美しく生きるだけではない、その陰険さが、義経の可憐さに比べて際立つ。頼朝は近世に生きる人として、対比的に描かれている。

反面、義経は戦だけはめっぽう強くて、そのギャップが面白い。なぜ強いのか?という説明も、司馬遼太郎の説明はすごくわかりやすい。
個人が武勇を尽くして戦うことで、全体の勝敗が決するのが当然だった「合戦」に、組織で戦う事、「戦術」を取り入れた天才。そう描かれる。
馬というものは「乗って一騎打ちで戦うためのもの」、という固定観念を破り、馬の機動性を生かし、「全滅を覚悟した長距離活動と奇襲」という戦術思想を持ち込んだ先駆者。ひよどり越えに代表される、馬の使い方が実に鮮やか。

騎馬兵の使い方・・・てどこかでも読んだような・・・と思ったら、日露戦争を描いた名作「坂の上の雲」でも出てきていた。
「日本騎兵の父」と呼ばれた秋山好古が、フランスの士官学校で、騎兵について学んだ時、教官にこう言われた。

騎兵の任務は、機動性を生かして本軍から離れ、集団で敵を乗馬襲撃することである。しかし、事前に敵に発見されれば、目標が大きいだけに脆いという欠点がある。だから、「天才的戦略家のみが騎兵を運用できる」のであると。
凡人は騎兵の欠点を恐れ、ついに最後まで温存したまま使わない。 この教官曰く、古来における天才的戦略家とはの4人だけである。

モンゴルのジンギスカン
フランスのナポレオン一世
プロシャのフレデリック大王
プロシャの参謀総長モルトケ

「日本にそういう天才がいるかね」と聞かれた好古が、ひよどり越えの源義経、桶狭間の織田信長の名前をあげて戦法を説明すると、教官は何度もうなずき、「以後6人ということにしよう」と訂正する。

時代をこえ、本をこえて、こういうつながりを発見したとき、ちょっと嬉しい。

オンライン書店bk1という、ネット上の本屋さんがあり、書評の投稿もできるのだが、何本か採用されると、「オススメ評者」なるものになり、さらに「今週のオススメ書評」に掲載されたりしていると、「書評の鉄人」という称号をもらえる。
「今週のオススメ書評」に掲載されると、bk1で使える3000円分のポイントをもらえるので、本代を少しでも浮かそうかと私もたまに投稿をしていた。

書評の鉄人
">書評の鉄人

鉄人は毎週追加されてるようで、今週はどんな人だろう?とのぞいたら、自分の名前がのっててビックリした。下記のような紹介で。鉄人になったからといって、何かもらえるわけではないようだが、素直に嬉しい。「作品と出会った喜び」・・・たしかに、いい本に出会ったときの読書感想は、その出会いの喜びを語るものかもしれない。


◆書評の鉄人
新鉄人誕生!“homamiya”さん

“homamiya”さんは、文芸書・漫画を中心に書評を書かれている方です。 作品と出会った喜びが率直に語られている書評です。論点がよく整理されているのでとても読みやすく、作品の持ち味がよくわかります。小気味良いリズムの文体も魅力です。

ストーリー:○

2年前、資産家の老婦人が撲殺された。婦人は子供に恵まれない代わりに、孤児や恵まれない子供たちを養子として育てあげた、立派な人物。逮捕されたのは、その養子の1人、小悪党と評判の高いジャッコ。彼は無実を主張したが、獄中で病死。
事件は終わったかに見えていたが、南極探検から帰ってきた地質学者が、ジャッコの主張するアリバイを証明できると言う。地質学者は、亡き老婦人の夫や他の養子にそれを告げ、身内の名誉を晴らしたばかり思ったが、そうなると、状況から考えて外部の者の犯行とは思いにくいこの殺人に、他に犯人がいることになる、この家族の中に・・・・。

婦人の夫、その秘書、家政婦、4人の養子たち、その配偶者。自分達の中に、犯人がいると知り、お互いに疑心暗鬼となる家族たち。学者もそれに責任を感じ、真犯人について考えてみる。

頭脳明晰な探偵が探偵して次々と証拠をあげていく、というワケではなく、じりじりと家族が疑心暗鬼で、読者にもそれが伝わり、いったい誰が何のために・・・?という、どんよりした雰囲気がよく伝わって面白い。

ストーリーと連動して、アガサ・クリスティーの主張するテーマがあり、それは、
「慈善とは?」。

殺された老婦人は、たしかに立派な人で、養子たちを愛し、十分なモノを与え、完璧で正しい道を教えてあげた。だが、それを養子たちはそれを感謝できなかった。

ある医師がこう語る。「昔の中国人は、慈善は美徳ではなく罪であると考えていたそうじゃないですか。(略)慈善というものは、確かに人のためになる。と同時に、人にいろんな気まずい思いをさせる。人間の心というのは複雑なものでね。人に親切にしてやれば、親切にしたほうの人間は結構いい気持でいる。しかし親切にされたほうの人間は、果たして相手にいい感情を抱くだろうか。感謝すべきことはもちろんだが、果して実際に感謝するだろうか」

実際、養子の1人は、老婦人に感謝していないのか?と聞かれ、
「人間は感謝しなさいと言われて感謝できるものだろうか。ある意味じゃ、感謝を義務と感じることは、たいへんな悪だ。」
と答えている。

親切を、自分の満足のためにやるのは簡単だけど、本当に相手のためになるように行うのは難しい。
相手が何を望んでいるのか、人の心は100%はわからないから。

そういえば私は、新卒採用の就職面接で、
「思いやりとは何か?」
と聞かれ、
「自己満足です」
と答えた覚えがある。(その会社は落ちました・・・)
それが結果的に人のためになるのであれば、それはそれでいい事だと思うし、人のために何かしてあげたい、と思う気持ちは大切だと思う。
ただ、その気持ちを実行するときに、相手のためにやる----だから相手の感謝は当然、と考えるのではく、これは私がやりたくてやっていること、と思った方がいいのでは?と思っている。


アガサ・クリスティーの著書に、「春にして君を離れ」というのがある。昔読んだので、うろおぼえだが、ちょっと似たテーマで、自分では優しい夫、子供に囲まれ、理想的な妻である母であると思っている婦人が、旅先で、一人、家族の言葉などを回想するうちに、実は彼女はとても自己中心的で、家族から愛されていない事に読者は気付く。この回想だけから気付くところが見事な筆力なのだが、「無実はさいなむ」の老婦人には、この婦人の押し付けがましい愛情と、通じるところが、ちょっとある。

キャラ:◎

池袋ウエストゲートパークシリーズ2作目。
1作目同様、池袋で実家の果物屋を手伝いつつ、いつのまにかトラブルシューターとして名を挙げつつあるマコトが、様々な人と出会いながら、持ち込まれたトラブルを解決してゆく。頭をつかったり、拳を使ったりしながら。

シリーズ物の2作目以降は、登場人物を知った上で読み始めるので、登場人物には最初から好感を抱いて読める事が多い。
その分、この人どういう人?と集中しなくてもよくて、ストーリーを追うのに集中でき、かつ、ストーリーを追ううちに、すでに知っている登場人物のさらなる味がしみてきて、また好きになる、という読み方ができるのが、楽しい。

主人公、マコトは、相変わらず、クールなくせにお人好しで、どんな人ともフラットに接しながら、知り合いを増やしていく。この本の魅力は、多彩な脇役たちでもある。よくこれだけ多彩なキャラクターを考えて、しかも短編小説の1話に登場するくらいで、見事にその特異性、特異な理由、特異であるゆえの魅力、を描き切っていると感心する。

かつての小学校の同級生で女だてらに男に混ざって遊んでいたサチは、男になり、女の子をスカウトする商売やって、スカウトした一番人気の子に恋しているし。

いつも周りのものを数えていないと気が済まない少年とも知り合う。「数がほんとうで、残りのものはみんな見せかけ」「この店のメニューは全部で二十六品、全部頼むと七千八百六十円」といった調子。

池袋の情報屋、ゼロワン。ファミレスで日がな1日、携帯とノートPCを並べて情報を探している。「おれはいつも波立っているデジタル情報の海のなかに、きっとおれだけにむけられた聖なるメッセージがあると信じてる」

今回、いちばん私が気に入ったのは、70歳過ぎの「ジジイ」2人組、喜代治と鉄。
街を歩く女の子が平気で下着を見せおる、と喜ぶ下ネタ大好きスケベジジイの鉄に、マコトが、それは下着じゃなくてスパッツだと指摘すると
「にいちゃんは若いのう。下着だと信じれば、下着に見える。それだけで生きとるのが楽しくなるじゃろうに」

真理。

新撰組、特に、土方歳三がものすごくかっこよく書いてある。
ここまでドラマチックにかっこいいと、やや女子向け同人誌っぽさも感じるが、こういう面白さも、まあ、ありか、と思う。
土方の歴史、というか函館・五稜郭で死ぬまでの動きがよくわかる。

命をかけて、サムライであろうとする男たち。
それを慕い、幼いながらも戦場に勇敢に散る少年達。
人物描写でも、心理描写でも、人と人の関係を表す記述でも、美しく、かっこいい描写にいとまがない。

たとえば、わずかな新撰組隊士とともに、新政府軍に囲まれ、絶体絶命の場で、敵の軍監・有馬とその従者・坂本に対面し、ぬけぬけと新撰組である事を隠して「自分達は幕臣で、一揆の鎮圧中であり、新政府軍に弓引く者ではない」と言う場面。他の隊士が恐怖に震える中、土方は・・・・。

『こういうときの土方は(中略)目を見張るほど物腰が優雅になる。さらに土方は有馬の後ろに従える坂本にしばし視線を移し、フッと一瞬微笑んでみせた。十代の坂本はその不意打ちに頬を赤く染める。』

この場面でフッと微笑んだりしちゃう所が、かっこいいなあ、と思う。

文:○ キャラ:○

うちにあるもの再読。初めての石田衣良作品。オールオール読物推理小説新人賞受賞、デビュー作でもある。

最初に読んだとき、衝撃だった。
すぐに「。」で区切られる短い文の羅列で、でも軽さと鋭さを感じさせる文体が、非常にスマート。

●池袋で、実家の果物屋を手伝う真島誠、19歳。彼の1人称で物語が進む。第1話では、友達のカタキをとるため、連続絞殺未遂魔事件に首を突っ込み、ユニークな仲間と力をあわせてみごと解決。
それが地元で評判となって、さまざまなトラブルの相談を持ちかけられるようになる、という短編集。このあと、シリーズ化されて、何冊か続きが出ている。

チームやらヤクザやら、風俗嬢やらがごったに存在する「池袋」という街のイメージづくりがうまい。

その中で、誠が頭と体と人脈をつかって事件を解決してゆくのが小気味いい。
誠は、「誰がどうやっても絶対に動かないなんか」があり、金でも権力でも女でも、そのドアは開かない。「冷たい」とまで言われる。
これに対し、「おれは冷たい人間かもしれない。だけど誰だって開けることのできない部屋をひとつもってる。そんなもんじゃないだろうか。」「おれの部屋、おれの独房。」

決して冷淡なわけではない。
池袋の街を救うために、自分はどうなってもいいと、アツくなったり、友達に対して親身になったり、実にやさしい。でも、決してゆずらない何か、自分の価値観を、持っている。
それゆえに、どんな人に対しても、フラットに接して、その良さを認められる。このクールで、広い心が、主人公の魅力。
だからこそ、誠の周りにいられる多彩な面子もこの本の魅力。
チームのヘッド、やくざ、ひきこもり、絵を描くのが趣味の少年、電波マニア、イスラム人、刑事・・・・。差別なく、ちょっと変なところも「面白い魅力」ととらえる、誠の感性がいい。

かなり前だが、長瀬智也が主人公を演じて、ドラマ化されていた。弟が見てたのを横から眺めたくらいだが、なかなか面白かった。原作の雰囲気がよく出ていたと思う。本を読んで面白ければDVDレンタルしてもよいと思う。

ストーリー:◎

しゃばけシリーズ第2弾。
江戸の大店の病弱な若だんなと、それを助ける妖たちの物語。何篇かのお話が入っている。

1作目のときは、これほど面白いと思わなかったのだが、2作目はすごくいい!と思った。この本を読んで、このシリーズは全部そろえよう、と決意。

●若だんなの名推理が冴える謎解きとしても楽しみだし、

<空のビードロ>の松之助が、日々がつらくても「でも生きていればいつか何か、心が浮き立つようなことに出会えるに違いない」と健気に思って、それでもくじけそうになって、でもやっぱりまたこう思えるようになるシーンとか、

<仁吉の思い人>で、妖である仁吉が、「恋しい、ただただ恋しくてたまらないのさ」と思う一途な恋心とか、

<虹を見し事>で、病弱な自分が将来大店を仕切れるのか日ごろから不安な若だんなが、ある事件で、自分の力の及ばなさを痛感して、「私は本当に、もっと大人になりたい。凄いばかりのことは出来ずとも、せめて誰かの心の声を聞き逃さないように」「いつかきっともっと大人に、頼られる人になりたい」と固く思う決意とか、

すごく美しいシーンがある。
きれいな夕焼けを見たときのような、染み入る感動がある。

若だんなにしても、他の登場人物にしても、いい人ばかりで、ちょっとキレイ過ぎるかもしれないけれど、こういう美しい心映えは大切だ、と思わされて、いい。

<虹を見し事>は、まるで夢の中にいるかのような、ワケのわからない状況から、その状況が明らかになり、それと共に若だんなの「大人になりたい」という決意が、ごく自然な流れで描かれていて、ストーリー運びも見事。
キャラ:○

第13回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞。
江戸時代モノなのに、ファンタジー?と思ったが、ごく自然に江戸時代+ファンタジーが融合している。
そういえば、日本では昔から、器物が100年を経ると、魂が宿り、付喪神(つくもがみ)という妖怪になると言われているではないか。(「付喪」は当て字で、正しくは「九十九」と書くらしい)


●江戸で、廻船問屋と薬種問屋をいとなむ大店の、病弱な一人息子「若だんな」には、妖(あやかし)がついている。
人間の姿をして店でも手代として働く仁吉、佐助は、白沢(はくたく)、犬神という力の強い妖。若だんなに仕え、世話をやいてくれ、時には迷惑とも言えるほど、大事にしてくれる。
その他、鈴の付喪神の鈴彦姫、小っちゃな小鬼のような鳴家(やなり)、屏風の付喪神、かわうそ、、、などなど、にぎやかで、本人達は至極マジメだが、やはり人とは感覚が異なるせいでか、どこかユーモラスな妖たち。

この本では、夜道で殺人現場に行き会ってしまった若だんなが、危ない目に遭いながらも、妖たちと事件を解決。ついでに、なぜ若だんなに妖がついているのか?も解明される。この後、シリーズ化されており、続きはまだまだ。

人のいい若だんなと、妖たちの掛け合いが楽しい。
独り立ちしようとする若だんなに、いつまでも子ども扱いの周り。黙って抜け出しては、見つかり、周りを心配させ、怒られる。同じパターンが続くのだけど、飽きないし、微笑ましい。

初の伊坂幸太郎。本屋さんでずいぶんとこの人の本を見かけ、人気があるのだろうと思っていたが、これまで縁がなかったのを、手にとってみた。
が、この作品にはそれほどはまらず。

●3人の男の視点で物語が進む。
・妻を殺され、復習を誓う元教師の鈴木。
・「罪と罰」を愛読する大柄な男、殺し屋「鯨」。この男を前にすると、人は何故か絶望的な気分になり、自殺してしまう。
・ナイフ使いの若い男の殺し屋「蝉」

視点が切り替わる時、場所が変わり、時として時間が逆行し、でも違和感なくつながり、この切り替えはうまいなあ、と思った。パキパキと切り替わって読みやすい。

鈴木がフツーの男の感性なのに対し、2人の殺し屋は、何人もの人を平気で殺したり、殺した人たちの亡霊が見えて苦しんだり、異常な気配。その対比が、視点の切り替えによって鮮やかになされていて面白い。

「押し屋」という殺し屋を追って、3人が交わる。
鈴木の妻の敵(かたき)である悪い会社も「押し屋」を追い、人が入り乱れる様や、登場人物の描き分けもうまい。
のだが、ストーリーが、結局なんだったのだろう?と最後に思ってしまい、あまり残らない。

タイトルはバッタの事で、「バッタが密集して暮らすと、その中に黒くて翅の長い凶悪なタイプが発生する」というのに由来する。
「押し屋」は言う。人間だってそうだ、と。

人々が密集して暮らす都会では、「穏やかに生きていくほうがよほど難しい」と。

簡単に人を殺せる殺し屋達が発生するのもしかたなし、という話なのだろうか?このバッタの話と、ストーリーがあまりうまく絡んでないような気がして、はまり切れず。期待が大きかった分、残念。
こんど、他の作品も読んでみよう。


文:◎

コトバが心地よいから、これはよい文章なんだろう。
慌しい通勤電車の中で読んでも、ゆらゆら揺れる水に、たゆたいながら、のんびり読んでいるような気になる。

「海にむかう水が目のまえを流れていさえすば、どんな国のどんな街であろうと、自分のいる場所は河岸と呼ばれていいはずだ、と彼は思っていた」
という出だしの文から、私は好みだ、と思った。

●異国の河岸に繋いだ船で、レトロな家具に囲まれて暮らす主人公。日々、本を読み、レコードを聴き、クレープを焼いて、ただ一人で。時々、知人から手紙が届くか、船の持ち主に挨拶に行くか、郵便配達人が珈琲を飲みに来る以外は、人との交流はほとんどない。
河岸に停滞しながら、主人公はいろんな事を思い巡らす。ストーリーとしてはほとんど動きがないが、めまぐるしく展開する主人公の思考が、読み応えあり。

思考の始めは、本だったり、もらった手紙だったり、外から聞こえる太鼓の音だったり。犬走りをあえて翻訳すると、「キャット・ウォーク」と気づき、犬ではなく猫になる不思議に魅了されたり。
思考の芽が出たら、それを広げ、育て、たくさんのコトバで綴ってゆく。これは、時間と、豊富な語彙や、知識という広い畑があってできる事。書物や映画や経験が肥料となって、思考の芽は徐々に広がってゆく。
この広がりは、厳密な論理を無視した展開だったりもするが、それも面白い。

たとえば本を読んで、それを芽に、思考の畑を広げていけるには、どんな読み方をしたらよいのだろう?読み終わるための斜め読みではなく、時間つぶしのために読むのでもなく、読み終わった後の人生でその本の内容が畑の肥料となるような、そんな風に本を読みたい。


最後に。うらやましい!と思った一文。
「眠りをあやつる見えない手が、彼の午後をこうしてまた心地よくだいなしにしていく。」
「彼」というのが主人公。なんて贅沢な午後なんだ~!!

↓右は文庫。レビューが載っているのは左の方。

オビの「心に沁みるミステリの隠れた傑作 温かい感動の輪が広がり、45万部突破!!」に惹かれて買ったものの、いまいち読みにくくて感情移入できなかった。

ミステリーと言いつつ、殺人者(犯人)の動機があんまりしっくりこない。ミステリーの醍醐味の1つは、なぜ犯罪を犯したのか?犯人の動機をうまく語ることだと思う。

●仕事にかまけている間に妻と子を亡くし、ホームレスになった男が、ふらりと流れ着いた街で、10年以上昔に命を助けた少年に再会する。
自分を押し殺し、何も考えないようにしていた男が、少年とのやりとりや、身近に起きる殺人事件で、次第に自分を思い出し、とり戻し、事件を調べる羽目になる。
被害者は全員、少年が「哀しくてかわいそうだ」と言った人々。年の割に大人びて聡明な、だけど男にとって唯一、「よい事」をしたと胸をはって命を助けた少年が犯人なのか?

何がしっくりこないのか?と考えると、たとえば、初めに放火される家は「川路」家。物語の後半、この家の名前がふたたび登場するが、前半「川路」という名前は2回しか出てこず、印象に残らない。後半でその名前を見ても、「ん?誰だっけそれ?」と戸惑ってしまう。
こういう戸惑いが、物語にのめりこませてくれなかったのかと思う。

テーマとして、少年が主張する、「人は森を出て、よりよい生活を求め、サルから進化して、本当に幸せだったのか?失うことへの不安、得られないことへの不満を手にしただけなのでは?」という考えは面白い。
このテーマがもっと物語としっくり噛み合うと面白い作品になりそう。

キャラ:◎ ストーリー:○

一夢庵風流記が面白かったので、ついでにもう1冊、同じ作者のを。

「一夢庵風流記」よりも、私はこちらの方が好きだ。長いけど読み応えもある。

徳川家康が実は関ヶ原の戦で死亡、その死は一部の徳川家臣や秀忠以外にはひたかくしに隠され、以降、影武者が代わりに家康役をつとめる。
まだ地盤の安定しない秀忠にとって、圧倒的な力で武将たちを抑えてきた家康の死はとうてい世間に公表できるものではなく、影武者の存在は、自分が将軍となり、家康という強力な後ろ盾が不要となるまではぜったいに必要。しかし一方、影武者ごときに大きな顔をされるのも腹立たしく、影武者 VS 秀忠 の争いが主筋となる。

最初は味方のない影武者が、徐々に仲間を増やし、その陣営のオトコたちの友情、勇気、度胸があざやかに描かれる。
敵対する秀忠とその部下の小賢しさや陰険な小悪党ぶりが見事で、それを次々とうちやぶり、かわしていくのが痛快。

忍びの一族やら、島左近やら、風魔小次郎やら、有名どころもたくさん出てきて、それぞれにかっこいい。
隆慶一郎の描くオトコとは、
「合戦は生きものだ。そこが面白い。」
関ヶ原の激戦の中、負けるとわかった状態で、こういい放つようなオトコである。

しかし、歴史小説は最後が必ず決まっていて、途中で、「こんなにがんばっても、豊臣家は滅びるし、家康は死ぬし、秀忠は将軍になってしまうんだよなあ・・・」と結末が読めてしまうのが歯がゆい。
これだけ強い影武者側が、どうして最後に負けることになるのか?歴史に忠実に書けば、負けなければならないのだが、そこに見事な回答を入れてほしかったが、イマイチこじつけっぽいのが惜しい。


キャラ:◎

ジャンプで連載していた「花の慶次」の原作。いつか読んでみたいと思っていたのを古本屋で購入。あの漫画は、かなり小説に忠実に描かれていたようだ。
セリフの一言一句そのままのものが多いし、雰囲気もよく似ている。
そのため、新たな本を読んでいるドキドキ感はなかったが、海音寺潮五郎の書いた前田慶次郎モノよりも、こちらの方が華やかで楽しい。

この本の魅力はとにかく主人公の魅力に尽きる。
何よりも自由を愛し、茶や文学など風流な一面を持つ反面、戦場では鬼神のような働き、女や酒が大好きで、しかしそれはあくまで無邪気で可愛らしく。義にあつく、権力に媚びず、常に笑いを忘れず、おのれの価値観をつらぬきとおし、死を恐れず、友を大事にし、気の荒い馬とも心が通じ、男にもよく惚れたり惚れられたり。

「漢とかいて、おとこと読むぜ!!!」風な、人物描写が圧倒的にかっこよくて面白い。

 



文:◎

夏目漱石の弟子、内田百のエッセイ、短編集。
私にとっては、初めての内田百。

この本を読む人は、巻末の解説にある、「イヤダカラ、イヤダ」という、内田百が芸術院会員の推薦を辞退したときにつかった言葉をまず読むことをおススメする。

○格別ノ御計ラヒ誠ニ難有御座イマス
○皆サンノ投票ニ依ル御選定ノ由ニテ特ニ忝ク存ジマス
サレドモ
○御辞退申シタイ
ナゼカ
○芸術院ト云フ会ニ這入ルノガイヤナノデス
ナゼイヤカ
○気ガ進マナイカラ
ナゼ気ガ進マナイカ
○イヤダカラ
右ノ範囲内ノ繰リ返シダケデオスマセ下サイ


なんなのでしょう、この簡潔なワガママさ!まじめなおかしさ!

エッセイも万事、こんな調子なのである。
ドライな文章で、次から次に招かれる偏屈でユニークな思考。
すごくバカバカしいことを、至極マジメに書いていたり。

1つ1つのエッセイは、特に何も起きずに突然終わったりして、最初は物足りなかったが、この表紙の絵のような、みょ~なおかしみがある。
旅先でだらりだらりと読むのがよいかもしれない。

文:○ キャラ:◎ ストーリー:◎

守り人シリーズ2作目。
1作目が面白かったので、本屋で見かけてすぐに購入。これまたあっという間に読み終わった。

2作目で、本当にハマった。登場人物にも愛着をもってしまったし、このシリーズは今後も買うだろう。

1作目は子供に、2作目は大人に人気があるという。
私も2作目の方が好きだ。

1作目同様に緻密に作り上げられるこの世界、今回は前作のヨゴ皇国の隣の国、カンバルの話。
土地の貧しいカンバル国で産出される唯一の高価な産物、ルイシャ石<青光石>。この石を、カンバルの王と、王の槍と呼ばれる選ばれた槍使いたちが、<山の王>から受け取るという儀式が、35年ぶりに行われる。儀式の内容は秘密とされている。前回参加者も黙して語らない。<山の王>とは何者なのか?ルイシャ石<青光石>とはどうやって採れるのか?
この儀式にかくされた、カンバル国の仕組み、これがすごくよく出来ている。
人の死というものを、ファンタジーの世界で、こういう仕組みにしてみたかー、と感心してしまう。

カンバル国の仕組みを明らかにすると同時に、主人公、女用心棒バルサの物語もすすめられる。
バルサは、25年ぶりに故郷カンバルで、自分の心の傷と向き合う。
幼い頃、理不尽に家族を奪われ、国を追われた。養父はそんな自分のせいで、国を出て、かつての仲間に追われ、仲間と戦い、殺す羽目になり、不遇のうちに、養父は亡くなる。
この事が、バルサにとってはぬぐってもぬぐっても消えない、心の古傷。
その傷に向き合おうとして、故郷をおとずれ、儀式に巻き込まれ、儀式の中で、傷と向き合うことができる。このからめ方が、うまいなあ、と思う。

バルサがカンバル国に着いてから、物語にはずっと、寒さと雪のイメージがついているが、ラストで、バルサが窓を開けて、春の風を感じ、大切な人のところへ帰ろう、と想う。
このラスト、ずっと苦しんでいた傷をいやしたバルサが感じた春の風のあたたかさが体感できるようですがすがしい。


文:○ ストーリー:◎

新ヨゴ皇国という架空の国が舞台のファンタジー。
もともと、児童文学だったものを大人向けに漢字を増やしたものらしい。

「ファンタジー = 何でもアリ」なのではなく、ファンタジーというのは、いかに「ある世界」を作り出すか?という作業で、文化人類学者である著者は、建国の神話、先住民の伝承、先住民と新しい住民との違い、民俗、社会制度、精霊と人々の関係、などなど実に緻密に、かつ余計なものなく1つの世界を作り上げている。それがまず見事!

また、小説たるもの、世界をつくりあげるだけではなく、その世界でもって、物語をアピールできることが大切。

物語は、年のころは11~12歳の少年皇子が精霊の卵を産みつけられ、それゆえに父帝からの刺客や、卵をねらう魔物におそわれ、女用心棒や先住民の呪術師らと共に、精霊のナゾをときながら、卵を無事に孵そうとする、というモノ。
物語に、作り上げられた世界観がからみ、物語の進行とともに、世界の仕組みが明らかになってゆく。

物語のテンポも早く、先が気になり読み急いでしまう。
女用心棒が敵とたたかう戦闘シーンも、飛ばさずに読めるあたり、文章力もなかなかだ。

いいセリフも出てくる。世界はファンタジーでも、そこに人がいる限り、人の幸せ、不幸せは、やはりある。女用心棒は、その出生のために、追っ手から必死で逃げるつらい生活を送り、育ての親をそれに巻き込んで不幸にしたのではないか?という負い目を感じていた。その育ての親のセリフ。

「いいかげんに、人生を勘定するのは、やめようぜ、不幸がいくら、幸福がいくらあった。金勘定するように、過ぎてきた日々を勘定したらむなしいだけだ」

ファンタジーだから、全てが魔法で丸く収まるわけでは決してなく、どうしようもない事もある。それはこの世界と同じ。
それに立ち向かう登場人物たちの姿が、いとおしい。

ストーリー:○

村上龍の小説は、肉体に関する描写がリアルで汚くて気持ち悪くて、はじめは「うっ」と思うのだが、それが強烈で、読んでいくうちになじんでくるのが快感。

福岡が、北朝鮮の軍に占領される。ふぬけた大半の日本人はなす術もなく侵略をゆるす。その一方、殺人をなんとも思わないなど社会不適合な変わった感覚を持つ子供たちがそれに対抗する。
ファンタジーとも言えるようなストーリーだが、緻密な文章にたたみかけるように先へ先へと押し進められて、違和感を感じない。あっという間に読み終わった。

読み終わったあと、私に残った印象は、

民主主義とは、多数派が幸せになるための仕組みで、少数派の幸せは無視される。
大多数の人は、多数派側だからそれに気が付かない、あるいは気が付かないふりをしているけれど、いつ、どんなきっかけで少数派になり、不利益をこうむるともわからない。

それを承知で、多数派にいるのか?単に居心地がいいからと何も考えないでいるのではないか?と問いかけられたような気がした。

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