日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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文:○ キャラ:○ ストーリー:◎

小6の3人組男子が、「人が死ぬところを見たい!」という子供らしい発想から、1人暮らしのおじいさんを見張る事にするが、やがておじいさんにバレて、怒られたりからかわれたりしながら、次第に仲良くなってゆく。
小学校最後の夏休みの出来事、みじかいみじかい物語で、あっという間に読めてしまう薄い本だが、これを読むと、私の中の何かが洗われたような気になる名作。

3人の男の子が、子供なりにいろいろ考える。


「ヘンだよなあ。だれだって死ぬのに、どうしてこわいって思うんだろ。やっぱり死ぬまでわかんないのかな」

「オレはまだヒラメのお造りができない。できないうちは死ぬのはいやだって思う。できないうちに死んだらどうしようって思うとこわい。でも、ヒラメのお造りができるようになったら、いつ新でもいいって気になるかっていうと、わかんないけど」

「でも、どこかにみんながもっとうまくいく仕組みがあったっていいはずで、オレはそういう仕組みを見つけたいんだ。地球には大気があって、鳥には翼があって、風が吹いて、鳥が空を飛んで、そういうでかい仕組みを人間は見つけてきたんだろ。だから飛行機が飛ぶんだろ。音より早く飛べる飛行機があるのに、どうしてうちにはおとうさんがいないんだよ。どうしておかあさんは日曜日のデパートであんなにおびえたような顔をするんだよ。」


子供だからってこんなにストレートに言わないだろうと思うが、子供を通じて作者は言いたいことをストレートにぶつけてくる、そのおかげで短い本にたくさんの真理がつまっている。

3人とおじいさんが仲良くなった頃のシーンがすごく好きだ。
いかにも日本の夏っぽい情景で、私も子供のころに体験した夏の庭・・・その空気を思い出すし、大人になってから、既に失った場所や人の思い出として、この情景を思い出したら、なんともいえない切なさがしみるのもわかる。

キンモクセイの木がある庭、乾いた洗濯物がほっこりとつまれ、縁側に腰かけて熟れたスイカを食べる。「入ってますかー」と頭をたたいてじゃれあう。台所からみた庭は、夏の陽にあふれて、四角く切りとられた光の箱のよう。そして・・・

「あ」「雨だ」
乾いた白っぽい土の上に、黒いしみがいくつもできていく。やがてそれは庭全体に広がり、大粒の雨の降る音がぼくらの耳をおおった。湿った土と蚊とり線香の匂いが、強く立ち上がる。




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文:○ キャラ:○

日本名城伝につづく、私にとって2作目の海音寺潮五郎作品。

戦国時代の希代の快男児、前田慶次郎を書いた小説。
さわやかで無邪気で自由な男っぷりが、ステキだが、前田慶次郎モノでは、先に漫画の「花の慶次」を読んでしまっており、それに比べると華々しさが物足りない。「花の慶次」の方が1つ1つのエピソードが派手で面白かった。

前田慶次郎が恋をした自分に当惑するシーンの書き方がかわいらしい。おのれの精神をしばるものは何であれ許せず、恋なんて出来ないだろうと決めつけていた彼が・・・


「一体、この気持ちはなんであろう。一人の男が一人の女のことをたえず思い、たえず気にし、たえず胸をわくわくさせ、そのわくわくは、苦しく、また切ないが、一種の快さを持っている。-伊勢物語によると、かかる気持は、つまり、エヘン、恋である。源氏物語によると・・・・・また恋としか鑑定のしようがない。古今集に照らし合わせてみると、そうだな、やはり恋と断定せざるを得ない・・・・・・」
 これまで読んできた、あらゆる国文学の典籍全部に照らし合わせてみたが、そのいずれも同じ結論が出た。(略)
「おどろいたなあ。おれが恋をするとは!ほう、おれが恋をするとは!・・・・・・」』


文:○ キャラ:○

初めて読んだ海音寺潮五郎。
mixiの司馬遼太郎コミュニティで、司馬遼太郎好きにススめる他の作家として紹介されていたので読んでみた。城好きでもあることだし。

読みやすいしっかりした文章、史料をものすごく読んでる人だーという印象。

熊本城、高知城、姫路城、大阪城、岐阜城、名古屋城、富山城、小田原城、江戸城、会津若松城、仙台城、五稜郭の12個の城にまつわる史実を紹介する。
城で起こった事件や、城主またはその周辺の人のエピソードやら、そこから派生した逸話やら、1つの城からはじまっていくつもの歴史小話をくるくる味わえて面白い。

その城を訪ねたときに、「ここがあの舞台か」などと思い起こすものがあると、楽しいだろう。

あとがきに
『日本人に出来るだけ歴史知識を持ってもらって、正統歴史文学の育つべき素地を培養したいとの、かねての念願にも合致させたいと思った・・・』

高校生まで、私にとって歴史とは、教科書を覚えることだった。
が、大人になってこの本のような歴史文学を読むと、歴史とは、生きた人々の起こすドラマで、現実世界で起こる天災や偶然、そして人々の気持ちや行動の結果なのだと、だから、あるとき、ある人がとった行動や信念は、同じ目に遭えば参考になるし、自分と同じ世の話だと思うと、面白い。
歴史とは、何千年もの間の、多くの人の物語だから、1人の小説家が考え出すものよりはるかに感動できたり、残酷だったり、そんな事件が山ほどころがっている。それを知らずに過ごすのはもったいないと思う。

盛り沢山な内容はうれしいが、日本史に全く興味がなく、戦国武将の1人も知らなーいという人には、初めて聞く名前ばかりで若干つらいかもしれない。
「あの人に、その娘に、子孫に、先祖に、こんな逸話があったのか・・!」と楽しむには、ある程度、事前知識があった方がよい。

ガラシャ夫人の旦那・細川忠興の娘も父同様すごく嫉妬深くて、旦那と密通した侍女を焼けた火鉢を何度も刺して殺してしまってるとか、徳川3代将軍家光が名君と言われるのは、優秀な家臣たちが必死で宣伝していたからで実際はあまり賢くなかったとか、「へー!」の連続。

著者の歴史観で、戦国時代にはだましたり、不誠実な事はそう珍しくなかったが、大成する人物は器が大きく、そうそう小ずるい事はしない、というのが面白い。
『どんな時代にも、人は不信義な人間や不誠実な人間をきらうのである』

文:◎

この本は、漢詩を、独自の七五調の日本語に“戯訳”した詩集である。
この独自の七五調の日本語が、元の漢詩の意味を損なうことなく、しかも絶妙で、美しい。
中身もすばらしいのだが、このタイトルの由来がまたすてきだ。

「勧酒」という漢詩を、井伏鱒二が“戯訳”したものがある
実にスバラシイ訳で、この訳が、著者・松下みどりの漢詩戯訳の師となったらしい。

勧酒 于武陵

勧君金屈巵
満酌不須辭
花發多風雨
人生足別離

[読み下し文]
君に勧(すす)む金屈巵(きんくつし)
満酌辞(まんしゃくじ)するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨多し
人生別離足る

[井伏鱒二の戯訳]
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二は太宰治の小説の師匠で、『「サヨナラ」ダケガ人生ダ』とは、太宰治が酔うといつも口ずさみ、絶筆となった小説「グッド・バイ」で有名になった言葉。
この言葉に対し、松下みどりはこんなコメントを。

まさにサヨナラダケが彼[太宰]のテーマだった。しかし、一期一会とは言っても一期一別とは言わない。人は生まれて誰と出会うか、その出会いこそが人の生涯を決定する。サヨナラダケが人生ではない。その出会いには古今東西の書物や音楽、信仰なども含まれよう。

このコメントから、『「サヨナラ」ダケガ人生カ』というあえて疑問形にしたタイトルを思いついたとの事。

花が咲いてもやがて散るように、どんな出会いも別れがある。
最終的には「死」という形で。その前に訪れてしまう別れもたくさんある。
恋人や友達とのハッキリした別れ、何となく途絶えてしまう別れ。
でも、だからサヨナラだけが人生か、というとそうではなく、先に別れがあるとしても、出会いは喜びたいし、いい出会いは大切にしたい。
どんなに悲しい別れを体験しても、
別れがあるから出会いたくない、とは思いたくない。
こんな別れを味わうくらいなら、いっそ出会わなければよかった、とも思いたくない。


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