日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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うっかり電車で読んで泣きそうになった。

著者が、年老いた「オカン」を失って感じた悲しみ、恐れ、後悔、愛情が、地元・福岡での子供時代から東京に出て暮らす生い立ち物語のあちこちにちりばめられている。前半からずっとそれが感じられて「ヤバい泣く…」と予感しながら読んだ。

前半はユーモラスに語られているが、所々に夫婦や親子には簡単になれるが家族になるのは難しいとか、著者が感じている人生観が見えて「そうだよねえ」としみじみする。


前半はユーモラスに語られているが、「家族」や「貧しさ」「死」について、著者が感じている人生観がするどく語られ、そこは真面目に読んでなるほど、と想った。

『「親子」の関係とは簡単なものだ。
 それはたとえ、はなればなれに暮らしていても、ほとんど会ったことすらないのだとしても、親と子が「親子」の関係であることには変わりがない。
 ところが、「家族」という言葉になると、その関係は「親子」ほど手軽なものではない。(中略)生活という息苦しい土壌の中で、時間を掛け、努力を重ね、時には自らを滅して培うものである。
 しかし、その賜物も、たった一度、数秒の諍いで、いとも簡単に崩壊してしまうことがある。』

また、親子よりも簡単な「夫婦」。その簡単な関係を結んだだけの男女が、成り行きで親になり、家族という難しい関係に取り組むことになる。ある程度は流れてゆく時間が家庭を作ってくれるが、恐ろしく面倒で重い「自覚」をもって、家族関係にいつしか生まれるひびを埋める作業をしなくてはならない。


『貧しさは、比較があって目立つものだ。(中略)金持ちが居なければ、貧乏も存在しない。(中略)
 しかし、東京にいると、「必要」なものだけしか持っていない者は、貧しい者になる。東京では「必要以上」のものを持って、初めて一般的な庶民であり、「必要過剰」な財を手にして初めて、豊かなる者になる。(中略)
 必要以上を持っている東京の住人は、それでも自分のことを「貧しい」と決め込んでいるが、あの町で暮らしていた人々、子供たち、階段の上に座って原価の酒を飲んでいた人々が自分たちのことを「貧しい」と蔑んでいただろうか?金がない、仕事がないと悩んでいたかもしれないが、自らを「貧しい」と感じてたようにはまるで思えない。
 なぜなら、貧しさたる気配が、そこにはまるで漂っていなかったからである。(中略)
 搾取する側とされる側、気味の悪い勝ち負けが明確に色分けされた場所で、自分の個性や判断力を埋没させている姿に貧しさは漂うのである。必要以上になろうとして、必要以下に映ってしまう、そこにある東京の多くの姿が貧しく悲しいのである。』


ジョン・レノンの突然の死を知って、死の身近さを思い知ったときに感じた驚き。焦り。
死は、老いの果てにあると思っていたのに。

『突然、何の脈絡もなく訪れる死もある。その死を意識すれば、生きていることも恐ろしくなる。どんな想いも、未来も、その前ではなんの意味もない。
(中略)
早くしないと死んでしまう。早く行かないと死んでしまう。人は必ずいつか死ぬ。』


『子が親元を離れてゆくのは、親子関係以上のなにか、眩しく香ばしいはずの新しい関係を探しにゆくからだ。
 友人、仲間、恋人、夫婦。そのひとつひとつに出会い、それぞれに美しく確かなる関係を夢見て、求める。』

でもそれは落胆の種にしかならず、失望し、心ちぎれ、でもまた求め、同じ想いを繰り返してぼろぼろになったころ。

『その時、子は親になる。
 人間が生まれて、一番最初に知る親子という人間関係。それ以上のなにかを信じ、世に巣立ってゆくけれど、結局、生まれて初めて知ったもの、あらかじめ、そこに当たり前のようにあったものこそ、唯一、力強く、翻ることのない関係だったのだと、心に棘刺した後にようやくわかる。
 世の中に、様々な想いがあっても、親が子を想うこと以上の想いはない。
 求めているうちは、それがわからない。ただひたすら、与える立場になってみて、やっとわかってくる。』


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キャラ:◎ ストーリー:○

一夢庵風流記が面白かったので、ついでにもう1冊、同じ作者のを。

「一夢庵風流記」よりも、私はこちらの方が好きだ。長いけど読み応えもある。

徳川家康が実は関ヶ原の戦で死亡、その死は一部の徳川家臣や秀忠以外にはひたかくしに隠され、以降、影武者が代わりに家康役をつとめる。
まだ地盤の安定しない秀忠にとって、圧倒的な力で武将たちを抑えてきた家康の死はとうてい世間に公表できるものではなく、影武者の存在は、自分が将軍となり、家康という強力な後ろ盾が不要となるまではぜったいに必要。しかし一方、影武者ごときに大きな顔をされるのも腹立たしく、影武者 VS 秀忠 の争いが主筋となる。

最初は味方のない影武者が、徐々に仲間を増やし、その陣営のオトコたちの友情、勇気、度胸があざやかに描かれる。
敵対する秀忠とその部下の小賢しさや陰険な小悪党ぶりが見事で、それを次々とうちやぶり、かわしていくのが痛快。

忍びの一族やら、島左近やら、風魔小次郎やら、有名どころもたくさん出てきて、それぞれにかっこいい。
隆慶一郎の描くオトコとは、
「合戦は生きものだ。そこが面白い。」
関ヶ原の激戦の中、負けるとわかった状態で、こういい放つようなオトコである。

しかし、歴史小説は最後が必ず決まっていて、途中で、「こんなにがんばっても、豊臣家は滅びるし、家康は死ぬし、秀忠は将軍になってしまうんだよなあ・・・」と結末が読めてしまうのが歯がゆい。
これだけ強い影武者側が、どうして最後に負けることになるのか?歴史に忠実に書けば、負けなければならないのだが、そこに見事な回答を入れてほしかったが、イマイチこじつけっぽいのが惜しい。


キャラ:◎

ジャンプで連載していた「花の慶次」の原作。いつか読んでみたいと思っていたのを古本屋で購入。あの漫画は、かなり小説に忠実に描かれていたようだ。
セリフの一言一句そのままのものが多いし、雰囲気もよく似ている。
そのため、新たな本を読んでいるドキドキ感はなかったが、海音寺潮五郎の書いた前田慶次郎モノよりも、こちらの方が華やかで楽しい。

この本の魅力はとにかく主人公の魅力に尽きる。
何よりも自由を愛し、茶や文学など風流な一面を持つ反面、戦場では鬼神のような働き、女や酒が大好きで、しかしそれはあくまで無邪気で可愛らしく。義にあつく、権力に媚びず、常に笑いを忘れず、おのれの価値観をつらぬきとおし、死を恐れず、友を大事にし、気の荒い馬とも心が通じ、男にもよく惚れたり惚れられたり。

「漢とかいて、おとこと読むぜ!!!」風な、人物描写が圧倒的にかっこよくて面白い。

 



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