日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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彼氏と大喧嘩の果てに薬の過剰摂取で精神病院に強制入院となった主人公・明日香。目が覚めたら体が拘束されていて、そこから入院までの経緯を思い出したり、病院内の観察したり、徐々に状況がわかってくる運び方が上手。
短くポップな文体が無駄ない描写で、薄くてさらりと読めるが、院内のいろいろな種類の患者やナースの様子も手広く描かれ、内容は見た目より充実している。

自分がここにいるのは間違いで一刻も早い退院を願う明日香だが、前の旦那との離婚話やそこからの鬱など、なかなかハードな人生で、そういった過去を見つめなおし、ラストでは再生への一歩を踏み出す、というところまで展開する。

コンパクトにまとまっていて読みやすい。
が、軽やかな文体で気持ち悪い事を書いてあるのが、どうも合わなくて読んでるとゾワゾワしてしまった。
冒頭のゲロでうがいをするシーンはその最たるもので、かなり気分悪くなるけど、斬新で秀逸ではある。
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映像的な出だしが魅力的。
特徴的な3人の会計検査院の調査官が東京駅ホームを歩く場面から始まる。
アイス好きで強面の副長「鬼の松平」、ずんぐりむっくりしたおとぼけキャラ鳥居、長身の才媛ゲーンズブール。
3人が大阪へ向かう新幹線から見える富士山、そこに昔、鳥居が見たという十字架の幻覚の思い出話が続き、テンポのよいかけあいの後、美女ゲーンズブールがニヤリと笑ってポッキーを白い歯で割るシーンで場面が切り替わる、というのも映画のよう。

次へ次へと進む、映画のような映像的な物語は、読んでる間、実に楽しい。
が、読み終わってみると、結局この話は何が言いたかったのかしら?とあまり残らない。

大阪が抱える秘密。その伝統。大阪全停止とか、描かれ方がたいそうな割には、結局みんながやった事とか、何故調査官たちと対決する羽目になったのかとか、解決の仕方とか、なんだかあまり印象に残らず、ぱっとしない。大風呂敷を広げられたけど、中身があまりない、といった印象。著者はそういうエンターテイメントを書きたかったのかもしれない。
鴨川ホルモーのほうが素朴で面白かった。

動きと音のあるアニメとか映画で見て楽しみたい作品。
あと、登場人物たちの名字が、戦国武将の名を受け継いでいるところがちょっと楽しい。

『(略)車が左折したところで、鳥居が急に、
「あ」
と甲高い声を上げた。
壁面に描かれたレリーフを太陽の光に燦然と輝かせ、大阪城天守閣が、足元に広がる森を従え、そびえ立っていた。
「さあ、仕事の時間だ。鳥居調査官、ゲーンズブール調査官」
静かな闘志をこめた松平の低い声が、厳かに車内に響いた。』


『エレベーターの前に着いたところで、鳥居が「最近は一日にどのくらいアイスを食べるんですか?」と訊ねた。
「五個」
「少し減りましたね」
チンという音とともにエレベーターが到着し、二人は中に乗りこんだ。』


『「なあ、真田」
机の上に両手を置き、後藤はゆっくりと語りかけた。
「世の中でいちばん難しいことって何やとおもう?」
両手の指を組み合わせ、後藤は深みのある声で尋ねた。(中略)軽くうなずき、あとを続けた
「ずっと、正直な自分であることや」』
期待以上でも以下でもなく、文庫本の、ほのぼのとした可愛らしい表紙そのままの中身だった。

28歳のフリーライター寺坂真以(まい)が仕事場代わりにするファミレスでよく見かける、小柄で上品で可愛らしいおばあちゃん。話し方も実に丁寧。
「差し出がましいのは重々承知でございますけれども、何ですか、お困りのようでしたので・・・」
と話しかけられたのがキッカケで知り合い、おばあちゃんは、真以やファミレスの客の周りに起こった、ちょっと不思議な出来事を、鮮やかに謎といてゆく。という連作ミステリー。

紛失した指輪が、ケーキの中から出てきたワケとか。
壊れていたハズの目覚まし時計が何故か鳴って、持ち主が朝、起きれた理由とか。
きちんとした服装の女性の身だしなみが、不自然に1箇所だけ乱れている理由とか。

謎ときが、ほのぼのし過ぎていて、あまりのめりこず。
主人公の語り口調の物語は読みやすくわかりやすいが、特に印象に残る言葉とかエピソードがなく、一度もページをめくる手を止めることなく、通り過ぎてしまった。

気分的に重めの本を求めていたときに読んでしまったので特にそう思う。しまった。
「点と線」と並び称される著者の代表作。
昭和30年代の物語。この時代をよく知らない私が読んでも、描写に違和感がないので、上手な文章なんだと思う。

主人公・禎子が見合いで知り合ってよく知らぬまま結婚した夫が、新婚旅行直後に、失踪してしまう。
東京と金沢を仕事で往復し、毎月20日間近くを金沢で過ごしていた彼は、結婚を機に東京に戻る事にし、仕事の引き継ぎに金沢へ出張したまま予定の日になっても帰って来ない。
金沢へ夫を探しに行った禎子は、金沢での夫の知り合いをたずね、行方を調べようとする。手がかりのようなものがつかめていくのに、夫の事を何も知らない禎子にはその手がかりが指すものがわからず疑惑だけが残り、また、手がかりをつかんだと思ったら関係者が次々に殺され、なかなか物語が進まない。それが読んでて不快なのろさではない。

この物語のゆっくりさ。
徐々に明らかになる夫の金沢での過去至極冷静に見つめる禎子の静かな視線。(解説では、「普通夫のそんな一面知ったらもっと怒るだろー、物語としておかしい」と書かれているが、あまり人間味の無いこの冷静さがこの物語には合っててよかったと思う)
暗い冬の北陸の陰鬱な雰囲気。
昭和30年代の古くさい感じ。

これらがあいまって、冷たく暗い雰囲気が全体的にただよっていて、それを楽しめた。
犯人や動機には、当時の社会問題が背景となっているようだが、そんな理由でここまで人を殺すか?とやや共感しにくい。古い作品なので、当時はしっくり来るものだったのかも。


先日読んだ、瀬戸内寂聴の「藤壺」の前書きで、寂聴が「輝く日の宮」の偽作をはじめてまもなく、丸谷才一がこの小説の中で同じ帖の偽作を含んだ小説を発表しており、『丸谷さんの国文学の教養のすべてを賭け、丸谷さんの小説家としてのテクニックのあらゆる秘術を総動員して書かれているので、面白くない筈はありません』と紹介されている。

で、最近、源氏物語づいているので、これも読んでみた。
たしかに面白かった。

●杉安佐子は大学に勤める国文学者。専門は19世紀文学で、学会で、「松尾芭蕉がなぜ奥の細道旅行で東北地方へ行ったか?」について発表したりする。
後半では、源氏物語には「輝く日の宮」という帖があり、そこに光源氏と藤壺の宮が初めて結ばれるシーンが書いてあったと考え、それについてライバルと論戦したり、なぜこの帖が欠損したのか?を推理する。
そんな中、旅の途中、ローマ空港で出会った男性と、恋をしたり。


知的好奇心が充実している時に読むのがよい。
「かういふ哲学みたいな・・」とか「ないでせう」というような旧仮名づかいだし、古文の文法について書かれていたり、学会の論戦でだらだらと学者同士の話が続いたり、とテキトーにパラパラ読みたい気分の時には向かない、気合が必要な1冊だが、読み応えはすごくある。読めば、面白い。章ごとに話し手や文章のスタイルががらりと変わる書き方も実験ぽくて面白い。

最後には、平安時代に時がさかのぼり、紫式部と藤原道長の会話が、安佐子の想像なのか、本当にあった会話だったのかどちらともとれるように出てきて、紫式部が「後世生まれ変わることがあったら、『輝く日の宮』を書き直すことに致しましょう」と言い、それが現世で、『輝く日の宮』を再現しようとする安佐子へとつながる。
安佐子は紫式部を追い、紫式部は安佐子へつながる、という流れがうまくまとまる感。


ロマンチックな描写もあって、安佐子が中学生の時に書いた小説に登場する、主人公の少女の婚約者の男性は、トーストのような男くさい匂いがする若者、とある。
そして、安佐子がローマで出会った男性に、この話をすると、男性は「それはぼくのことだ、ほら、焼きたてのトーストの匂い、するでしょう」と言われ、ホテルの部屋まで送ってきたあと、
「トーストの匂ひ、はいつてもいいですか?」と男性に言われ
「どうぞ。食べてあげる」
というやりとりとか、とてもオシャレだ。

文:◎

この本は、漢詩を、独自の七五調の日本語に“戯訳”した詩集である。
この独自の七五調の日本語が、元の漢詩の意味を損なうことなく、しかも絶妙で、美しい。
中身もすばらしいのだが、このタイトルの由来がまたすてきだ。

「勧酒」という漢詩を、井伏鱒二が“戯訳”したものがある
実にスバラシイ訳で、この訳が、著者・松下みどりの漢詩戯訳の師となったらしい。

勧酒 于武陵

勧君金屈巵
満酌不須辭
花發多風雨
人生足別離

[読み下し文]
君に勧(すす)む金屈巵(きんくつし)
満酌辞(まんしゃくじ)するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨多し
人生別離足る

[井伏鱒二の戯訳]
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二は太宰治の小説の師匠で、『「サヨナラ」ダケガ人生ダ』とは、太宰治が酔うといつも口ずさみ、絶筆となった小説「グッド・バイ」で有名になった言葉。
この言葉に対し、松下みどりはこんなコメントを。

まさにサヨナラダケが彼[太宰]のテーマだった。しかし、一期一会とは言っても一期一別とは言わない。人は生まれて誰と出会うか、その出会いこそが人の生涯を決定する。サヨナラダケが人生ではない。その出会いには古今東西の書物や音楽、信仰なども含まれよう。

このコメントから、『「サヨナラ」ダケガ人生カ』というあえて疑問形にしたタイトルを思いついたとの事。

花が咲いてもやがて散るように、どんな出会いも別れがある。
最終的には「死」という形で。その前に訪れてしまう別れもたくさんある。
恋人や友達とのハッキリした別れ、何となく途絶えてしまう別れ。
でも、だからサヨナラだけが人生か、というとそうではなく、先に別れがあるとしても、出会いは喜びたいし、いい出会いは大切にしたい。
どんなに悲しい別れを体験しても、
別れがあるから出会いたくない、とは思いたくない。
こんな別れを味わうくらいなら、いっそ出会わなければよかった、とも思いたくない。


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