日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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家屋や宿、旅、トイレなど様々なものへの好き嫌いを語る随筆。深い美意識、見事な文章力によって、美しくもユーモラスで、絶品!

表題作の「陰翳礼讃」では、"日本の漆器や絵画、米びつのご飯や女性の肌も、闇と蝋燭などの仄かな灯りの下でこそ美しい"と主張し、広まりつつある電燈の明るい光を嘆く中で、闇について幾通りもの美しい表現が出て来る。

『だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子箱に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。』

『もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。(中略)要するにただ清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り、そこへ引き入れられた光線が凹みの此処彼処へ朦朧たる隈(くま)を生むようにする。にも拘わらず、われらは落懸(おとしがけ)のうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを塡(うず)めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。』


かと思えば、「客ぎらい」では、眠りかけの猫が人間に呼ばれて鳴くでも無視でもなく尻尾をブルン!と振るのを見て客ぎらいの自分にも尻尾が欲しいというなんとも可愛らしい場面もある。
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盲目の法師が、かつて仕えたお市の方について後年語っている、という形式で物語が進む。

信長の妹で美人と名高いお市の方は、嫁いだ浅井長政を信長に攻め滅ぼされ、再婚した柴田勝家を秀吉に攻められ、ここで夫と運命を共にする。
法師の語りは、盲目ゆえに限られた情報、又は伝聞でのみ知った情景で、淡々としているが、お市の方の美しさへの、やや粘着質な憧れ・思慕、傍にいられる事への満足・幸福感がその中に見え隠れして、変な熱さがある。

『わたくしにはただ、おくがたのお手のうちで鳴るじゅずのおとがきこえ、たえなる香のかおりがにおってまいったばかりでござります。』

語り口が美しくてじっくり味わいたい。
が、同じ人物を「伊賀守どの」と書いたり「いがのかみどの」と書いたり、統一されていなくて実に読みにくい。

落城前夜の宴で、敵に通じた味方が三味線に入れた合いの手を暗号にして、法師にだけわかるメッセージを伝えて来るシーンが、それまでと雰囲気が変わって突然サスペンスなタッチなのがちょっと面白い。
みをつくし料理帖シリーズ4作目。
人と思いやって、真剣に自分と向き合い仕事に精を出して生きることは、ステキな事だ、と思わせてくれる名作。ヘタすると鼻につく押し付けがましさが出がちな人情バナシを、絶妙なバランス感で描く。

身分違いの恋を胸に秘め、料理という生業に日々努力する主人公の澪(みお)。数々の苦境をのりこえ、健気な澪と、それを支える周りの人々のあたたかさ、そしてきびしさの描写がうまい。

今回は冬だったが、季節の情景をうまく取り入れ、それにピッタリな料理の出し方も上手で、読み終わるとおいしい料理をつくって食べたくなる。誰かに食べてもらって「美味しい」と喜んでほしくなる。

汚い手で澪たちを苦しめた金持ち向けの料理屋・登龍楼と料理対決をすることになり、プレッシャーに苦しむ澪に、勝負や精進についてされたアドバイスがよかった。

澪のつとめる料理屋を手伝ってくれる老女・りうから。、
「勝負事ってのは厄介でねぇ、どれほど努力したとか精進したとか言っても負ければそれまで。勝負に出る以上は勝たなきゃいけない。そう思うのが当たり前ですよ。」
ただ、と続く。
「勝ちたい一心で精進を重ねるのと、無心に精進を重ねた結果、勝ちを手に入れるのでは、『精進』の意味が大分と違うように思いますねぇ」
「勝ちたい、というのは即ち欲ですよ。欲を持つのは決して悪いことではないけれど、ひとを追い詰めて駄目にもします。勝ち負けは時の運。その運を決めるのは、多分、ひとではなく、神仏でしょう。神さま仏さまはよく見ておいでですよ。見返りを求めず、弛まず、一心に精進を重ねることです。」

澪が想いを寄せる小松原はこう言った。
「勝つことのみに拘っていた者が敗れたなら、それまでの精進は当人にとっての無駄。ただ無心に精進を重ねて敗れたならば、その精進は己の糧となる。本来、精進はひとつの糧となるものだが、欲がその本質を狂わせてしまうのだろう」

文:◎

時代はちょっと古いのだが、とても読みやすくてキレイな文章だった。
この人の文章は、好きだ。
エレガントな美しい文章に、太宰の理想や思想が、人物を通して物語の中に自然に垣間見えるのが、ちょうどいい感じがする。

第二次世界大戦が終わったころ。
落ちぶれた華族の母と、娘・かず子、息子・直治。
直治の遊び仲間の小説家、上原。

かず子が語ってすすむ物語は、没落貴族の娘らしく、か細く、たおやかな色調。
父を亡くし、母娘2人で細々と暮らすところに、戦地から弟の直治が帰ってくる。
直治は麻薬中毒になっていて、とぼしい家の金を持ち出しては、乱行ざんまい。

この4人の、四者四様の滅びの姿が描かれる。
相照らし、その影が交差するように入れ替わり交わり4人それぞれが、太宰の理想像や思想を体現する人物として、個性を見せる。

終戦直後。それは、道徳の過渡期だった。
自分も上原も直治も、その犠牲者だと、かず子は言う。
敗戦で、外側から価値観が変えられようとした時代。
それでも結局は変わらない、人間のけちくさいエゴイズム。

解説によると、太宰は、古さに絶望し、自分の中のそれらをえぐり出し、世の中の古さ、けちくささ、悪、ぎぜんを撃とうと決意してこの作品を書いたらしい。
その革命のためには、美しい滅亡が必要で、その滅亡と、
恋と革命に生きる新しい人間を、
『こいしい人の子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。』
と言う、かず子に託して描いている。


■優しく、はかなく、どんな所作も無造作で天然に可愛らしく、これこそが「真の貴族」「真の貴婦人」と言わしめる母。太宰にとっては、ある1つの理想像。

■他人に何と言われようと、厳しく身についた道徳に反しようと、自分がやりたい事をする、それがかず子の革命。
具体的には、恋した人の赤ちゃんを生みたい、相手は妻も子もある男性だから、自分は愛人でもよいとすら言う。
太宰が、女性に感じる、子を生むという特別な力、それゆえの逞しさへのアコガレが見える。

『私には、「常識」という事が、わからないんです。すきな事が出来さえすれば、それはいい生活だと思います。私は、あなたの赤ちゃんを生みたいのです。』

『この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだが、このごろ私にもわかって来ました。あなたはご存じないでしょう。だからいつまでも不幸なのですわ。それはね、教えてあげますわ、女がよい子を生むためです。』

■なぜ自分が生きていなければならないか、それが全くわからない、という直治。
偽善とうわべだけの上品さの上流階級に嫌気がさし、下品になろうと努力するが、貴族生まれの直治がどんなに努力しても、たくましい民衆にはどうしてもなれなかった。
『人間は、みな、同じものだ。』
という言葉に、人をいやしめ、努力を放棄させる、個人の尊厳を台無しにする嫌悪を感じる。

大地主の六男に生まれ、恵まれた生活を送り、しかし生家に反発して共産主義運動に身を投じるも、結局は入り込めなかった太宰の姿が反映されている。

■ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、と口ずさみ、遊び仲間と酒を飲んだくれ、金を浪費する流行作家・上原。
これも、最後の闘争の形態。
気障だけど、悲しいこのセリフが印象的。
「何を書いてもばかばかしくって、そうして、ただもう、悲しくって仕様が無いんだ。いのちの黄昏。芸術の黄昏。人生の黄昏。それもキザだね」
●金髪トサカ頭の不良少年・竜二は、高校の先生に連れられ、上方落語の名人に弟子入りさせられる。この師匠が、借金持ち、大酒飲み、すぐに暴力をふるう、手のつけられない暴れん坊(でも芯はいい人だったりする)。さすがの不良少年もその前では大人しくなるしかなく、しぶしぶ落語をはじめると、これが意外と面白く、ハマってみるものの、なかなか素直になれず、途中こじれ、落語を捨てかけるがやっぱり戻って一応めでたしめでたし~。

というコテコテの不良少年の更正ストーリーだが、落語がからむのが、面白い。

7つの短編があり、それぞれが1つの噺とからんでいる。
噺のあらすじやミドコロも紹介されるので、落語素人のワタシにとってはいい入門書代わりとなった。
東京と大阪で、噺がちがったりする事も初めて知った。

ミステリー仕立てにもなっており、毎回、奇妙なことが起こったり、殺人や誘拐事件があったり、それを竜二があっさり解決するのだが、ミステリーとしては謎が単純、謎解きが強引でイマイチ物足りない。



日記調で淡々と、ひたすら時系列に出来事が細かく書いてあり、読むのがつらかった。物語としてアツく思い入れを持てない。

たとえば、勝海舟の部下達が仕事への不満で辞表を出したのに対して勝がいさめる手紙を書くくだりがあるが、その結果、部下達が思い止まったのか、辞めたのかの記述はなかったり。
勝の塾生の果し合いという物語に何の関係もないエピソードに頁が割かれたり。

文章としては簡潔で読みやすいのだが、ストーリー性がない。これだけ調べて克明に記述されていることはすごいと思うのだが。登場人物も多いのに、ゴチャゴチャした書き方で読みづらい。でも著者はこういう手法で書きたかったのだろうと思われる。

薩摩と英国の戦のシーンは面白い。ナメるな!という薩摩の気迫が小気味よい。スカッとする。

勝は希代の外交官。外人相手ではなく、日本人相手にしても、この本には出てこなかったが坂本竜馬も勝を暗殺しに来てハナシを聞いて弟子になっちゃったとか。
外交の極意は「腹蔵なく話す」こと。
これは、今私が携わっている、顧客のシステムを委託されて運用する仕事でも一緒だなあ、と思った。お客さんといい関係を結びたかったら、いい仕事がしたかったら、本当の事をつつみ隠さず言うのがいちばん早い。変に良く見せようとしたり、汚点を隠そうとすると、長い目で見ると、損だ。
人間関係全般に言える事なのかもしれない。

勝は、死を覚悟で沸騰しているような長州へ和睦の使者として出向いたり、刺客が来てもその気合をくじいたり、剣術を学ぶとそんなにも心が鍛えられるのか!と感心する。

また、幕府のためにものすごくがんばるのに、それなのに将軍・慶喜にもあまり好かれず、悲惨だ。
しかし、それにもメゲず、信念の通りに骨身を惜しまず働き、維新後、下野してから徳川のために徳川銀行なるものをつくって経済的に救済したり・・・いったい勝のそこまでする原動力は何だったんだろう。

解説によると、著者は、人物伝記モノの第一人者だとか。
この本は読みづらかったが、他のを読んでみたい。
著者が人物伝記モノを好む理由を下記のように言う。だから、単調でも何でも、ひたすら勝の足跡を記述したんだなあ、と思った。

『私は小説をおもしろくつくる作業をする気はないが、好奇心につられ、謎のなかへはいりこんでゆくとき、小説を書く作業のおもしろみが、よく分かるような気になることがある。
人間とはなにか、どこからやってきてどこへ去ってゆくのかという、おそらく原初以来の人間が考えたであろうことを、私も考えつづけている。
決して答えは出ないが、過去の歴史を歩んだ人々の足跡を文学で辿ってゆくうち、ときどき霧がはれるように、人間の運命が見通せるような気になることがある。
それは、そんな気になるだけで、宇宙は沈黙しつづけている。』
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