日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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織田信長が実は女だった、という歴史小説。

女だからこそ、天下統一ができる、という主張が面白かった。

天下統一が自分にしかできないのは、心がけの問題だ、と信長は言う。
男は泰平の世を作りたくて戦をするわけではない、戦のために戦をする、だから適当な落としどころばかり探りながらずるずる戦を長引かせてばかりいる、と。
斉藤道三はそういわれて、たしかに、自分は、ただ己の証しを立てたい名前を残したいと戦っているだけだ、と思いあたる。

信長は、民がのぞんでいる泰平の世を望み、そのために戦をし、とことん勝ち抜く事を望む。
戦で名をあげようなどと思っていないから、刀や槍ばたらきでの個人の武功に頓着せず、集団として戦に強くなる方法を思いつき、実践できる。

という流れは面白かったし、信長に関する史実を、実は女だったという観点で描かれた逸話たちはパロディのように楽しめるが、信長がヒステリック過ぎて読んでいて疲れてしまうし、「男とは」「女とは」論が、やや偏ってる感じがする。

この著者の小説は、いつもくたびれたおじさんが、たらたら文句言ったりひねくれたりしながらも、目覚めて最後には再生する爽快さがあるが、主人公が女性のこの話では、信長は最後に自分が本当に求めたものが何かを知り、満足げだが、読んでいる方は、それで満足なのか?というラストであまりすっきりしなかった。
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刑務所から出所したばかりのスリ常習犯、辻牧夫は、電車で見かけた、高校生のスリ集団を追い、怪我を負う。
それを助けた占い師の昼間薫と、偶然の交流が始まる。
辻がその高校生たちを探し、正体を突き止めようとするのがストーリーの中心。

ストーリーがすごく面白い!というのでもないのだが、登場するキャラクターたちが多種多様で魅力的。
そのキャラクター達がからまりあってゆく様に見とれて引き込まれてしまう。

その中心をなすのが、2人の人物。

昔かたぎで腕利きのおじいちゃんに磨かれた腕を持つスリ、辻牧夫。
物語の冒頭で刑務所から出所したばかりという犯罪者なのだが、人なつこく、飄々としていて、スリなりの正義感や任侠のようなものがあり、憎めない。

栗色の長髪、白い肌、男性だが、全体的に華奢で淡い雰囲気の占い師、昼間薫。
反面、ギャンブル好きで、したたかでもある。
お堅い弁護士の父・姉・親友に囲まれて、それに反発するようにフラフラしてモラトリアムであろうとする。
神がかった能力があるわけではなく、占いにイカサマを使ったりもするが、、そこはかとなく神様を信じているところがあって、穏やかなしゃべりかたや容姿とあいまって「占い師」という職業がよく似合う。

どちらもほのかに色気があって、大変に魅力的だ。
どちらも自分の仕事に誇りと責任を持っていて、またそこがいい。
彼らの仕事について語られるシーンが多く、それが面白い。

辻の職人的なスリの技とか、チームでやるスリの見事さとか、犯罪なんだが、かっこいいと思ってしまう。
昼間は、人の話を聞く能力に長けていて、寒い夜も街に出て、言葉を胸にためこんだ人々から、ただその言葉を聞いて、受け止めている。それが自分の仕事だと思っている。
昼間に話を聞いてもらうと、楽になる、というお客は多い。

エピローグ。この2人が会話をしているシーンで、昼間が辻にタロットカードを渡しながら、
「タロットの歴史は非常に古いのです。」
と、説明するところがある。それを聞いて辻が
「泥棒の歴史も古いね。占い師も」
と答える。ここで2人のここまでの交流や、それぞれの仕事への想いを思い出し、またそういえばどちらもかなり特殊だけど歴史のある職業だな、という納得感があり、印象的。
酒見賢一の描く、史実と不思議が混在した世界を味わえる。

漢の時代の歴史家、司馬遷は、殷という国が滅び、かわって周が天下を治めるあたりから、神話伝記ではなく、科学的に検証しうる歴史が始まったと考えていたようだ。
たしかに、これより前の歴史は、神話のような逸話が多い。

周王朝建国の功労者の1人、周公旦。
中国史上屈指の聖人と言われ、名政治家であり、孔子が尊敬してやまなかった人物。
彼の最大の業績は、「礼」の整理再編にあるという。

「礼」というと、礼儀作法やマナーを連想するが、この本によると・・
『礼は、古代中国の宗教から社会規範、及び社会システムにまで及ぶ巨大な取り決めの体系』
である。戦いも、王の病気を治すのも、外交も、礼によるところが大きい。

たとえば、周が殷の国と戦う前に発する、宣戦布告の声明文「太誓」では。
殷の罪悪をつらね、対決する理由を明らかにし、主殺しという後ろ暗さを取り除く心理的魔術的効果を生み出す。
言語の異なる部族にも、力のある言の組み合わせが呪となり、各部族の繊維を高め、まとめてゆく。
祈祷の文は人を易えて、動かす力がある。

登場人物や出来事は史実とおり。
周公旦が呪術や占いに詳しく、字を書いて呪をしたり、礼の力で地霊と交信したりするファンタジーなエピソードが「そんなこともあったのかもね」と思えるような自然さで織り込まれる。

長年天下を治めていた悪名高い殷を倒し、周がそれに変わる殷周革命という大舞台。
殷を倒すべく天命を受けた偉大なカリスマ、文王。
志半ばに倒れた文王の遺志をついで殷を倒す、息子の武王。
それを懸命に補佐する武王の弟、周公旦。殷周革命あと国が整わぬうちに武王が亡くなり、治国に苦心する。
希代の戦略家、太公望。
早死にした武王のあとをつぐ、若き成王。

これらの人物が入り乱れるドラマとしても面白い。

特に、人間を知りぬき、80歳をこえて未だ謀略すさまじい太公望が、いい味を出している。
文王と武王に献身をつくした彼は、決して、だからと言って、周の建国に永遠に協力してくれるワケではなかった。
周の力が弱まり、天下が乱れようとすれば、そのときは自分が立つしかない事と確信しており、武王が夭逝した後、乱れかけた周の国をめぐって、周公旦と水面下で激しい争いをする。

(こたびは叔旦[※周公旦のコト]が上であった)
と負けを認めるものの、
(まあいい。わしが望んでいたことは結局は安定した天下なのだ。わしの代わりに叔旦がやってくれるというのなら、それはそれでいい。やってみよ、叔旦。二度とわしに謀反気を起こさせるようなことはするなよ)
という台詞がかっこいい!
優等生っぽい周公旦が、偉大な王になるはずだった兄・武王が亡くなり、自分では天下を治める器量はないと知りつつ、まだ幼い次の王に代わり、諸侯たちを押さえ、太公望の魔手も必死でかわすあたり、見所の1つだった。
戦国時代の中国で活躍した、築城の名人として名高い、墨子。
彼が作った教団は、「兼愛」「非戦」「弱気を助け強気をくじく」という思想にもとづき、日々、城を守る技術と知識を磨き、大国に襲われる小規模な城を守る弱者を助けるべく教団メンバーを傭兵として派遣する。

墨子の跡を継ぎ、3代目の田嬰の元で働く革離は、ある日、大国・趙の攻撃を受ける小さな城へ、救援へ向かう。
本来はチームで派遣され、それぞれの専門分野で坊城を担当するのだが、革離はこの時、当初の思想から離れつつある教団に反発し、田嬰の命令に反する形で、たった1人で城へ乗り込むことになった。


あらゆる手をうち、女好きでやる気のない城主と、非戦闘員の村人達を抱えて、革離が坊城に奮闘する様が、無駄の無い文章で描かれる。

ストーリーとしては割と味気なく、さらりと読み終わってしまうが、革離が見せる、守り方の1つ1つの磨かれた技術・知識や、ほとんど寝ないで無償で働く特異な勤労意欲に見える墨子教団の思想は「へぇ~!!」「はぁ~!!」と面白く読める。

漫画にも映画にもなっている。激しい攻防戦を映像で見るのもまた面白いかも。







ストーリー:◎ キャラ:○

佐藤賢一作品で、ベスト3に入る傑作。直木賞受賞作でもある。
解説で紹介されている審査員の井上ひさしの感想「おもしろくて、痛快で、おまけに文学的な香気と情感も豊か」がまさにピッタリ。

●時は、中世。フランス王ルイ12世は、醜女と名高い王妃と別れ、広大なブルターニュ公領を持つ未亡人との再婚をねらうため、王妃に対して、離婚裁判を起こす。
この時代、カトリックで離婚は認められていない。
離婚したければ、「結婚の無効取消」をねらうしか、ない。

どうすれば、キリスト教の法にてらして、「無効」とできるのか?

主人公は、裁判を傍聴しに田舎から出てきた弁護士。
この著者の作品によくある、昔はかがやいていたダメ中年。この物語は彼の再生物語、でもある。
かつては、パリ大学で英名をとどろかせた学僧だったが、おちぶれて今や片田舎の弁護士。
これが、ひょんな事から王妃の弁護をすることになり、圧倒的な劣勢から、その冴え渡る知性と現場で磨いた凄腕で、裁判をひっくり返そうとする、法廷サスペンスだ。

「インテリは権力に屈してはならない」と、息巻いていた学生時代のように、敢然と国王とその手下たちに楯突く主人公。
「新しい弁護士は、俺だ」と、傍聴席から立ち上がり、後輩である学生達の喝采を受けて弁護席に立ってからは、まさに痛快。

どうすれば、キリスト教の法にてらした「無効」をはねのけられるのか?

専門知識を駆使し、場の空気をつかむ駆け引き。
そして、教会裁判で使われるラテン語で緻密に検事側を追い詰めつつ、記録には残らないフランス語で、「美人じゃないから、やらなかったなんて、どう考えてもインポ野郎の言い訳じゃねえか」と、傍聴席の民衆を沸かす。傍聴席は爆笑しながら、下品な野次で応えてくれる。
検事側はますますうろたえる。
ここらへん、実にエネルギッシュで面白い。

そして。
キリスト教において、夫婦とは、結婚とは、セックスとは?
若かりし青春の日に、最愛の女を失った主人公の考える、考え続けてきた、男とは?女とは?愛とは・・・?

解説にもあるが、登場する2人の女性の描写がこれまたステキ。
主人公の昔の恋人、ベリンダ。美人でおしゃべりで愛らしく、生命感にあふれている。
かたや、王妃。醜女と呼ばれるが、濃い色の地味な服に頭巾をかぶって、印象は暗いが、孤立無援の中、穏やかにしかし頑なに離婚を認めない、高貴な凛とした強さ、そしてその中にひそむ弱さが、後半には愛らしく描かれ、どちらも魅力的。

ローマ人の物語」、「ガリア戦記」、とカエサルのガリア遠征モノを読んだので、続けてもう1冊。
西洋歴史モノに強い佐藤賢一の「カエサルを撃て」を、再読。

私の中での佐藤賢一の傑作「カルチェ・ラタン」と「王妃の離婚」に比べれば、物足りない感がある小説だが、「ローマ人の物語」「ガリア戦記」はカエサル(ローマ)側からの視点なのに対し、この本はガリア側からのハナシなので、視点が変わって面白い。

カエサルのガリア遠征の最後を飾る決戦の相手、ウェルキンゲトリクスが主人公。
まとまることが苦手なガリアのほぼ全部族を、逆らう者を厳罰に処すという苛烈な方法でまとめあげてカエサルに立ち向かった美しい若者。

この本ではカエサルは、若い頃の情熱を失い、上手に生きてくだらない地位を守ろうとする、ダメなハゲ親父として描かれている。(ローマ人の物語とはエラい違い・・・)
何にでも気をつかってしまうお人よしの自分とは対照的に、全ガリア統一という目標に向かって、どんな残酷なことでもでき、自分を貫ける敵将の若者を、カエサルは美しい、と思う。
そして、自分がダメな男になっていた事を、認める。
認め、再生する。
佐藤賢一は、中年男の再生物語を書くのがうまい。これもその1つ、実は主人公はカエサルの方なのでは。

「」でくくられない部分にも登場人物たちのセリフがずらずらと続き、それが独特の文体になっているのが私は割と好きだが、好みは分かれるかもしれない。

三十代以上、独身、子ナシの女性を「負け犬」と名づけた爆笑エッセイ、「負け犬の遠吠え」。
すごく面白かったので、同じ著者の別なエッセイを買ってみた。

どんなに仕事ができようが美人だろうが、世間から見たら「負け犬」でしかない、とバッサリ。
そんな自分と負け犬友達の生態を楽しく描き出すエッセイ。

するごい観察眼、さっぱりとユーモラスな文体。
すごく読みやすいし、わかるわかる♪アハハ、とはなるのだが、「負け犬の遠吠え」の時ほどのインパクトはない。同じようなネタだし、ややダラダラしている印象。
「負け犬の遠吠え」の方がはるかにオススメ。

 
キャラ:◎ ストーリー:○

仕事が忙しくて、毎日終電コース・・・・

帰宅すると、24時すぎ。
そこからご飯、お風呂・・とそれでもう1時をこえる。明日も朝が早い。目をつぶったら3秒で寝れる・・・。

が、思わずそこで、本棚から本を一冊、手にとってしまう。
私にとって、本というのは、現実がどんな時でも、その世界にひきこんでくれるありがたいアイテムなのだ。

本棚にある本は、何度も読み返していて、どれも馴染み深い。
体が自然に必要な食べ物を欲するように、背表紙を見ながらどれを読もうか・・と見ていくと、そのときにピッタリな本に自然に手が伸びる。平日の夜にささっと読むのはやっぱりマンガがいい。

北大獣医学部の学生たちと、ヘンな教授と動物たちのほのぼのコメディ。
「静かなコメディ」というと変だが、丁寧でキレイな絵と、どこかずれた登場人物たちが、おかしなテンポで静かに笑いを誘う。動物たちも可愛らしい。
1話ずつ独立して読めるので、眠くなったら途中で寝よう。
この日は文庫版の7巻を読み、101話で爆笑。夜中に一人で声をあげて笑ってしまった。

主人公とその学友が、オペラ「トスカ」にノーギャラでボランティア出演するが、少ない予算、急な代役で混乱する現場に、ストーリーもよくわかっていない主人公たちがドタバタする話。読んだことがある人はニヤリと思い出し笑いするだろう。

「おまえストーリーを知ってるか」
「あんまり」

から始まり、

「なんか不安な舞台だよな」
「余裕のなさが失敗をよぶのよね~」
「貧乏と言うことそれ自体が失敗のもとなのよ~ 経験によると~」

という辺りでかすかに笑い、そのあとのドタバタで爆笑!!

・・・・で、幸せな気持ちで眠りにつくのである。
ストーリー:◎

雑誌掲載時は連作の短編だったらしく、「彼女」と「彼」それぞれが一人称の物語が、交互につづく。
「彼」の名は、木島悟。絵を描くが好きなサッカー部員。いい加減で社会に居場所を作れなかった父親のようになりたくないと思いつつ、本気になって自分の限界を知るのがこわくて、サッカーでも絵でもそこにぶつかってしまう。
「彼女」の名は、村田みのり。頑固で妥協しなくて、家族も学校もキライなものだらけ、叔父だけが特別に大事で、絵を描く叔父の影響で、自分では描けないけれど、絵が好きであると自覚している。
そんな2人が、高校で、出会う。
どちらかというと私は、みのりを中心に読んでしまう。
中学の頃から、みのりが周りとぶつかり、家族も友達も好きになれずにいるのを見ている。
そんな彼女が彼を好きになる時!そこを読むとき、

恋をした!!私の小さな娘が、とうとう恋をして、「好き」ができた!!

と、思わず喜んでしまう。
そのうち、みのりに対しては、娘というより、自分に重なり、
『木島はすぐに見つかった。なんか、目に飛び込んでくるって感じ。特に騒々しいわけでも、背が高いわけでも(略)ないのに、まるで光でも発しているみたいにパッとわかる。わかると胸がじーんとする。不思議。木島がそこにいるってわかるだけで深々と幸せになれるこの気持ちは不思議。』
というあたりでは完全に、知っている・・・この気持ちを、私は知っている、と自分の片思いの思い出と混ざってしまう。
ちょっと甘くてわざとらしいまでに青春くさいけど、鼻につくような感じではなく、それを楽しめる作品。

佐藤多佳子の本は、まっすぐなメッセージが多い。
彼の祖父が、彼に向かって言うセリフ、迷っている時には心にささる。
「好きなことをやるんだ」
「最後は自分だけだ。誰かのせいにしたらいけない」

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