日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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タイトルの「紙婚式」とは、結婚1年目のこと。
この呼び名は、2年目「藁婚式・綿婚式」、3年目「革婚式」・・・25年目「銀婚式」50年目「金婚式」と、だんだん硬くて確かなものになってゆく。

この短編集では、夫婦間の微妙な関係を、様々なケースで描いている。
薄くて脆くて破れやすい「紙」にたとえたタイトルは絶妙だ。

山本文緒は、重い話も、ドロドロには書かないので、さらりと読める。読み終わってから怖かったと改めて感じる。
重いシーンをさらりと書くのうまい人だ。
軽すぎると上滑りになるが、そうではない。軽いひっかかりを覚えるくらいの重さが、ちょうどいい。

夫婦は、初めは他人。
恋愛して相手を知りたいと思って、何度も会って色んな話して知り尽くしたと思って結婚すると、寝食を共にしてるのにだんだん空気みたいな存在となる。
それでも、ある時ふと、相手の事を実はあまり知らない事に気付く。
それは、いたって日常的だけれど、けっこう怖い事だ。

夫婦に限らないが、どんな濃密な人間関係だって、相手の事を100%わかることはない。
愛情もオールマイティーではない。夫婦だから、恋人だから、家族だから、という理由だけでは愛情は続かない。
互いに努力しないと壊れるものだ、という事を、思い起こさせる。
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32才の著者が離婚後はじめての一人暮らし。
結婚してしあわせでおなかがいっぱいという時でさえ、頭のどこかで一人になりたい、と思っていたというほど、やってみたかった一人暮らし。
念願かなって?の一人暮らし生活をつづった、1~12月、1年分の日記である。

万歩計で何歩歩いただとか、誰と飲みに行ったとか、映画を見たとか、体重が増減したとか・・・・それを他人が読んでどーする、というような軽い内容なのだが、ところどころにピカリと光る箇所があり、
「そうだよねー」
と共感できたり、
「この人はそんな風に考えるのか!」
と思わせられる。

●あまり話したくない人から、嫌な連絡があった日。
『こういうちょっとした嫌な気分は、本格的に落ち込む前に早めに治しておかないといけない。』
と、気分転換に出かける。
『ずっと一人でいると、自分の機嫌をとるのが上手くなる。
いつもいつも"何となく楽しいなあ"という気分でいたいのに、世の中を歩いていくと、たくさんの嫌なものが頭の上から降ってくるのだ。
でも、くだらないことに悩んでうじうじする時間が勿体ない。
体力を使ってでも、お金を使ってでも、私は私の"何となく楽しいなあ"を取り戻すことにしている。』

共感。

●『今の生活が快適かと尋ねられたら、私はとりあえずイエスと答えるだろう。
でも、自分で望んで一人でいるのに、一抹の虚しさと不安を感じる時がある。
誰か男の人と恋愛をして、それが実って結婚しても、そのぽっかり空いた部分が埋まることはないのだということはもう既に分かっている。
では仕事によってそれが解消されるかというとそうでもない。』

一人暮らし日記だから、全体的に、「孤独」というテーマがそこはかとなく漂っている。上記は、それがもっとも濃く出ている箇所かと。
一人暮らししていると、無性に寂しくて不安なときがある。私もあった。
でもそれを埋めるのは、恋愛や仕事ではない、ていう意見がオトナだ。
若い頃は、恋愛や仕事で埋められると思っていた。でも、一人暮らしだけでなく、家族と暮らしていても忙しくても、寂しくて不安な時はある。それは、誰が埋められるものでもないのかも。

絲山秋子の「海の仙人」という本の中にあった、
「誰かと一緒に寝るの、久しぶり。すっごい安心する」
「寝るときは一緒でも眠りにおちるときは独りだぞ。」
というのを思い出す。


●著者が持つ、自分がやりたいことは小説を書く事なんだという、確信がうらやましい。
『私の住みたい家はここ。私が掘りたい井戸はここ。私が磨きたい石はこれ。何をするにも迷ってばかりいたから、この自然な確信をとても嬉しく思う。』

こんな風に確信がもてることがあり、それを生業としていることが、ひどくうらやましい。
この表現がすごく印象に残った。

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