日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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異国暮らしの長い語り手の男性「私」と、様々な国籍の女性との出会いや交流を描いた六つの短編。

「私」の名前は出てこず、全編を通して同じ人物かどうかも語られないが、どことなく受け身で、醒めてはいるが見知らぬ人とそつなく知り合いになる無邪気さも有るというキャラクターは同じ。

各女性の外見・雰囲気・性格が編ごとに様々。
「私」との静かなやりとりを、品のよい骨董品を丁寧にさわるように一文字一文字をゆっくり読みたい。

終わり方はどれも曖昧で最初は中途半端で物足りないが、次第にその余韻もまたよしか?と思えてくる。

終わり方が特に印象的なのは、表題作「ゼラニウム」。
階段の薄暗い一角に置かれた真っ赤なゼラニウムが、老婦人の唇へつながり、鮮やか赤が頭に残って終わる。
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文:◎

コトバが心地よいから、これはよい文章なんだろう。
慌しい通勤電車の中で読んでも、ゆらゆら揺れる水に、たゆたいながら、のんびり読んでいるような気になる。

「海にむかう水が目のまえを流れていさえすば、どんな国のどんな街であろうと、自分のいる場所は河岸と呼ばれていいはずだ、と彼は思っていた」
という出だしの文から、私は好みだ、と思った。

●異国の河岸に繋いだ船で、レトロな家具に囲まれて暮らす主人公。日々、本を読み、レコードを聴き、クレープを焼いて、ただ一人で。時々、知人から手紙が届くか、船の持ち主に挨拶に行くか、郵便配達人が珈琲を飲みに来る以外は、人との交流はほとんどない。
河岸に停滞しながら、主人公はいろんな事を思い巡らす。ストーリーとしてはほとんど動きがないが、めまぐるしく展開する主人公の思考が、読み応えあり。

思考の始めは、本だったり、もらった手紙だったり、外から聞こえる太鼓の音だったり。犬走りをあえて翻訳すると、「キャット・ウォーク」と気づき、犬ではなく猫になる不思議に魅了されたり。
思考の芽が出たら、それを広げ、育て、たくさんのコトバで綴ってゆく。これは、時間と、豊富な語彙や、知識という広い畑があってできる事。書物や映画や経験が肥料となって、思考の芽は徐々に広がってゆく。
この広がりは、厳密な論理を無視した展開だったりもするが、それも面白い。

たとえば本を読んで、それを芽に、思考の畑を広げていけるには、どんな読み方をしたらよいのだろう?読み終わるための斜め読みではなく、時間つぶしのために読むのでもなく、読み終わった後の人生でその本の内容が畑の肥料となるような、そんな風に本を読みたい。


最後に。うらやましい!と思った一文。
「眠りをあやつる見えない手が、彼の午後をこうしてまた心地よくだいなしにしていく。」
「彼」というのが主人公。なんて贅沢な午後なんだ~!!

↓右は文庫。レビューが載っているのは左の方。

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