日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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小説家ミセズ・オリヴァは、ある婦人から、奇妙な依頼をうける。
「私の息子の結婚相手の娘さんの両親は、10数年も前に心中しているのだが、それは父親が母親を殺して自殺したのか?それとも母親が父親を殺して自殺したのか?」
それを突き止めてほしい、という。

困ったオリヴァは友人ポアロを訪れる。
アガサ。クリスティー82歳の時の作品、年代順で言えば、最後に書かれたポアロ作品。
自己顕示欲が強いポアロも歳をとって穏やかになっている。

晩年の作品だけあって、円熟した感じがある。
派手さはなく、ちょっと小粋で、すんなりした展開、ラストに満ちる穏やかな愛。

事件は当時有名なものだった。
立派な夫、愛情こまやかな妻、二人は仲むつまじく、金銭も健康も何のトラブルもない。
だが二人はある日、銃で撃たれた死体となって見つかった。
現場の状況から見て、それは自殺としか言いようがないが、動機もない。
警察もさじをなげて「心中」と片をつけた事件。

果たして真相は本当に心中だったのか?その動機は?
そして依頼者の夫人は何故それを知りたがるのか?


「象は忘れない」

子供たちが小さい頃から聞かされるお話。鼻に縫い針を突き刺された象がそれを何年も忘れず、注ぎにその犯人が通りかかったときに水をぶっかけた、という逸話。
それにちなんで、オリヴァは、昔のことを覚えている人を「象」と呼び、この謎をとくため、オリヴァとポアロは、「象探しの旅」に出る。

この「象」という言葉が、作中、ずっとついてまわり、面白い印象を残す。
勘違いした秘書が、オリヴァはアフリカに猛獣狩りに出かけた、などと勘違いする辺りもおかしみがある。

オリヴァとポアロが様々な人を訪ね、実に巧みに世間話から、事件の話にうつり、その当時のことを聞き出してくる。それが全然真相に近づかないようなどうでもいい話なのだが、最後までいくと、その人たちの話の中に、真実の切れ端がちりばめられていたことが、わかる。

その長々とした会話から、読者を飽きさせる事なく、少しずつ過去を浮かび上がらせる筆の巧みさは、さすが。

心中事件の真相は、深い愛に包まれたものだった。
そのあたたかい余韻にひたりつつ、オリヴァのセリフでラストがしまる。
「象は忘れない」
「でも、わたしたちは人間ですからね、ありがたいことに、人間は忘れられることができるんですよ」


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トリックや犯人の意外性などは「ふーんそうだったのね」という程度だけど、この本は、それまでの過程が、面白い。

16年も前に起こった殺人事件の犯人を、関係者の話を聞くだけで、推理する、というのが面白いトコロ。

名探偵ポアロの元に、1人の若い女性が訪れる。
彼女は幼い頃に、父親を亡くしている。それも母親に殺された、という事になっている。
母親は罪を認め、有罪となり、獄死しているが、「自分は無実だ」という手紙を、娘に遺していた。

母親の無実を証明してほしい、というのが、娘の頼み。
ポアロにこんな風に依頼する。

「あなたが興味をおもちなのは犯罪の心理的な面なのですね?それなら、年月がたったからといって変わるものではないですものね。目に見える証拠-煙草の吸殻とか、足跡とか、草の葉の倒れたあととかそういうものは今になっては見ることができません。でも、事件の事実を調べてみることはできますし、それに、その当時関係した人たちもひとり残らずまだ生きていますから、きいてみることもできます。そうすれば、いまさっき言われたように、椅子に腰掛けてじっとお考えになっただけで事件の真相がおわかりになるに違いありません......」

ポアロは、まさに心理的に、調査をすすめる。
それは、『事実を探り、証拠をしらべ、それらが、事件に関係した人の行動や、心の動きと一致しているかどうかをみること』。
5人の証人をたずね、話を聞き、それぞれが容疑者や被害者に対してさまざまな見解を持っていることがわかる。1つの出来事を、それぞれがそれぞれの見方で見ている。ポアロはその複数の見解を見つめ、その人が何故そのような見解を持ったか考え、逆算のように、正しい真実を導き出すのだ。

細かい時間がどうとか複雑なトリックだとか、そういうものではなくミステリーを楽しみたい私にはうってつけ。



関係者の話だけで過去の事件を推理するのは、ある娘の両親が死んだ12年前の事件は、「母親が父親を殺したものだったのか、父親が母親を殺したものだったのか」を探る「象は忘れない」と同じ。こちらも私のお気に入りだ。

ポアロ作品を調べていたら、ポアロ好きの人が作った「名探偵ポアロがスキ。」というサイトを発見。
なかなかまとまっていて見やすい。
ストーリー:○

2年前、資産家の老婦人が撲殺された。婦人は子供に恵まれない代わりに、孤児や恵まれない子供たちを養子として育てあげた、立派な人物。逮捕されたのは、その養子の1人、小悪党と評判の高いジャッコ。彼は無実を主張したが、獄中で病死。
事件は終わったかに見えていたが、南極探検から帰ってきた地質学者が、ジャッコの主張するアリバイを証明できると言う。地質学者は、亡き老婦人の夫や他の養子にそれを告げ、身内の名誉を晴らしたばかり思ったが、そうなると、状況から考えて外部の者の犯行とは思いにくいこの殺人に、他に犯人がいることになる、この家族の中に・・・・。

婦人の夫、その秘書、家政婦、4人の養子たち、その配偶者。自分達の中に、犯人がいると知り、お互いに疑心暗鬼となる家族たち。学者もそれに責任を感じ、真犯人について考えてみる。

頭脳明晰な探偵が探偵して次々と証拠をあげていく、というワケではなく、じりじりと家族が疑心暗鬼で、読者にもそれが伝わり、いったい誰が何のために・・・?という、どんよりした雰囲気がよく伝わって面白い。

ストーリーと連動して、アガサ・クリスティーの主張するテーマがあり、それは、
「慈善とは?」。

殺された老婦人は、たしかに立派な人で、養子たちを愛し、十分なモノを与え、完璧で正しい道を教えてあげた。だが、それを養子たちはそれを感謝できなかった。

ある医師がこう語る。「昔の中国人は、慈善は美徳ではなく罪であると考えていたそうじゃないですか。(略)慈善というものは、確かに人のためになる。と同時に、人にいろんな気まずい思いをさせる。人間の心というのは複雑なものでね。人に親切にしてやれば、親切にしたほうの人間は結構いい気持でいる。しかし親切にされたほうの人間は、果たして相手にいい感情を抱くだろうか。感謝すべきことはもちろんだが、果して実際に感謝するだろうか」

実際、養子の1人は、老婦人に感謝していないのか?と聞かれ、
「人間は感謝しなさいと言われて感謝できるものだろうか。ある意味じゃ、感謝を義務と感じることは、たいへんな悪だ。」
と答えている。

親切を、自分の満足のためにやるのは簡単だけど、本当に相手のためになるように行うのは難しい。
相手が何を望んでいるのか、人の心は100%はわからないから。

そういえば私は、新卒採用の就職面接で、
「思いやりとは何か?」
と聞かれ、
「自己満足です」
と答えた覚えがある。(その会社は落ちました・・・)
それが結果的に人のためになるのであれば、それはそれでいい事だと思うし、人のために何かしてあげたい、と思う気持ちは大切だと思う。
ただ、その気持ちを実行するときに、相手のためにやる----だから相手の感謝は当然、と考えるのではく、これは私がやりたくてやっていること、と思った方がいいのでは?と思っている。


アガサ・クリスティーの著書に、「春にして君を離れ」というのがある。昔読んだので、うろおぼえだが、ちょっと似たテーマで、自分では優しい夫、子供に囲まれ、理想的な妻である母であると思っている婦人が、旅先で、一人、家族の言葉などを回想するうちに、実は彼女はとても自己中心的で、家族から愛されていない事に読者は気付く。この回想だけから気付くところが見事な筆力なのだが、「無実はさいなむ」の老婦人には、この婦人の押し付けがましい愛情と、通じるところが、ちょっとある。

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