日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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2012年、ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中先生がiPS細胞を作り出すのに成功するまでの経緯や、研究に対する姿勢や哲学をまとめた本。

初め整形外科のは臨床医を目指していた山中先生が、紆余曲折の末に、基礎医学を学び、さまざまな苦難を乗り越え、ついにはiPS細胞の作製に至るまでがわかりやすく書かれてるとは思うが、研究者用語みたいなものが多くて、理系でない人には、なかなか読みにくいかもしれない。

専門用語というより、理系の研究者の進むコースとか、研究室生活の様子などの記述など。
欄外に注釈で説明がつけてあるが、いちいち注釈を読むたびに本文が中断されるので。

読みやすい文章で、淡々と描かれていて、短時間でさっと読めるが、その分、残る感動が少ない気がする。
研究者モノとしては、「マリス博士の奇想天外な人生」の方が面白かった。


印象に残ったところ。
アメリカ留学中、グラッドストーン研究所の所長ロバート・メーリー先生から教わった言葉「VW」。
研究者としてだけでなく人生にとっても大切なもの、それはVision(長期的目標)とWork hard(一生懸命働くこと)。

一生懸命働く人は多いが、明確でぶれないビジョンを持ち続けて働くのは難しい。
山中先生は、いろいろ紆余曲折あったが、「ヒトの胚を使わずに、体細胞からES細胞と同じような細胞を作る」というビジョンを掲げて、そこからはそのビジョン達成に向けて短期目標も立て、必要な仲間や材料をそろえ、着々と進んでいくのが読んでいて面白い。

自分の研究が人の役に立ってほしいという強い思い、それを果たすために、研究だけでなく、研究所の運営も新しい試みを導入したり、様々な面で努力されているのがわかる。
iPS細胞が臨床に使われ、患者さんの治療に使えるようになるまで、長い道のりを多くの課題があることを認識し、1日2日のハードワークで乗り切るのではなく、途中でバテずに最後まで走り続ける事が使命だと言い切る。
このあたりにも、山中先生は、Visionを大事にしているのがわかる。
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このミステリーがすごい第7回大賞受賞作家の最新作!!という帯に惹かれて買ったが、期待したほどではなかった。

四国の小さな城下町の、3人の高校生の物語。
入学したばかりの亀井カズキは、ひょんな事から、地元で有名な「ネコ」こと猫沢ハジメと、「イヌ」こと犬崎タダシと知り合い、テンポよいタッチで青春が語られつつ、ちょっとした謎解きが物語りに加わる。その青春ぶりが、ちょっとストレート過ぎたり、謎解きが他愛なさすぎて物足りない。
クールで気ままなネコ、人情肌ですぐに拳が出るイヌ、どちらもイケメンで学校中の有名人、というキャラ設定が安直で、ネコが教室に来ると『クラスの女子が旨の前で祈るように手を組み、瞳を輝かせ、彼を見つめているのがわかる。』という描写もわざとらしい感じがする。

番外編として挿入されている、イヌの小学校時代の物語「子イヌ」は、そのストレートさが、小学生くらいだと、丁度良いさわやかさになっていて、微笑ましい感じでよかった。

天使を探す2話目に出てくる、このやりとりは、漫画っぽいけど、ぴりりとスパイスが効いてて好きだ。
『「天使って存在するの?」
「天使が存在しないって誰に教えられた?」ネコが不機嫌そうに眉根を寄せる。「その質問は世界を退屈にする。気をつけて」
(中略)彼が言うように否定的な質問は世の中を狭くし、つまらなくする。』
きちんとした緻密で美しい文体で、侘びたのから豪華絢爛なのまで、さまざまな茶席が語られるのは、読みごたえがある。

今から切腹せんとする利休のモノローグから始まり、過去に遡り、利休の妻や弟子、秀吉らの語りで、利休という人や秀吉との関係がじわじわと示されてゆく。
その展開具合も丁度よく、もっと利休を知りたくなり、先に進みたい気持ちを常に維持して読める。

が、ラストにやっと明かされる、利休が美にこだわる根源のエピソードが、何だか想像通りというか、浅くて陳腐で納得がいかない。
そこが肌に合わなくて、手元に置いて何度も読みたいほどには愛着がわかない。

最近お気に入りの漫画「へうげもの」と、登場人物やエピソードが重なっていて、個人的には「へうげものでああ書かれてた場面か」と絵が浮かびながら読めたのは、とても楽しかった。
文字だけの絵本のような一冊。

月舟町に住む主人公は「雨降りの先生」と呼ばれている。名前は無いが、皆から「つむじ風食堂」と呼ばれる食堂の常連だ。
何も起こらない穏やかな生活を描いただけだが、出てくる言葉がおとぎ話のようで、物語全体を淡く彩るのが可愛らしい。帽子屋ののおじさん、「エスプレーソ」をつくる銀色の機械、屋根裏部屋があるアパートメント、深夜まで店をあけオレンジに電球の光を反射させた淡い光で本を読んでる果物屋の主人、古本屋にあった立方体の箱のように分厚いらくだ色の質素な革表紙の本『唐辛子千夜一夜奇譚』…。

物語の出だしは、こんな感じ。

『その食堂の皿は本当に美しかった。
 何の面白味もない、いたって平凡な丸皿なのだが、ひと皿を平らげたあとに現われるその白さが、じつに清々しくてよかった。
 よく見ると、皿の白さには無数の傷が刻まれてあり、ずいぶん長いことナイフやらフォークやらを相手にしてきたことが窺い知れる。』

こんな風に、何かあるかと言われれば何もない光景や出来事が、丁寧におとぎ話のように長々と語られてゆく。
「悪人」が映画化されて話題になった作家。小説「悪人」を読む前に、軽く短編集でも読んでみようかと購入。

都会でもがくように生きる男女の短編が5人分、5つの短編。1編わずか30ページ。
それだけで1人の人をどれだけ語れるだろう?と、思うが、この短さで、その人間の人生が匂うような、「人生のヒトコマ」の切り取り方がうまい。
堂々と言い張れるような幸せではなく、でも何もかもあきらめているわけでもない。彼らなりにもがいてる、それがわかって共感するし、もどかしいし、微笑ましい。

どの短編にも共通して2人の小学生の兄弟が登場するが、彼らを通じて5つの短編がつながる、という連作の楽しみは、残念ながら、あまりない。この兄弟を登場させる意味はあるのだろうか?
タイトルの「紙婚式」とは、結婚1年目のこと。
この呼び名は、2年目「藁婚式・綿婚式」、3年目「革婚式」・・・25年目「銀婚式」50年目「金婚式」と、だんだん硬くて確かなものになってゆく。

この短編集では、夫婦間の微妙な関係を、様々なケースで描いている。
薄くて脆くて破れやすい「紙」にたとえたタイトルは絶妙だ。

山本文緒は、重い話も、ドロドロには書かないので、さらりと読める。読み終わってから怖かったと改めて感じる。
重いシーンをさらりと書くのうまい人だ。
軽すぎると上滑りになるが、そうではない。軽いひっかかりを覚えるくらいの重さが、ちょうどいい。

夫婦は、初めは他人。
恋愛して相手を知りたいと思って、何度も会って色んな話して知り尽くしたと思って結婚すると、寝食を共にしてるのにだんだん空気みたいな存在となる。
それでも、ある時ふと、相手の事を実はあまり知らない事に気付く。
それは、いたって日常的だけれど、けっこう怖い事だ。

夫婦に限らないが、どんな濃密な人間関係だって、相手の事を100%わかることはない。
愛情もオールマイティーではない。夫婦だから、恋人だから、家族だから、という理由だけでは愛情は続かない。
互いに努力しないと壊れるものだ、という事を、思い起こさせる。
奇書と有名な「ドグラ・マグラ」に手を出す前に、ちょっとお試ししてみよう、と買ってみた。
いずれも大正~昭和初期に書かれた作品たちで、作品の舞台はだいたい明治・大正時代。

ストーリーを楽しむというより、雰囲気を楽しみたい本。
ストーリーも、ちょっと奇怪でピリリとした辛味があるが、要約すれば3行くらいで終わってしまうような話を、ゆっくりじっくり、丹念に書くものだから、明治・大正時代の古い言い回しや、漢字の多さなどと相まって、ゆらゆら妖しくて魅惑的な雰囲気をかもし出す。

特に印象に残ったものをあげると、

●押絵の奇蹟

明治35年。
ある娘が、自分を慕ってくれる男性の前から、姿を消した。
その理由を、女らしい、か細い文体で、切々と綴った手紙形式。

長々と語られる生い立ち話は摩訶不思議で、娘の両親にまで、話はさかのぼる。

ほっそりと世にも美しい母親と、昔気質の頑固でいかめしい風体の父親。
長く、子ができなかった夫婦にようやくできた娘。
両親に可愛がられ、健やかに育っていたのだが・・・・・。
その生い立ちから、どう男性とつながってゆくのか。歯がゆいくらい少しずつ、明かされる。

表題の押絵とは、歌舞伎の1場面を図案化し、各パーツごとの厚紙を綿と共に布でくるんで作る、絵のことで、娘の母親は手先が器用で、それは見事な押絵を作ることができた。

母親が作り、今は色も褪せた、神社に奉納されている、2つの押絵。

『あなた様と私の運命にまつわっております不思議な秘密と申しますのは、その二枚の押絵の中に隠れているので御座います。私の背中と胸にあります突き疵(きず)と申しますのも、あなた様のお唇を安心してお受け出来ないようになりました原因と申しますのも、みんな、もとを申しますと、その二枚の押絵がした事なのでした。』

と、娘の語りは始まる。

ともすれば平凡な物語となるのを、娘と母親のすさまじく気高く一途で清らかな執念のようなのが、凄みを与える。

物語は一方的な女性からの手紙の内容だけで終わり、結末は語られない。ほのめかして終わるのが、またこの雰囲気に合っている。


●瓶詰地獄

短い話だが、よくできている。

手紙が入った瓶が3つ、ある場所で発見される。
それは、無人島に漂着し、そこで何年間も暮らした兄妹からのもの・・・。

時系列的には、逆の順番で、手紙の内容が紹介される。

最初に3つ目の内容で、結末を教え、
次に2つ目の内容で、その結末に至った理由がわかり、
最後に、まだ何も起こっていない頃に書かれた手紙の内容が、無垢で、結末をすでに知る読者に、つきささる。
この順番がニクいなーと思う。


●猟奇歌

五七五 七七 の短歌形式で、ちょっと猟奇な内容を歌う。
下の2つが印象に残った。

『誰か一人
殺してみたいと思ふ時
君一人かい…………
………と友達が来る』

→この短い短歌1つで、立派なショートショートの小説のようで面白い。


『蛇の群れを生ませたならば
………なぞ思ふ
取りすましてゐる少女を見つゝ』

→どことなくエロチックで恐くてキレイ。

夢野久作の作品は、すでに著作権が消滅しており、ネットの青空文庫でも読める。
青空文庫の「猟奇歌」を見ると、私の読んだよりもっとたくさん載っているので、この本に載っているのは一部抜粋のようだ。

青空文庫の方に載っていた、こういう自嘲的なバカっぽいのも面白い。


『ニセ物のパスで
 電車に乗つてみる
超人らしいステキな気持ち』


『今日からは別人だぞと反り返る
それが昨日の俺だつた
馬鹿……………』


『これが女給
こちらが女優の尻尾です
チヨツト見分けがつかないでせう』

<収録作品>
いなか、の、じけん抄
瓶詰地獄
押絵の奇蹟
氷の涯
人間腸詰
猟奇歌
謡曲黒白談より
杉山茂丸
源氏物語といえば、1000年も前に書かれた、我が国最古の小説。
原文も現代訳文も読んだことはないが、漫画では登場人物もストーリーも覚えてしまうほど読んだ。
それが、この「あさきゆめみし」。絵も美しいのだが、ある場面がすごくキレイで、何度も何度も読み返してしまう。

●時は平安時代。帝と身分の低い妃の間に生まれた若君は、光り輝くばかりの美しさ、光る君と呼ばれる。母親は病で若くして亡くなり、のちに帝の元に母親によく似た藤壺の宮が輿入れしてくる。藤壺を母とも姉とも慕い、それはやがて激烈な恋心に変わる。
若君は美しく成長し、光源氏と呼ばれ、決して結ばれない父帝の妃である藤壺への想いを胸にかかえながら、多くの女性とさまざまな恋をする。

とあらすじを読むと、「なによ光源氏って女の敵ね」という印象しかもたないのだが、私はこの本を読んで、紫式部あるいは大和和紀が書きたかった主人公は、光源氏ではなく、光源氏が育て、愛し、一番大切な妻とする、「紫の上」ではないかと思った。

紫の上は、幼少時に源氏に引き取られ、慈しまれて育つ。
美しく成長して、源氏の妻となり、教養もあってこころばえもそれはそれは立派な女性だ。
源氏もあまた女性と関係するが、紫の上は明らかに特別待遇、誰よりも愛している。
が、晩年に、どういうつもりなのか、ときの帝の姫君を正室にもらってしまう。

源氏が自分を誰よりも大事におもってくれていることはわかる。
でも身分が高く、若い姫君に、いつか心がかたむいてしまうかもしれない。
それでも心をみにくい気持ちで満たすのはいや、と思いつつ、悲しくて一晩中泣いても源氏にも相手の姫君にもやさしく接するけなげな紫の上だが、心の中の何かが砕けてしまう。
女ならだれしも逃れられないつらくてたまらない嫉妬から逃れることができない、と。
そしてそれを源氏ですらわかってくれない、と。
どんなにむつみあっていても、男と女、いや、人と人との間には深いへだたりがある、と気づく。

「虚しいこと・・・・・
人生とはかくも頼りないものか
たしかなものなどなにひとつない」

男にはたくさんの恋人がいるこの時代、それでも嫉妬しないことが美徳と言われるが、そんな女の自由のない世界から早く去ってしまいたい、と思う紫の上。

そんな鬱々とした日々が続くある春の日、法会を営む最中に、とつぜん、気づく。
まばゆい光、かぐわしい花々、萌え出る緑、鳥の声・・・・

「この世は何と美しいのだろう」

「生きとし生けるものは
みななんと美しい輝きに満ちているか・・・・!」

「わたくしはこの世と・・・
この世に生きることを
こんなにも愛している・・・・・!」

ここが。すごくキレイだ。
男に左右されない生き方を欲しながらも、それでも人を、この世を愛し、愛されることができてしあわせだったと紫の上は言う。
いちばんの喜びもいちばんの悲しみも、愛する人だからこそ、与えられるもの。

「あさきゆめみし」ではここがメインテーマになっているように見える。
どれほど原作に忠実なのかわからないが、この漫画通りだとすると、1000年経っても、人間が考えることって一緒なのね、と思わせられる。


32才の著者が離婚後はじめての一人暮らし。
結婚してしあわせでおなかがいっぱいという時でさえ、頭のどこかで一人になりたい、と思っていたというほど、やってみたかった一人暮らし。
念願かなって?の一人暮らし生活をつづった、1~12月、1年分の日記である。

万歩計で何歩歩いただとか、誰と飲みに行ったとか、映画を見たとか、体重が増減したとか・・・・それを他人が読んでどーする、というような軽い内容なのだが、ところどころにピカリと光る箇所があり、
「そうだよねー」
と共感できたり、
「この人はそんな風に考えるのか!」
と思わせられる。

●あまり話したくない人から、嫌な連絡があった日。
『こういうちょっとした嫌な気分は、本格的に落ち込む前に早めに治しておかないといけない。』
と、気分転換に出かける。
『ずっと一人でいると、自分の機嫌をとるのが上手くなる。
いつもいつも"何となく楽しいなあ"という気分でいたいのに、世の中を歩いていくと、たくさんの嫌なものが頭の上から降ってくるのだ。
でも、くだらないことに悩んでうじうじする時間が勿体ない。
体力を使ってでも、お金を使ってでも、私は私の"何となく楽しいなあ"を取り戻すことにしている。』

共感。

●『今の生活が快適かと尋ねられたら、私はとりあえずイエスと答えるだろう。
でも、自分で望んで一人でいるのに、一抹の虚しさと不安を感じる時がある。
誰か男の人と恋愛をして、それが実って結婚しても、そのぽっかり空いた部分が埋まることはないのだということはもう既に分かっている。
では仕事によってそれが解消されるかというとそうでもない。』

一人暮らし日記だから、全体的に、「孤独」というテーマがそこはかとなく漂っている。上記は、それがもっとも濃く出ている箇所かと。
一人暮らししていると、無性に寂しくて不安なときがある。私もあった。
でもそれを埋めるのは、恋愛や仕事ではない、ていう意見がオトナだ。
若い頃は、恋愛や仕事で埋められると思っていた。でも、一人暮らしだけでなく、家族と暮らしていても忙しくても、寂しくて不安な時はある。それは、誰が埋められるものでもないのかも。

絲山秋子の「海の仙人」という本の中にあった、
「誰かと一緒に寝るの、久しぶり。すっごい安心する」
「寝るときは一緒でも眠りにおちるときは独りだぞ。」
というのを思い出す。


●著者が持つ、自分がやりたいことは小説を書く事なんだという、確信がうらやましい。
『私の住みたい家はここ。私が掘りたい井戸はここ。私が磨きたい石はこれ。何をするにも迷ってばかりいたから、この自然な確信をとても嬉しく思う。』

こんな風に確信がもてることがあり、それを生業としていることが、ひどくうらやましい。
この表現がすごく印象に残った。

文:○ キャラ:○ ストーリー:◎

小6の3人組男子が、「人が死ぬところを見たい!」という子供らしい発想から、1人暮らしのおじいさんを見張る事にするが、やがておじいさんにバレて、怒られたりからかわれたりしながら、次第に仲良くなってゆく。
小学校最後の夏休みの出来事、みじかいみじかい物語で、あっという間に読めてしまう薄い本だが、これを読むと、私の中の何かが洗われたような気になる名作。

3人の男の子が、子供なりにいろいろ考える。


「ヘンだよなあ。だれだって死ぬのに、どうしてこわいって思うんだろ。やっぱり死ぬまでわかんないのかな」

「オレはまだヒラメのお造りができない。できないうちは死ぬのはいやだって思う。できないうちに死んだらどうしようって思うとこわい。でも、ヒラメのお造りができるようになったら、いつ新でもいいって気になるかっていうと、わかんないけど」

「でも、どこかにみんながもっとうまくいく仕組みがあったっていいはずで、オレはそういう仕組みを見つけたいんだ。地球には大気があって、鳥には翼があって、風が吹いて、鳥が空を飛んで、そういうでかい仕組みを人間は見つけてきたんだろ。だから飛行機が飛ぶんだろ。音より早く飛べる飛行機があるのに、どうしてうちにはおとうさんがいないんだよ。どうしておかあさんは日曜日のデパートであんなにおびえたような顔をするんだよ。」


子供だからってこんなにストレートに言わないだろうと思うが、子供を通じて作者は言いたいことをストレートにぶつけてくる、そのおかげで短い本にたくさんの真理がつまっている。

3人とおじいさんが仲良くなった頃のシーンがすごく好きだ。
いかにも日本の夏っぽい情景で、私も子供のころに体験した夏の庭・・・その空気を思い出すし、大人になってから、既に失った場所や人の思い出として、この情景を思い出したら、なんともいえない切なさがしみるのもわかる。

キンモクセイの木がある庭、乾いた洗濯物がほっこりとつまれ、縁側に腰かけて熟れたスイカを食べる。「入ってますかー」と頭をたたいてじゃれあう。台所からみた庭は、夏の陽にあふれて、四角く切りとられた光の箱のよう。そして・・・

「あ」「雨だ」
乾いた白っぽい土の上に、黒いしみがいくつもできていく。やがてそれは庭全体に広がり、大粒の雨の降る音がぼくらの耳をおおった。湿った土と蚊とり線香の匂いが、強く立ち上がる。




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