日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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著者は、劇団を主宰し、劇作家・演出家が本業らしい。
その影響か、3つの短編、いずれも登場人物が強烈に、濃ゆい。
劇団のサイトで紹介されてるプロフィールにも
『自意識に絡め取られた妄想過多な人間を主人公に、独特の劇世界を展開する』
とある。

小説は、熟して香味があるような感じではなく、若々しくて荒くて、でもユニークな感性が出ていて、面白さや読み応えは十分ある。
ただ、その、登場人物の濃ゆさや、主人公や関わる人々が持つ心の問題や、切実な悩みが、強烈なエピソードの中で描かれ、ものすごくポップな文体で書かれるのだけど、それがどうも痛々しく、居心地が悪く、読後は決して心地よいとは言えない後味が残る。
心地よさを求めて読書する人はやめておいた方がよいかもしれない。
私は、読んで心地よいものが好きだけれど、こういう本も時には面白いと思う。


■「江利子と絶対」
引きこもりの妹が、突然「私、前向きになる!」と宣言。が、どうもそれがズレている。
前向きな引きこもりになる、というのだ。
その一環で、拾った犬に、絶対に自分の味方、という意味の「絶対」という名前を付け、自分以外の人間は敵であると思い込ませるために、おそろしい熱意で犬を教育する。
この妹の痛々しさと内面の心の叫びの激しさが、マンガのように極悪な笑いがあり(稲中卓球部の作者が描くマンガを彷彿させる)、ささくれのように心に残る。

■「生垣の女」
笑いものになるほどミジメな外見に、ネガティブな性格で、就職・恋愛・対人関係の全てをあきらめて生きる中年男、多田。
その日常生活に、多田の隣の家の男にフラレて「完全にイッちゃってる」女、アキ子が突然、土足で割り込んでくる。髪を振り乱し、路上で男の名を叫び、無関係の通行人にからむ・・という、ものすごい執念、最悪な女性像。
この2人の物語は激しく醜く、怒涛の勢いですすみ、ラストに行き着くところまで行き着いた感じで、醜悪で切なくてやるせない、これまたトゲのように残る終わり方。

■「暗狩」
前2編と、うってかわってホラー調。とてもコワい。

近所で素行の悪さが評判のいじめっ子とその手下にされている主人公と、友達。
野球のボールが飛び込んだ家に忍び入ってボールを探すが、そこで彼らは、見てしまう、そして・・・。

最初はだらだらと男の子社会のいじめが書かれて退屈するが、家に入ってからは、雰囲気が一転。一気に最後まで読んでしまう。追い詰められ方が息詰まる。

そんなホラーの中でも、著者は人を書く。
主人公の少年は、思っている事を口に出せず、他人に何かを伝える事はムリだとあきらめてしまう子だが、追い詰められ、生死の境の極限状態で、「生きたい」という本当の気持ちを声に出し、他人とも深い部分でわかりあえる一瞬を手にするシーンが印象的。
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キャラ:◎

日本ファンタジーノベル大賞受賞作。
京大農学部休学中5回生、という身分の愛すべき若者、というか、バカ者が主人公の青春小説。

彼の生活は基本的に、女っ気ナシ。
作中の表現を借りて表現すると、

『あらゆる意味で華がなかったが、そもそも女性とは絶望的に縁がなかった。(略)
しかし、私が女ッ気のなかった生活を悔やんでいるなどと誤解されては困る。自己嫌悪や後悔の念ほど、私と無縁なものはないのだ。かつて私は自由な思索を女性によって乱されるのを恐れたし、自分の周囲に張り巡らされた完全無欠のホモソーシャルな世界で満足していた。類は友を呼ぶというが、私の周囲に集った男たちも女性を必要としない、あるいは女性に必要とされない男たちであって、我々は男だけの妄想と思索によってさらなる高みを目指して日々精進を重ねた。』

ハイで皮肉で自虐的な文章が、楽しい。
どう見ても、本当は彼女が欲しいのに、それを表では認めず、見栄っ張りで頭でっかちなムサ苦しい大学生活。
著者が京大の大学院在籍中の作品であり、サークル、飲み会、下宿、研究室・・・・と、その描写は、実にリアル。
私がいた仙台の大学の理学部での生活を彷彿させる。

主人公はしかし、3回生の時に、同じクラブの後輩「水尾さん」とつきあっていた。
そして、フラれた。
決して未練などない、と書いてあるけど、その行動はどう見ても、未練たらたら。
ストーカーまがいの行動にも「これは研究」と理屈をつけて、正当化しつつ、彼女に恋する新しい男とアホな戦争をして、似た者仲間たちと妄想をくりかえし、反クリスマス同盟なぞ結成して・・・・・

で、結局何が言いたいの?というと、水尾さんへの恋と失恋と再生の物語、なのかしら。

アホな生活を送れば送るほど、ちりばめられる水尾さんの描写が、愛にあふれていて切ない。
水尾さんは回想シーンでしか出てこないのだが、彼の回想する水尾さんは、とにかく愛らしい。それが切ない。

『駅のホームで歩行ロボットの真似をして、ふわふわ不思議なステップを踏む。』
『猫舌なので熱い味噌汁に氷を落とす。』
『きらきらと瞳を輝かせて、何かを面白そうに見つめている。』
『何かを隠すようにふくふくと笑う。』

何がファンタジーなのかというと、主人公の妄想世界が、現実アホ世界と折り重なって、境目がよくわからなくなるドサクサに、主人公は二両編成の叡山列車に乗って、水尾さんの夢の中へまぎれこむ。ごく自然に。
ただそれだけなのに、この淡い夢の世界の印象は、あとまで尾を引いて、心に残る。

実はこれは二度目の再読である。一度目は★3つくらいかしら、と思っていたが、再読したらけっこう面白かった。本の印象は、その時ドキで変わるって事でしょうかね。


●主人公は25歳独身女性。何ひとつ自由を許してくれなかった厳格な父親をもち、そのせいで兄、妹と共にどこか父親へのトラウマを抱える。その父親が亡くなってから、実は浮気をしていた事がわかり、「学校の連絡網ですら異性からかかってくるのを許さない」くらいのあの父が・・!?とショックを受けた兄妹たちが、父親の故郷をたずね、ルーツを探る。というハナシ。


カラフルの作者の2冊目、児童文学畑の著者が大人の世界を描いた初の長編小説らしい。

なんだろう。カラフルの時のような鮮やかな感動がなかった。
読みやすいけれど、うすらぼんやりして、あまり残らない。


『愛しても、愛しても、私自身はこの世界から愛されていないような、そんな気が心のどこかでいつもしていた。
受けいれても、受けいれても、私自身は受けいれられていない気がしていた。』

それを、どこか父親のせいにしていた、主人公。

『けれどもそれは私が父の娘であるせいではなく、(略)、自分自身のせいですらなく、なべて生きるというのは元来、そういうことなのかもしれない、と。
 誰の娘であろうと、(略)、人は等しく孤独で、人生は泥沼だ。愛しても愛しても愛されなかったり、受けいれても受けいれても受けいれられなかったり。それが生きるということで、命ある限り、誰もそこから逃れることはできない。』

と突然に悟るあっけらかんとした潔いあきらめが印象的。
が、カラフルの時の「楽に生きたらいいじゃん」というのと根底は同じメッセージなんだが、何だか物足りない。カラフルの伝え方の方が自然な感じでよかった。

文:○ ストーリー:○

森絵都というのは、初めて読んだ作家さんだが、面白かった。最初の1冊が面白いと、「こんど見かけたら他の本も買おう」リストに追加される。楽しみが増えるようでうれしい。
児童文学畑の方のよう。道理で、文章が読みやすくてわかりやすい。平易だけど、下品ではない。


死後の世界をただよっていた「ぼく」が、抽選に当たったとかいうワケわからん理由で、再び現世に戻り、自殺した「小林 真」少年として、生きることに。
本来なら「ぼく」は、生前の罪とやらのため、二度と生まれ変わることができない魂なんだとか。

が、このチャンスをものにして、「小林 真」として生き、その間に、自分の生前の罪とやらを思い出すことができたら、輪廻の輪に戻してくれて、ふたたび生まれ変わることができるという。

そう説明してくれたのは、天使。
この天使にいろいろアドバイスをもらいながら、「ぼく」は、「小林 真」として生活をはじめる。

自殺した少年だけあって、「小林 真」の周りはなかなかすさんでいる。周りの人の本性=イヤ~なところがだんだん見えてきてげんなりするのだが、後半、そうではない部分も見えてくる。

これがタイトルにもなっているテーマで、人間は、みんないろんな色を持っている、と。
キレイな色も。汚い色も。

「ぼく」の語り口調による、軽快でユーモラスな文体。すごく読みやすい。
「ぼく」にとっては、所詮、すべて「小林 真」という仮の体の出来事なので、常にどことなくつきはなした、適当~な言い方。その距離感がここちよい。

軽いけども、決して内容がないわけではない。大切なことをあくまで軽~くさらりと、この本はいう。

天使は、人生をちょい長めのホームステイだと思えばいい、と「ぼく」に言う。
ステイ先は選べないし、自分からリタイアも辞退もできないけれど、ルールはない。与えられたステイ先で、せいぜい数十年、好きにすごせばよいのだ、と。
そんな風に考えられれば、楽に生きられるような気がしてくる。

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