日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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会社の同僚が「面白いよ!」と貸してくれた本。
表紙はポップな絵柄だったが、内容は「面白おかしい」どころでは、ない。
ストーリーはものすごく悲惨なのに、それが面白く書かれていて、読んでいて複雑な気持ちに。

『いま、わたしにとって、生きることは、はっきり言ってチョー苦痛。困難山盛り。一瞬一瞬、ひとつひとつの動作、エブリシング、たたかい。
ひとりの人間が、たった一日を生きることが、これほど大変なことか!』

治療法もない稀な難病にかかり、全身の炎症を薬で抑え、薬の副作用とも戦う、自称「難病女子」の、発病からの怒濤の日々を綴った本。
過酷な病状や、麻酔なしで筋肉を切り取るという凄絶な検査、社会システムとのたたかい・・・ストーリーは悲惨だが、英語混じりでポップだがストレートで力強い文章は、読む人を楽しませつつ真剣にさせる
世に知られない難病患者の苦労や困難、家族友達患者や医師看護士たちとの病院での人間模様。

絶望はしない、と決めた著者の強い意思と行動に、人間の強さや尊さを思わされる。

ただ、同じトーンの文章がだらだら続く感じもあって、途中から中だるみしてしまい、後半は読むのがちょっと億劫になってしまった。
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キャラ:◎

精神科医・伊良部シリーズ3作目。このシリーズは安定して面白い。
この面白さは、やっぱり伊良部というキャラクターの魅力が大きい。このキャラにはムカつくけど、結局バカバカしくなって笑えてしまって憎めない。

3作目ともなると、すっかりなじんでしまい、患者が診察室のドアをあけると、読む前にもう、耳に「いらっしゃーい」と言う伊良部のデブっぽいちょっとモゴモゴしたかん高くて軽い声が聞こえてくる。

 ・オーナー
 ・アンポンマン
 ・カリスマ稼業
 ・町長選挙

の4編を収録。

伊良部以外にも、それぞれの編で伊良部に診てもらう事になる主人公たちが、個性ゆたかで生き生きとしているのも魅力的。
今回の「オーナー」「アンポンマン」「カリスマ稼業」では、実在の有名人物のパロディとなっていて、ああ、コレあの人か、ココがパロディだな、という点も楽しめるし、4編それぞれ、クライマックスがハッキリしていて、主人公達の魅力を十分味わった後で、感動ドコロもストンと胸に落ちる。

デブ中年だが、アホでいつまでも子供のように素直でワガママな伊良部に調子を狂わされて、プライドの高い主人公たち、伊良部に振り回されて次第にバカらしくなって素直に自分と向き合えるようになる過程が、面白い。
毎度同じパターンなのに、何故か楽しい。

4編目は前3編とちょっと趣が変わって、伊良部がいつもの病院を出て、東京都の離れ小島に赴任し、そこで町長選挙というバカバカしくアツい戦いに巻き込まれる。
小さな島の島民たちが、にぎやかで元気がよくて、読んでて楽しくなるニギヤカさに頬がゆるむ。
40代サラリーマン課長たちのフクザツ?な男心をほのぼのと描いた作品。

いかんと思いつつ部下の女性に恋してでも手は出せなくて少年のように毎日夢想して一喜一憂身悶えてちゃうオジさんとか。
理不尽なサラリーマンの哀しみとか、有るような無いような出世欲とか。
スナフキンのように自由な同期へのさげすみとアコガレの混ざった感情とか。
専業主婦の妻へのうっかりした一言での夫婦喧嘩とか。
ぬるま湯のような総務部と、戦場のような営業部とか。
上司にもズケズケもの言う若い一般職の女の子とか。
有能でスキがない、でも実は可愛い一面もある英国帰りの女上司とか。

ドラマに出てくるようなステレオタイプがたくさん。
新鮮味には欠ける。
でもそういう定番を、チャーミングに描かれている所が、この本のすごい所かもしれない。

表紙が、いい雰囲気だ。
昭和レトロな画風の、峰岸達。
http://www.minegishijuku.com/
辻静雄。
「彼以前は西洋料理だった。彼がほんもののフランス料理をもたらした。」といわれる人物。

新聞記者を辞め、まったくの素人から、調理学校に婿入りし、一流ホテルのコックが「テリーヌ」も知らない時代に、フランス料理を学び、調理学校を充実させそれを日本に広め、第一人者となるまでのサクセス・ストーリー。
何もないところから何かを生み出す先駆者の物語は刺激的だ。

食べること飲むことが大好きな私にとっては、作中に出てくる写実的な料理とワインの描写もひどく魅力的。

飾り気の少ない文体は、すっきりと芯がある。その積み重ねが、辻静雄という1人の人間の人生とその哲学、料理にという芸術に対する意識とか葛藤とかを力強く描いていて、それが心に響く。
2年余の時間、辻静雄本人に対する50回をこえるインタビューがこの本の下地にあると知って、納得。しっかりした土台の上に築かれたもの、という感じがある。

半伝記、半フィクションの形式で、本当にそのものがあったワケではないだろうが、その人生を語る上でわかりやすく象徴的なエピソードが、上手にムダなくちりばめられている。

「フェルナンはね、生きているとき、いつもこういっていたの」
史上最高と言われるフランス料理のシェフ、フェルナン・ポワン。彼の亡きあと、その味を覚えていて、レストランを続け、三ツ星をキープした未亡人、マダム・ポワンの一言。彼女は、辻静雄を息子のように愛し、助けてくれる。
「料理をつくる人間のつとめは、お客さんにつねにささやかなうれしい驚きをさしあげることだって。だからわたしもそうしているの」

調理学校を開校したばかりで運営方針が決まらなかった辻静雄にとって、これが、目標となる。
彼も後年、同じ思いに行き着いたのか、こんな記述がある。
「料理を口にした瞬間に客の顔に広がるちいさな驚きの表情を眺めるよろこびは、それを知らない人間には絶対に理解できないだろうと思った。」

フランス料理を理解するため、ひたすらに食べ続けた。
初めに、
「料理というのはつくり方も大事だが、できあがりの味がすべてなんだ。きみはまずそれを知らなければならない。そして、あらゆる料理のこれがそうだという最終のできあがりの味をきみの舌に徹底的に記憶させるんだ。」
というアドバイスを受けたからだ。

後には、日本料理、中国料理についても同じ。その飽食は、やがて彼の健康を害す。
彼にとっては、食べ続けたのは、楽しみのためではなかった。
『いかに満腹であっても、必要のために食べつづけてこなければならなかったのだ。
こうなるまで食べてこなかったら、フランス料理はもちろん、日本料理についても中国料理についても通りいっぺんのことしか理解することができなかっただろう』

なんというか、壮絶。

晩年のシーン。
「結局、人間にできることは、自分がやってきたことに満足することだけなのだ」
手塩にかけて育てたシェフの裏切り。けれど、どんな見返りも、そのシェフからは結局もらうことはできないと気づく。
誰のためでもなく、自分がそうすべきだと思ってしてきたこと、その過程で起こる事は、飽食による肝臓の故障も含めて、すべて認め、受け入れる。
これが、成すべき事を成し遂げた人の行き着くところなのだろう。

下記のブログの感想が、なかなかステキです。
http://mblog.excite.co.jp/user/syokulife/entry/detail/?id=9277970
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