日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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漫画家・一条ゆかりのエッセイ本。

この人の漫画は、割と好きで何冊か持っているが、エッセイは初。
漫画のあとがきで、ざっくばらんで自分に正直な文章を読んで、そんな感じをイメージして買ってみたら、まさしくそんな感じだった。
話言葉で書かれた文章は、だらだら感があって読みにくい所もあるが、一条節とも言うべき、切れ味が楽しめて面白かった。

デビュー40周年を記念して、郷里を訪ねるテレビ番組の企画で、一条ゆかりは、自分の根っこにあったトラウマと、そこから生まれた欲望について、気付く。
それをテーマに1冊、一条節が続くのだが、彼女の根っこにあるのは
「自分を好きになりたい」
という想い。

自分を好きになり、認めるために、壮絶な努力をする。
漫画を書くのも、決して手を抜かない。
それは人に負けたくないからではなく、自分に負けないため、自分を認めて好きになるため。
こういう努力ができる人だからこそ、今日の成功があるのだな、と思わせられる力強いエッセイ。
普通の人は、自分を好きになりたいと思っても、そのためにここまで壮絶に努力できない。

『自分の人生を判定するのは他人じゃなくって自分。いつも言っているセリフだけど「自分を幸せにできるのは自分だけ、他人はその道具を貸してくれるだけ」って話です。』

女が嫌い、というくだりが面白かった。
女性の「私なんて・・・・・・」は、「そんなことない、可愛いよ」というフォローを期待した本心では褒めてほしいというリアクション。
それがうっとうしい!と著者は言う。

『でも正直者の私としては、「私なんて、デブだし」と言われれば「うん、うん」と肯定したくなるし、「ぐずだし」って言われたら「ほんとにぐずだねえ」と言いたくなるのよ。それを我慢するのは公卿です。しかも私、もっと余計なことまで言いたくなるのよ。「うん。あなた、見掛けはブスだけれども、性格はもっとブス」とか・・・・・。』

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「このミステリーがすごい2位」の帯に期待しすぎた。

大学時代のサークル仲間7人が久々に集まる。
舞台は都内の古風な洋館のペンションで、序章で主人公・伏見が仲間の1人を殺し、犯人がわかった状態でスタート。
仲間の死の発見を遅らせようと工作する伏見、その言動に疑問を抱き、追求する碓氷優佳。
舞台はペンションの中でずっと閉じたまま、2人の頭脳戦が繰り広げられる、という設定はなかなか面白い。

犯人は最初からわかっているが、伏見が執拗に発見を遅らせようとする理由、また殺人の動機、これらが明かされないまま進むので、伏見と優佳の攻防の間に、それも気になり、といい感じに読み進めるが、するりと読めてしまう軽い感じと、伏見や優佳をはじめキャラクターのわざとらしさというか、不自然な感じが気になって、心底すごいな、と思うほどの感動はなかった。
ハイジャックされた飛行機のトイレの中で、殺人事件が起こる。ハイジャック犯たちは、たまたまそこにいた頭の回転の良さそうな青年に謎解きを依頼する。人質となった250人の乗客は席に座ったまま、犯行現場のトイレの前でハイジャック犯たちと青年のやりとりだけで、物語が進む、というのは面白い手法だが、動きのない会話だけで進めるにはやや力不足な感があり、ああでもないこうでもない、とさまざまな仮説やその反証を延々とされるくだりはやや退屈。
基本的にふつうの善人である犯人たちがハイジャックに至った動機、その結末は非現実的なファンタジー要素をうまく組み込んでアイディアとしては面白い。個々の要素として面白いものはあるが、全体のストーリーや雰囲気がなんだか退屈で、納得がいかない。

ハイジャックに集中したいから、と無関係の青年に謎解きを依頼しておきながら、犯人たちも青年の相手をずっとしていて、結局あんましハイジャックに集中できていないあたりも気になってしまった。

殺人事件の重要なアイテムの1つである「文字が書かれたペーパータオル」が発見されるものの、血に染まって文字が読めず、真相に近づくのが難航するのだが、血に染まったのは偶然でしかなく、犯人の意図したトリックに対する謎解き、というよりも、たまたま発生した不思議な事件を、ひも解く、というのが雑な感じがすする。
帯の「かつて、こんなに美しいミステリーがあっただろうか」で、犯人の意図した緻密なトリックを期待して読んだからかもしれない。殺人事件については、偶発アクシデントが複雑にした事件の正解探し、動機探しを楽しみ、物語全体は、いろんな要素を盛り込んだ何だか不思議な物語を味わう気持ちで読んだ方が楽しめるのかもしれない。
主人公はアメリカの特殊部隊の大尉。
人工筋肉で飛ぶ飛行機で飛び、最新鋭の兵器を使ってターゲットに近づき暗殺するのが仕事。
ターゲットは貧困と戦争が激しい地域のその原因となっていると目される人物で、潜入先では女子供も含む大量虐殺や徴兵された子供達との戦いもある。
タイトルからイメージする通りかなりグロテスクだが感情抑制された主人公の平らな語り口のためか乾いたグロテスクさになっている。

他を利する助け合いの気持ちや良心は進化の過程で人間が得た本能なのか?
殺し奪いあうのが本能なのか?
主人公が追う相手が世界各地で紛争を引き起こす手段とは?
脳のどこまでが動いていれば「生きている」と言えるのか?
各シーンで出てくるこれらの話題はなかなか鋭くて面白い。
人工筋肉でとぶ飛行機とか、どこまでもIDで管理された社会などの設定もよくできている。

ただ、それらが有機的につながって全体ストーリーを高めてはおらず、結局、主人公が追ったターゲットの相手が何故虐殺を引き起こすのか?という動機や、それを聞いた主人公がとる行動にはイマイチ納得感がなく終わってしまう。
ストーリー全体や納得感より、その場面場面の世界観や、特定のテーマでの話題を楽しんだ本。

主人公・鈴木は、人数合わせで連れて行かれた合コンで出会ったマユに一目惚れ。
何回かグループデートを重ね、ちょっとずつ仲良くなり、とうとうつきあう事に!
初めてできた彼女に、幸せいっぱいな気持ち、初々しくて微笑ましい数々の光景。という前半。

就職で静岡を離れ、東京に出てきた鈴木とマユは遠距離恋愛を続けるが、鈴木には東京での新しい世界が広がり・・・。

と書くと、ただのよくある恋愛を書いた何の特徴も無い話に見えるが、読んでいてところどころに小さな引っ掛かりを感じる。
というのも、そもそも本の裏表紙に「最後から二行目で、本書は全く違った物語に変貌する」と書かれているので、読み手は引っ掛かりを探しながら読んでしまうのである。

それが最後に「あー!ナルホドね!」というそれまでの話がクルリと引っくり返るオチがあって痛快だ。思わず、2度読んで、それまでの引っ掛かりをいちいち確かめてしまう。
というイミでは、この本の帯にあった「必ず2回よみたくなる」というのは当たっている。

しかし、このテの技は、繰返し読み返すのには向いていない。
ストーリー自体は抜群に面白いワケではないので1度読んで、検証用に1度読み返したらもう再読はしないだろう。
バブル時代の物語で、出てくる話題や小物がなつかしく、1回目を楽しんで読むことは十分できる。

こういう技が好きな人は、「葉桜の季節に君を想うということ (歌野 晶午)」や「ハサミ男 (殊能 将之)」、「アヒルと鴨のコインロッカー (伊坂 幸太郎)」もオススメ。
若かりし伊丹十三監督の、ヨーロッパ暮らしを綴ったエッセイ。
硬質なワガママというかこだわりが、キラキラと粋にきらめいて面白い。

読み始めは、何かちょっとキザで退屈だなー、と思っていたが、しだいに「フムフム」と真剣になり、キザで潔癖なこだわりが、快感になってくる。

あとがきに
「ヨーロッパ諸国と日本では風俗習慣はもとより「常識」そのものにさまざまな食い違いがある。わたくしは、これをできるだけ事実に即して書きたかった。」とあるように、著者の外国での暮らしでふれた実体験が、話題の根っこにある。
そこに思想とこだわりがのっかって、演技、映画、オシャレ、語学、スポーツカー、音楽、酒、料理などについて、彼のあらゆる美学が語られる。

たとえば、スパゲティの正しい食べ方。
スパゲティは、音を立てて食べるのは絶対のタブー。
音を立てないようにするには、フォークに適度な量の麺を巻き取る事が大切、と、正しい巻き取り方について述べる。
その述は、ヘミングウェイの一節に始まり、どこかユーモラスで厳しく、巻き取り方が緻密に伝授され、さいごはヘミングウェイの一節でまた終わる。

たとえば、カクテルについて。
「カクテルというものは、本当は愉しいものなのにねえ。」
晩餐前、夜早い時間に飲むものとして最適という。
ブランデイは食後の飲み物だし、ビールは満腹になってしまうし、ステーキの前に日本酒でもなかろうし、ウィスキーでもよいが女性同伴の場合はカクテルの方が良いと述べる。
そして、

「わたくしは、彼女の、その日の気分や、好み、アルコール許容度、そして服装の色などをおもんぱかって、これ以外なし、というカクテルをピタリと注文する悦びは、男の愉しみとしてかなりのものと考えるのだが、いかがなものであろうか。」

ステキだ。
こんな男性と飲みに行って、カクテルをピタリと選んでほしい。

以下、カクテルに関する覚え書きと、おつまにの記述が続き、ここで私は耐えられなくなって本を閉じる。

いかん。
猛烈に。
美味しいカクテルが飲みたい・・・。


マティーニ

(後日談)
結局その日は夜も遅かったため自宅でワインで我慢して、美味しいカクテルを求めて、しばらくさまよう事になる。
週末、やっと満喫。マティーニはカクテルの王様だ。
石田衣良の本は、実にわかりやすい、というか、安心して読める。
大衆的というのだろうか?決して安っぽいワケではないが、わかりやすくお手軽に感動できて、安心感がある。
真珠のように内側からの輝きを持つ40代の版画家の女性と、その輝きをわかる若い男の恋の物語。
しっとりと、甘い。

「自動車は男に似て、外見よりもなかにはいってくつろげる内装が重要なのだ」
とか。
洒落た文句が、かっこいい。
香り高い珈琲とか、シャンパンを片手に、うっとりと味わいたい作品。

主人公の女性に悲しい事が起きたときに、しかしその悲しみを引き起こす決断は、愛する人のためにと自分が正しいと思ってやったこと、ならばその悲しさは暗くはない。
というのが、大人っぽいと思った。
その時に作った作品は「明るい悲しさ」と評されたように、それはクリアで透明な悲しさ。
この本は、読む前に、「ディックの本棚」というブログで、「たしかにすごい職人芸だけどあまり・・・」という書評を見てしまっていたので、その影響を受けて、「うーん、たしかに技はあるけど心がないような・・・?」という気持ちで読んでしまった。

伊坂幸太郎にとって、この作品は、技の練習なのではないだろうか?

登場人物たちの折り重なり、微妙に関わり、もつれ、わずかな奇妙な接点が次第に大きくなって、あるとき、全貌がぱっと開ける。その展開は、実に見事。
こういう技術は、この他の作品にも生かされていて、そしてこの他の作品は、心も入っていて、面白いものがたくさんある。

それにしても。よく、これだけたくさんの人物を同時に動かせるなあ、と感心する。
AとBは仙台へ同行し、その共通の知人Cは昔の同級生Dと、久々の再会を果たす。DとEはマンションで偶然出会い、Cの妻Fは、Gとハカリゴトをしていて、その途中にEと会う・・・とか、こんな感じで、場所をずらし、時間を前後させ、ちょっとずつちょっとずつ登場人物たちが重なるようにすすんでゆき、次々と謎が出てくるのがちゃんと別の場所で解明されて・・・、見事である。

また、他の作品「オーデュボンの祈り」の主人公のうわさが出てきたり、「チルドレン」でおきる事件が作中でニュースとして出てきたり、というリンクが見られる。
この作者の頭には、広大な世界が存在しているのではないだろうか?
その頭の中の世界には、いろんな人がいていろんな出来事が起こっていて、伊坂幸太郎はそれらを神のような視点で眺めていて、伊坂小説は、その世界の出来事の一部を切り取って作っているのではないだろうか。と思わず思ってしまうような。
池袋ウェストゲートパーク シリーズ6冊目。
リズミカルで軽快な文章が相変わらずで心地よい短編集。

池袋でトラブルシューターとして名を馳せてきた主人公マコトの元に、さまざまな依頼人が訪れる。
ヤクザ、ストリートギャング、警察にまで多彩なマコトの友人が丁度良くからんで、あっという見事な方法で片を付ける。
というストーリー展開はマンネリ化しているのだが、その過程で、『世の中にはいろんな人がいて、どんな人もそれぞれに幸せになる権利があるんだ』というこのシリーズのテーマ(だと私は思っている)がブレず、きっちりと、表されていて、またその表し方が、とてもいい物語になっていて、安心して読める。

「野獣とリユニオン」が特によかった。

加害者にも事情があって別な被害者だったとして、「被害者は加害者を許せるのか?」という、ありきたりなテーマ、そして「許した方がいいのでは」というありきたりな回答なのだけど、それを見せる物語がよくて、ストレートなストーリーで、あまりヒネリもないのだけど、単純な私はすっかりやられてしまった。

『ぼくたちはよく犯罪者のことを、あんなのは人間じゃないといういいかたをするね。もちろん、どうしようもないケダモノがいるのは確かだけど、みんながそうだとは限らない。ぼくを襲った相手が、理解不能なケダモノではなく人間だとわかれば、憎しみの気もちが変わるような気がするんだ』
『相手を人間じゃないものにして、恐れたり憎んだりし続けるのは、きっと自分の心のためによくないと思う。(略)憎しみの場所にいつまでも立っていたくない。まだあいつが憎いけど、それを越えていきたい』

すごくストレートで立派で感動的なこの台詞。
こんな台詞、いかにも物語風にキレイゴトなのだけど、このストレートさが、この物語によく合っていて、それを「嘘くせー」と思わせずに一気に読ませるのが、さすが。
主人公・ゆいかは、初めて見た芝居に感動し、その劇団に入るべく、大学を入学を機に上京。アコガレの劇団に入団を果たす。
演劇の聖地・下北沢を舞台に、ゆいかの入った、実力はあるのに人気がイマイチな弱小劇団が、だんだんと出世し、それに伴い8人の団員の間で、さまざまな人間関係のトラブルが起きる様子がテンポよく軽やかに描かれた、読みやすい作品。

貧乏だけど、情熱的な偏った大人たちをあたたかく語る、ゆいかの無垢な視点がよい。

今までゆいかの周りの同世代にとって、「夢」とはファッションの一部のごとく、「非現実的で、ちょっとセンスのいい」もの。「本当に叶えたいもの」ではなかった。
それが、劇団員たちは、1万円にがっつくような貧乏生活でも、演劇の夢を追い続け、「S・U・N.・D・A・Y・S、下北サンデーズ、ファイト!」と、劇団名のエールを恥ずかしげもなくやれてしまう。

入った大学でも、同級生達は、互いに控えめで、相手に失礼があれば「飛び上がるようにして謝るか、徹底して無視」という、希薄な関係。
対して、劇団員たちは、本気でぶつかり、愛し、人間同士の距離がとても近い、とゆうかは感じる。

小学生の将来の夢が「サラリーマン」などという現代に、夢があるって、好きな事って、こういう楽しいコトなんだ!それはお金で手に入るモノじゃない、とコトバで書くととても陳腐になってしまうことを、著者はこの作品で言いたいのかもしれない。

これを読んで、今まで芝居なんて見たことなかった人が、「芝居を見に行きたい」と言い出した。この作品が、どこまで実際の演劇界に近い真実を書いているのかはわからないが、読むことが、ふだん近寄らない世界への入り口になるのも、本の良いトコロ。
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