日々の読書

日々、つれづれなるままに読んだ本の、感想おきば
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お正月、マスターキートン全18巻を読み終わってまだ時間があったので実家の近くの本屋で追加購入。大好きな須賀敦子のエッセイ。この人の文章は、静かな語り口だけど、情景や温度が香るようで、とても心地よい。
なじみのないイタリアの地名や、人名も、いつもはすんなり頭に入らなくて不愉快なのに、この人の本だとそれがなく、流れるように読んでしまう。
家にも何冊かあったはず、また読みたくなってきた。

「七年目のチーズ」短いエッセイなのに、起承転結がはっきりしている。とっておきのチーズがテーブルに運ばれる冒頭のシーン、その家を訪れるまでのいきさつ、「薄くのばした手製のパスタと仔牛のひき肉入りのトマト・ソース、それにホワイト・ソースを、かわるがわる重ね、ケーキのように天火で焼いたラザーニャ」などの絶品料理でのもてなし、その挙句に登場するとっておきのチーズ。そのチーズが実は、という話から、この食卓の思い出によって「この国から離れられなくなったのかもしれない」と結ぶ最後。うーん美しい。

「なんともちぐはぐな贈り物」という文言はタイトル以外に出てこず、タイトルで結末の贈り物のちぐはぐさを表しているのが面白い。

「霧のむこうに住みたい」なんてことない話だが、山の中の霧の景色の描写が美しかった。
『足もとは赤みがかった茶色の土で、いま登ってきたばかりのくねくね坂は霧のなかに沈んでいる。吹きつけるつめたい風に首をすくめながら、一行はさそわれるまま、峠の石造りの小屋をめざして一〇〇メートルほどの坂を駆け登った。』
『こまかい雨が吹きつける峠をあとにして、私たちはもういちど、バスにむかって山を駆け降りた。ふりかえると、霧の流れるむこうに石造りの小屋がぽつんと残されている。』

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大好きなムーミンの作者の短編集。
ムーミンの世界に流れる自然や人(人じゃないけど)の何とも言えないコミカルでシュールで皮肉もあって愛すべき感じ、自然の描写は美しく細かく、人の気持ちは直截的でなく圧縮されたような描かれ方、が、どの短編にもつまっていて、いつまでも読んでいたい。

彫刻家の父と画家の母を持ち、自らも画家であり作家。芸術一家での島暮らし、大人になってからも1周数分の電気も水道も無い小さな島に住み、おそらく島の自然をこよなく愛し、観察したのだろう。

「島」や「嵐」の話も多い。海辺の嵐を魂が震えるような喜びで楽しんでいたレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を思い出す。その名も「嵐」という短編ではひたすらずっと嵐の描写、それと主人公の女性の心理が混ざった描写にひきこまれる、終わり方も美しい。激しい嵐の後のこの2行がなんとも静かで美しくて好き。
"翌朝の七時頃、嵐がやんで雪が街に落ちてきて、街路にも屋根にも彼女の寝室にも降りつもる。彼女がめざめると、寝室はどこまでも白く、すばらしく美しかった。"

祖母の時間間隔が狂っていくのを嘆く青年の「時間の感覚」も面白い。飛行機の中から眺める北極の夜が美しいシーンもいい。「北極、魔法の子午線、ノームの夜」というつぶやきがあるが、ただ名詞や地名に「の夜」をつけただけの組み合わせで、こんなに美しいつぶやきになるんだ、と。

「植物園」に出てくる、野原の描写も美しい。
現在の植物園の睡蓮の水槽と、過去の嵐によって水びたしになった野原の記憶が混ざり合って、
"素足に柔らかく弾む土の感触を、睡蓮のやさしい肌ざわりを味わう・・・"
という箇所が何とも言えない。
中勘助の「銀の匙」を買った時に、灘校で中学3年間をかけてこの本を読みこむ授業を行った伝説の国語教師がいた、と何かで読んだ記憶があった。
ニュースでその方の訃報を知り、どんな先生で、どんな授業をしていたのか気になり、この本を購入。
内容は濃く、先生の人柄もわかり、満足。「銀の匙」も名著だが、この本も非常に面白かった。

何たって著者の先生が、面白い。
マリス博士の奇想天外な人生」のマリス博士のように、自分の仕事を愛し、はっきりとした信念があり、ユーモアに富んで、歳をとっても生き生きと人生を楽しんでいる様子が心地よい。101歳で亡くなったそうだが、80代から源氏物語の現代語訳をスタート94歳で完成、98歳で灘校で特別授業、99歳のお祝いは大好きだったタカラジェンヌに囲まれ真っ白なスーツに赤いコサージュと洒落こんで。詠まれた歌も実に楽しげ。

21歳で創立間もない、まだ無名ながらも「日本一の学校」を目指す灘校の国語教師に。校長や先輩からは何の指示もなく、ただ公立では出来ない事もできるよ、と後押しするだけ。自分が中学生の頃の授業を思い出せない事に愕然とし、生涯生徒の記憶に残るような授業を!と必死で教材を探し、たどり着いたのが、「銀の匙」。
もともと大好きな本であり、美しい日本語と、主人公の成長の様子を生徒が自分に重ねて楽しめる点がよい、と。
教科書と違って、指導要領があるわけではないので、まず1年かけて研究ノートを作り、授業で何をやるのか考えてゆく。中勘助本人にも、何度も質問したり。
授業では、著者の研究を生徒に再体験してもらう。各項目に自分で主題をつけ、内容を整理し、様々な言葉の意味や由来を調べ、それを使って短文を作り、美しい表現がどこかを探し、何が美しいのか述べ、物語に出てきたカルタ遊びや凧揚げを実際に行い、どんどん横道にそれ、知識の幅を広げもする。
こんな調子で1ページに数週間かけることもあり、そのことについて著者は「スピードが大事なんじゃない。すぐに役立つものはすぐに役立たなくなる。」という名言を。

特別授業で使われた「銀の匙」第二章までの授業ノートの内容もあり、著者が現役時代に心血注いで作っていたノートがどんなものだったのか具体的にわかる。

先生が語る、「国語を学ぶとは」の部分も良かった、自分の子供には将来この本、読んでほしい。
生まれた時から学習している日本語を、なぜあえて学ぶのか?
わたしたちの生活、精神生活も物質生活も、日本語が、つまり国語がなければ成り立たない、国語は私たちの生活そのもの、ことばは生活に密着し、日常生活に間に合えばよいものではなく、国語を通じて人間形成がなされるのだ、と。

国語勉強のポイントは、読む・書く・話す・聞く・見る・味わう・集める。
いろんな本を読んで読む力をつける。
読んだら読後感を必ず書く、どんな事でもよいので書く、そのうち自然に読解力・表現力が身に付く。国語の基礎能力は「書く」ことから。練習方法として読後感、日記、詩歌をあげ、見たこと聞いたこと感じたこと考えたこと、何でも文章にしてみる。
本当の話し上手になるには、まず書き上手にならねば。
見る・味わうも大事。意味がわかってOKではなく実際に体験してみる。教材に狂言が出たら舞台を見に行く、美術評論を読んだらその美術品を見てみる。
気づいた観点で言葉集めをすることで言葉に敏感になり、国語の豊かさがわかる。

この教えに触発され、しばらくさぼっていた読書感想ブログを更新してみた。
「銀の匙」も読み直したくなってきた。
2012年、ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中先生がiPS細胞を作り出すのに成功するまでの経緯や、研究に対する姿勢や哲学をまとめた本。

初め整形外科のは臨床医を目指していた山中先生が、紆余曲折の末に、基礎医学を学び、さまざまな苦難を乗り越え、ついにはiPS細胞の作製に至るまでがわかりやすく書かれてるとは思うが、研究者用語みたいなものが多くて、理系でない人には、なかなか読みにくいかもしれない。

専門用語というより、理系の研究者の進むコースとか、研究室生活の様子などの記述など。
欄外に注釈で説明がつけてあるが、いちいち注釈を読むたびに本文が中断されるので。

読みやすい文章で、淡々と描かれていて、短時間でさっと読めるが、その分、残る感動が少ない気がする。
研究者モノとしては、「マリス博士の奇想天外な人生」の方が面白かった。


印象に残ったところ。
アメリカ留学中、グラッドストーン研究所の所長ロバート・メーリー先生から教わった言葉「VW」。
研究者としてだけでなく人生にとっても大切なもの、それはVision(長期的目標)とWork hard(一生懸命働くこと)。

一生懸命働く人は多いが、明確でぶれないビジョンを持ち続けて働くのは難しい。
山中先生は、いろいろ紆余曲折あったが、「ヒトの胚を使わずに、体細胞からES細胞と同じような細胞を作る」というビジョンを掲げて、そこからはそのビジョン達成に向けて短期目標も立て、必要な仲間や材料をそろえ、着々と進んでいくのが読んでいて面白い。

自分の研究が人の役に立ってほしいという強い思い、それを果たすために、研究だけでなく、研究所の運営も新しい試みを導入したり、様々な面で努力されているのがわかる。
iPS細胞が臨床に使われ、患者さんの治療に使えるようになるまで、長い道のりを多くの課題があることを認識し、1日2日のハードワークで乗り切るのではなく、途中でバテずに最後まで走り続ける事が使命だと言い切る。
このあたりにも、山中先生は、Visionを大事にしているのがわかる。
子供を叱らない育児を母親に教え、3歳までの教育で高いIQと優しい心の子供を育てる、という謳い文句の乳幼児教室「TOEベビーパーク」が推奨する家庭でできる育児法を紹介、という本だが、ほとんど宣伝のような内容で、この教室がいかに素晴らしいか、教室の創業者が立派な人物か、に紙面が費やされ、具体的な育児法については少ししか記載がないし、その方法の背景の理論については「紙面が足りないので改めて別著で」とあり書かれていない。
ベビーパークに通うとこんな素晴らしい子になる、という事例紹介はイヤに長い。
ベビーパークがどんな教室なのか、通う前に知りたい、という人にはよいかもしれない。

創業者を紹介するエピソードとして、ホームレスの1人に話しかけられ世間話をしたら、次々とホームレスが集まり、プチ宴会状態になったとあり、本人のコメント「相手が誰だろうと垣根なくまったく自然体でその空間のなかに溶け込めるところは、私の特質かもしれませんね」。
うーん、私はちょっとひくな、このコメント。

大学受験の二次試験で、理科教師を目指すからにはというこだわりで、得意な国語ではなく化学で受験したために、志望大学ではなく滑り止めの私立に行く事になった、というエピソードも、別になくてもいいような・・・。

この本で初めて知ったのだが、乳幼児のIQ診断は、
<子どもの発達度合いから割り出される月齢>÷<その子どもの月齢>×100
というIQ代替値を使うのだとか。

3歳の子どもの、知っている言葉の数、運動能力などが、6歳と同程度だった場合、
<6歳>÷<3歳>×100
で、IQは200となるらしい。

という事は、乳幼児の「IQが高い」というのは、「普通はもっと後でできるようになる事が、人より早くできた」という事なのか。
それは、大人になってからの頭のよしあしと関係あるんだろうか?

この著者の名前は知っていたが有名な「沈黙の春」が環境汚染の問題を取り上げた作品であることしか知らなかった。そのために何となく堅苦しく重いイメージだったが、この本を読んで、自然をいきいきと美しく描写する人だと知った。
読むと暗い気持ちになりそうだ、と避けていたが、「沈黙の春」も読んでみたくなった。


幼い甥(正確には姪の息子らしいが)のロジャーと、別荘の周りの海辺や森を散策するエピソードから始まり、子どもたちに、自然の神秘さや不思議に目を見はる感性「センス・オブ・ワンダー」を持ち続けてほしいという願いが、短くも、詩情豊かで美しい文章で語られる。

雨の森の濡れた苔だとか、嵐の夜の荒れた海だとか、海を照らす銀色の満月だとか、銀の鈴のような虫の声だとか、そういう描写にうっとりする。

「センス・オブ・ワンダー」を持ち、地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、大人になっても、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることがない、と著者は言う。

あさきゆめみし」で紫の上が亡くなる直前に、この世は、生きとし生けるものは皆美しい、と気づき、自分がこの世とこの世に生きることを愛していることに気づくシーンを思い出す。

自然の美しさだけでなく、人の面白さや美しさも含め、この世界を美しいと思い、愛せる人は、この世界に生きているそれだけで、ある満足を感じられるのだと思う。
自分の子どもには、そういう人になってほしい。


見過ごしていた美しさに気づく方法として著者があげるのは、
「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら?もしこれを二度とふたたび見ることができないとしたら?」と問いかけること。
技術バカでお人よしなダンが、親友と恋人に裏切られ、人生のどん底を味わうところから物語が始まる。初めは何だかわかりづらいなあ、と思っているのが、後半はあっという間に物語がすすんで、痛快な終わり方!前半ぼんやりしていたものも、全てが伏線だったのかと感心する。
スピーディな展開には、そんなのありか?というご都合主義も含まれるが、それも含めて、物語として、とにかく面白い。ハインラインの最高傑作と言われるのも納得。1956年に書かれたものだが、古臭さを感じない。

タイムスリップものだが、物語の主軸は、ダンの復活劇にあり、SFが苦手な人でも読みやすそう。

主人公ダンは、1970年から冷凍睡眠で2000年にタイムスリップする。
実際の2000年とは全然ちがうが、この未来の世界の様子も、リアルに描かれていて興味深い。
ファスナーの閉め方は新しい繊維の出現で劇的に変わり、言葉の意味が微妙に変わっていたり、労働者のために政府が認める余剰生産品があったり(作られてすぐにスクラップにされる)、人口肉が蔓延し、風邪が撲滅されていたり。

タイトルの「夏への扉」と、主人公の飼う猫のピートが、いい感じに物語にスパイスをきかせている。

物語の冒頭。1970年の冬。ダンとピートの住むコネチカット州の古ぼけた農家には12個ものドアがあり、ピートは少なくともどれか1つのドアは夏に通じているという固い信念を持ち、ダンに順番にドアを開けさせては失望する。しかし、それをどんなに繰り返そうとも、夏への扉を探すのを、決して諦めようとはしなかった。

そして、ラストでも。
『(略)ピートは、どの猫でもそうなように、どうしても戸外へ出たがって仕方がない。彼はいつまでたっても、ドアというドアを試せば、必ずそのひとつは夏に通じるという確信を、棄てようとはしないのだ。』

夏への扉。ダンもそれを求めて、ドアというドアを試し、何度も失望しながら、あきらめず、ついにはそのドアを見つけることができた。夏への扉を見つけたダンの最後のモノローグも、なかなかよい。

『ぼくは、時間の<パラドックス>とか、<時代錯誤>をひきおこすことを、心配などはしない。もしも、三十世紀の技術者がタイムマシンの欠陥を克服して、時間ステーションを設け時間貿易をするようになれば、それは当然おこってくる。世界の造物主が、この世界をそんなふうに造ったのだから、仕方がないいのだ。造物主は、われわれに目を、二本の腕を、そして頭脳を与え給うた。その目と、手と、頭脳とでわれわれのやることに、<パラドックス>などあり得ないのだ。』

『この世の真理がどうであろうと、ぼくは現在をこよなく愛しているし、ぼくの夏への扉はもう見つかった。』

『誰がなんといおうと、世界は日に日に良くなりまさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、器械で、かんで、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いてゆくのだ。』
遠野のわらべうた伝承者阿倍ヤヱさんが語る、わらべうたと子育ての知恵。
子供に語るちょっとした言葉は実際に使えて便利、また、全体にただようあたたかい雰囲気が癒される1冊。

方言いっぱいのわらべうたは、覚えるのも難しそうで使える気がしないが、
・でんでん太鼓の真似片手を顔の横でくるくる回す「てんこてんこ」
・首がすわった赤ちゃんに首ふりながら「かんぶかんぶ」
などは簡単で可愛らしく、やってみたら赤ちゃんも喜んだし、赤ちゃんと接して手持無沙汰になったら、すぐに「てんこてんこ」「かんぶかんぶ」と手軽にできるのが、ありがたい。
1歳までは、こうやってみせた動作を真似する、とあったが、うちの子(4か月)はまだ真似はしてくれない。

他にもおむつかえの時の声かけで、お尻を乾かしながら足伸ばして膝なでて「よっこよっこよっこ」とか「のびのびのび」と声かけるとか、終わったら「こちょこちょこちょ」と脇をくすぐると笑って喜ぶとか。
ちょっとした声かけの方法を覚えると、会話できない赤ちゃんとのコミュニケーションの助けになる。

いいな、と思ったのは。

『生まれてまもなく目が見え始めると、赤ちゃんは人を探すようになります。
そのとき、正面から顔を見て、声をかけてやる。
そこから、赤ちゃんとの会話が始まります。
まだ言葉は話せないけれど、赤ちゃんだって、会話がしたいのです。』

『赤ちゃんが声を出して人を求めているときは、何をさておいてもそばへ行って、あそんでやってほしい。一日のうに五分か十分そうやってあそんだら、赤ちゃんは満足して、また次の日を待っているんです。』

遠野のことわざ
『童(わらし)ぁ 生まれるずど、その家さ、馬鹿ぁ三人出る』
大の大人が赤ちゃんを相手に、なりふりかまわずうたって遊ぶ様子をあらわしているとか。
微笑ましい。

子守唄について。
抱っこして揺すって寝かせると抱き癖がつくからダメというのは、最近は「抱き癖は気にせず抱っこしてあげて」と言われてるようなので、ちょっと古い考えかもしれない。
遠野に伝わるという下記の子守唄は、唄うのは難しそうだけど、その気持ちが参考になる。
子供がなかなか寝なくてイライラしそうな時に、「そうだ寝なくても宝だからいいじゃないか」と思い出せて助かる。

よいだらさのやぇ(いいじゃないか)
やんさ やめでもよぉ(どんなに忙しくても なにをさておいても)
泣く子ば だましゃやぇ(泣く子はあやしてやれよ)
万の宝よりもなぁ(万の宝よりも)
子は宝だよなぁ(子は宝だよな)


子守唄はについてはどんな唄でも、ゆったり心が落ち着くならよい、とあった。
子守唄はもともと、子守りの気持ちを落ち着かせるもの、自分が落ち着いてうたえばよいと教えてくれた。
小児科の女医さんが、育児をするお母さんに、完璧な母親を目指して疲れるより、赤ちゃんと楽しく遊んでほしい、という想いから、『医学的にも根拠がある大事なことだけ抑えて、あとはもっと楽しく育児をしましょう』という目的で、書いた本。
育児に関する「よくある質問」に対して、迷信や都市伝説や根拠不明のあやしげな情報に母親が振り回されないよう、医学論文などの原典付で、わかりやすい回答を載せている。

いまはインターネットで気軽に情報検索できるが、著者が言うように『裏づけのない極端な情報へのアクセスは簡単で、反対に医学的に根拠のある正確な情報は手に入りにくいという困った現状』でもある。

これを読んで勉強しないと育児で大変困る、というほどの重要な情報がのっているわけではないが、間違った情報で悩んだり、わざわざ苦労したりしないよう、育児をする人は一読すると、ちょっと楽になるかもしれない。

たとえば授乳中の嗜好品について。
ネット上ではあれこれ言われているが、この本では。
珈琲は1日10杯以上飲むと赤ちゃんに中枢神経刺激症状が見られたという報告がある一方、5杯までは影響がなかったという研究結果があるのでその程度なら問題ない、とか。
動物性脂肪の摂取が原因で乳腺炎になるという医学的証明はまだされていない、乳腺炎の原因として医学的に明らかになっているのは、授乳回数や抱き方・吸い方が不適切で赤ちゃんがうまく飲めなかったり、服などの圧迫で母乳が溜まる事のみであるので、ケーキやお菓子を食べていけないことはない、とか。

わざわざ原典を見たりはしないが、ちゃんと専門家が行った研究の結果である、と思って読めるので、根拠の無い他の説を見聞きしても、気持ちが揺らがないのが良い。
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